正社員20年続けてこれた理由
会社員を1社で20年ほどしてきて
アラフォーになってから
2社経験して
今は無職で転職活動中です。
20年続けるという中で
様々な葛藤もありました。
仕事をしていく上で
色々な思いを重ねながら
自分なりに頑張ってきたし
当時について
振り返っていきたいと思います。
新卒から20年居た会社
就職氷河期でした
今のアラフォーは
時代背景的に
就職時期が就職氷河期でした。
仮に大学に行っても就職先がないという
状況でした。
都心の方がその傾向が強かった印象です。
取引先の女性が派遣という事も
多かったです。
本当は正社員で働きたくとも
派遣という選択肢しかない状況でした。
そんな中、地元の就職に強い高校へ
進むことにしました。
就職活動の時期になって
正社員の求人もほとんど無かったし
その中で”デスクワーク”なんて
皆無な状況でした。
そんな中、当時クラスで
”就職の委員会”に任命されて、
どういう働きをしてたかは
あんまり記憶にないのですが、
まぁそういう委員になった訳です。
夏頃、就職した会社の求人が来た時に
ダイレクトに私に連絡をいただけたのも
幸運だったと思います。
学校からの推薦を受けて
入社試験を受けて
見事に合格できました。
親とは
もしデスクワークに就職できなかったら
卒業まで決まらなくとも
求人を待とうと決めていました。
どうしてもそこは譲れなかったんです。
幸いにもトントン拍子で
就職まで辿り着けました。
最初の5年位
会社の社風として
人間関係がいいところがあって
面倒見が良い人が揃っていて
新人時代から
楽しく仕事が出来た点が
一番いいところだと思います。
1年目は残業が非常に多い部署で
先輩も指導する余裕もない状態で
放置されまっくてて
そんな中、
見様見真似で仕事をしていました。
基礎の情報もあまり教えてもらって
なかったと思う。
指導がない中、やっていたので
間違えも多くなり、
よく怒られていました。
今考えると
学生あがりの子が
いきなり仕事が出来る訳が
あるわけがありません。
今の時代なら
手取り足取り教えてくれたり
するのでしょうか?
時代も”見て覚えろ”的な風土も
残されていた時代ではありましたが、
とにかく先輩に時間がなく
そこに関しては申し訳なく
思ってくれていたようです。
そこから異動になって
違う仕事に移ったのですが、
引き継ぎもほぼない状況で
前任者が退職してしまい
誰も私の仕事の内容も知らない中、
手探りで仕事をしていました。
仕事に慣れるまで何年も掛かりました。
そちらの部署はまさに昔ながらの
”見て覚えろ”の仕事の仕方で
指導というものはありませんでした。
5年もすると
社内の人にも信頼されるような仕事が
出来るようになっていきました。
初めは駄目でも
揉まれながらも続けていくことで
そういう評価をいただけるように
なりました。
今は駄目だと言われたとしても
その会社で頑張る気持ちがあるなら
地道に頑張り続けることが
重要だと感じます。
いい上司との出会い
異動した先の上司は
寡黙で真面目な人でした。
職場を取り仕切っていて
その人の言う事なら
誰も逆らわない。
正論すぎる仕事を
なさってたのもあったと思います。
基本的に部下には自由に仕事を
やらせてくれる人だったけど
あまりにも道を踏み外すような
仕事をした時には
しっかり助言する人でした。
初めはとっつきにくい雰囲気のある
感じがしたのですが、
見た目と違って
ブラックユーモアがあって
話すと楽しい人でした。
今は発言にも気をつけなくては
いけない時代になって
すぐに”セクハラ”と言われるけど
当時はライトな下ネタみたいな事を
よく言っていました。
私的に思うことなのですが、
若い女と年配の男性が仲良くなる
唯一の話題でもあり、
それでコミュニケーションを取るのが
普通でした。
(うちの会社だけかもしれないけど)
上司「俺があと30若かったら
◯◯さん(私)と・・・」
私 「ないですね」
食い気味で否定していたのは
上司「〇〇さん(私)と結婚する」
と皆の前とかで冗談ではあるけど
普通に言っていました。
少しでも太ったり痩せたりすると
すぐに指摘されたり。
結婚した後に
「子どもはまだか?」
「俺ので良ければあるぞ」とか
(これは3~4人言う人が居た。
逆に変な会社なのか?)
そういう冗談を言われたり
馬鹿だのなんだのって、
冗談ばかり言う人が多かったです。
(仲が良いから許されているんだけど)
私は私で
上司のことを年寄り扱いしたり、
頭が薄いだの、言いたい放題でした。
仕事の話をする時は
もちろん敬語で話していたけど
雑談をする時には
めちゃくちゃな事を言いながら
タメ口になったりもしていました。
時にはこちらは仕事の話で
真面目に質問しているのに
変な下ネタで返してきたり
私が驚く顔を見たくて
そんな意地悪な対応をしてくる時も
あったかな?
真面目に嘘つく時もあれば
嘘みたいな事を話す時に
実は本当だったり、
掴みどころのない人で
私の反応が面白かったようで、
上司は私との会話を
楽しんでいたようです。
そんな日々が楽しかったなぁ。
上司も言っていい子と
悪い子の分別は付いており、
私より下の世代には言っているところは
見たことがないかもしれない。
上司と仲が良かったから
もちろん仕事もやりやすかったし
同僚との人間関係的には
キツイ部分もあったけど
報告するまでもなく、
その様子を見ててくれているので
安心して仕事をしてこれました。
仕事も新規事業が始まったり
頭を捻って、創意工夫をしながら
どうにか乗り換えてきました。
上司も同僚も
めちゃくちゃ仕事ができる人だったから
若い時は付いていくのにやっとだったし
非常にいい経験をしたと思っています。
その時の経験が
今でも生きていると感じます。
上司が定年退職(アラサーの時)
その仲の良かった上司が
定年退職しました。
30過ぎて
心の支えとなる上司との別れがあり
社会人としての本当の意味での
スタートラインに立ったような
気持ちで居ました。
おんぶにだっこで甘えてきたけど
その頃には後輩も沢山出来て
自分が職場をもり立てていく立場に
なっていました。
それからは上司となる人が
短い期間で代わる代わる来たけど
この職場を良くしようと働きかけてくれる
上司は一人もいませんでした。
自らが出世する事しか頭にないし
職場を見ている人も誰も居なかった。
同僚たちも私も
”この職場は自分たちだけで
乗り越えていくしかない”という
そういう風土がありました。
だから当時の同僚たちとの
結束力は高かったと思います。
仕事はきっちりしながらも
仲が良かったし、
雑談で盛り上がったり
楽しく仕事をしていました。
30半ばになると
仕事内容も複雑化してきて
残業も多くて
疲れ切っていましたし、
相談する人が居ない状況で
周りから自分の弱さを感じさせないよう
虚勢を張っていた時期でもありました。
そうでもしないと
自分を保てないし
とにかく頑張るしか無いという
時期だったと思います。
退職へ(アラフォーで)
神経をすり減らしながらも
どうにか仕事を続けてきた訳ですが、
結婚してからは
家庭との両立に悩むことも
増えてきました。
会社は社歴の長い私に
期待をしているのも
肌感で感じてきたけど、
自分としてはこれ以上は
無理もできないし
少し仕事量が減ってくれたらと
思っていました。
仕事も家庭も全力。
残業がひどくとも
家庭では自炊をしていたし
当時忙しすぎて
記憶がありません。
目の前のことをやることで
手一杯でした。
そんな中、追い打ちを掛ける出来事が
続々起きていきます。
新任の上司が仕事をやっている感を出す為に
半年に1回、人事異動を繰り返すように
なりました。
半年に1度、人事異動に巻き込まれて
全く違う仕事をする子が
出てきてしまったり、
酷い状況になりました。
私の仕事が社内では
特殊な業種だった為、
その異動の騒ぎには
巻き込まれなかったけど
自分の部署が移転することに
なってしまいました。
私は業務量が尋常ではなく
自分の仕事をするのに手一杯で
元々居た営業所は
ベテランが揃っており、
本来なら私がやるべき仕事が出来ないため
周りに助けてもらってきました。
移動先では
社歴が短い子ばかりで
その子達の上に立って
やってくれと言わんばかりな
状況に追い込まれました。
その子達を助けるような
余力もないし、
これ以上無理は出来ないと
即、退職することを決めました。
その前にも
業務量を減らして欲しいと
相談したこともありましたが
それは叶いませんでした。
元上司(仲の良かった)にも
報告しました。
状況を説明すると
一言も止められる事は
言われませんでした。
退職しないためには
退職に追い込まれない為に
20年くらいやってきた中で
20年前と退職目前の仕事量は
ざっくり考えても
倍くらい増えていると思います。
そこは工夫と経験で
こなせてしまったので
”膨大な仕事量なので
一人で出来ません”と
声を上げ続ける事が
必要だったと思いました。
自分の力以上に
頑張らないと終わらないくらいの
仕事量にならないように
無理な時は”無理”と
上手く立ち回るべきでした。
立ち回りが上手い人は
あまり仕事もせずに
給料を貰っていたりもするので
ずっと会社に所属できるんだと
思います。
自分に必要なのは
ある意味、そういった
ずる賢さだと思います。
それでも真面目に生きていく
振り返って考えると
ずる賢く立ち回ればよかったなんて
思っているけど
それは自分の性格上
上手く立ち回れるかは疑問です。
人間関係や仕事をやりやすくしたいし、
そのために尽力したい。
周りから評価をされたいし、
信頼をされたい人間なんです。
その為に無理をするところが
あると自覚はしています。
その無理する部分が
駄目だったと今では痛感しています。
無理は長く続けられないですからね。
無理をしないって事だけは
自分にも出来そうです。
後ろ指を指されてる人が居た
部署の異動先で
これまで真面目にやってきたことが
正しかったんだと
感じさせる出来事がありました。
ずる賢い人が
周りから陰口を叩かれていたりも
何度も見たからです。
しなくていい残業をして
残業稼ぎをしたり
仕事をサボったりしている人がいて
それが社内に話が回りすぎていて
その状況を見てない人まで
陰口を言っていました。
言われている本人は
もちろん気づきません。
私はそちら側に行きたくない。
そう思うのです。
一生一度の人生で
ずる賢く生きて
お金を稼いだところで
何が楽しいんだろうと
思ってしまうのです。
まぁ、仕事をサボって
残業代を稼いだりと
本人は得しているつもりなんだろうけど
得だけ取る人生って無いんだなと
思ったし
後ろ指さされてまで
ズルしたくないと思った出来事でした。
そもそも人の面倒を見る必要が無い
退職するに至った理由として
部署移転があり、
若い人ばかりの営業所に
移ってきたのですが、
仕事的にはこれまでの仕事を続けるのみで
仕事を増えた訳ではありません。
そもそも地道に自分の仕事を
やればいいだけで
人の面倒を見る必要はありませんでした。
でも、これまでの自分の仕事の仕方が
自分の仕事を抱えていても
困っている後輩や頑張っている後輩たちを
放っておく事が出来ない性格なので、
気を配らなくてはと思っていたのです。
誰かが辞めるとなった時には
”もっとコミュニケーションを取って
話を聞いてあげたら退職にならなかったかも”と
思うこともありました。
何か不満があって
退職になるわけだしね。
退職して何年も経つけど
自分のように真面目な気質をもつ子が
何人かいるんだけど
無事に会社で活躍を続けてくれてたらと
思ってしまうのです。
自分の性格的に
面倒を見たがるのも
退職に至った理由の一つだったと思います。
退職時に初めて知った事
退職することになって
社内・社外の方々に
挨拶に行きました。
社内の人は
残念がってくれる人が
沢山居ました。
会社の体制も悪くなってきて
”お前みたいなのは辞めるのも
あり”だと言われたりもしました。
社外の人は
みんな驚きの顔を
していました。
”どうして?”
”なんでよ”と
言われることが多かったです。
そういう反応を見て
自分が20年間頑張ってきたことが
きちんと伝わっていたことが
よく分かったし、
真摯に頑張り続けて良かったと
感じました。
私の送別会を開いてくれたのですが、
その時に私と同じように
真面目な気質をもつ子に
”絶対に誰かが見ててくれるから
頑張ってね”
と声を掛けたことがありました。
”その人が声を掛けてくれるかもしれないし
声を掛けてくれないかもしれない。
でも絶対に見ててくれる人はいるから”と
付け加えました。
周りに理解者が居なくて
孤独に一人で頑張っている子も居るし
そういう真面目な子に
これから長年会社で戦うための
心持ちを伝えておけば
もし辛い時に私の言葉を
思い出して頑張る活力になったらと
エールを送って
退職の日を迎えました。
退職しようと思っていた時期があった
もし今の時代に就職していたら
多分20年も続けてこれなかったと
思います。
若い頃は仕事が辛すぎて
20代前半で退職を考えていました。
「次のボーナスを貰ったら
退職を伝えよう」
何年かはそう思っていました。
勤続年数5年、23歳頃に
急に続ける方向にシフトしました。
仕事に慣れてきたし、
周りとの関係性も良くなって
仕事が楽しくなってきたからです。
転職は簡単ですが、
自分の中でどういう事でもいいので
何かを成し遂げたと感じたら
転職するのもいいでしょう。
体調を崩したとかなら
即辞める必要がありますが、
そうでないなら
”やり遂げた”と思えた経験を
してからの方がいいでしょう。
辞めぐせが付きそうです。
成し遂げたことが自分の中で
自信にもなるし、
転職に向けて働きかけるときにも
成し遂げたことを
アピール出来ると思うのです。
それでも20年頑張ってきた
高校を卒業後、就職した会社で
長らく勤めてこれました。
1社で20年というのも
今の時代としては
長い方なのかな?
人生経験として
一つのことをやり遂げるという
経験が出来たと思うし、
忍耐強く続けてきて
良かったと思っています。
普通なら20年も続けられなかったと思う。
いい会社に入れたから
長年勤めてこれただけだと感じています。
尊敬できるような人に出会えたり
社内社外もいい人が多いから
頑張れたのだと思います。
そんな中、結婚をしたし、
仕事中心の生活に疑問を抱いていたし
仕事なんて他にもある訳で
どうにかなるでしょくらいな気持ちで
退職しました。
仕事的に大変な事が多かったけど
それも自分の成長へ繋がったと
思っています。
最初に就職する会社は
重要だと感じます。
転職する時に
やはり経験者を求められますし。
若いなら
未経験で雇ってもらえるので
色々な業種で経験を積むのもいいだろう。
そういう生き方も素敵だと思います。
今は多様な考え方で
仕事についても
一度入った会社に
定年まで居るという考え方では
無くなってきているし
時代とともに価値観は変わっていくものです。
私の時代は終身雇用が色濃かった時代なので
退職=悪い
とされてきたし、
そういう時代だったからこそ
どんなに辛くとも辞めるという
選択肢が無かったのです。
会社の方針が悪いせいで
自分のやっていた仕事が
規模が縮小していると聞きました。
そりゃそうですよ。
半年に1度も
担当者が変われば
他社からの信頼は
地の果てまで落ちるのも当然。
筆頭の取引先も
手を引いたと聞いて
本当に驚きました。
そのまま続けていたら
仕事も減って丁度良かったかもなんて
今だからそう言えるだけの話ですが。
(そんな状況にまで落ちぶれる仕事では
本来はないので予想が出来なさすぎます)
退職時の考え方
仕事も家庭も完璧に
家事が疎かになるのも
ずっと心苦しかったです。
旦那はそれについて
”よくやってるよ”と
いつも言ってくれていました。
朝ご飯も作って
お弁当を持たせて
夜も作っていましたから。
洗濯掃除は
必要に応じて程度に
なりましたけど。
その”完璧にやらなくては”という
気持ちが強かったせいで
自分で自分を苦しめてきた
経緯があります。
別にご飯が作れなかったら
惣菜を買ってもいいし、
仕事だって
出来ないことは出来ないって
はっきり言ったらいいんです。
それが”負け”みたいに
思っていた節はあると思います。
アラフォーはもう若くはないし
無理も出来ない年齢だと思います。
そんな生活を続けていたら
病気にでもなるでしょうと
直感で思って
退職する決断に繋がりました。
人生の決断について
その時、
その状況で、
自分の中でじっくり考えて
決断したことについて
後悔をしたことはありません。
今から考えても
”今”その状況下に置かれたらと
考えると
やはり退職して正解だったとしか
思えないのです。
人から言われてではなく
自らの決断で人生を歩んできたし
自分で決めたからこそ
後悔はないし
ベストな判断だったと思っています。
頑張りすぎた20年間
自分のために
周りのために
頑張ってきました。
いや頑張りすぎたと思います。
だからこそ、
辞める時に
誰もが優しい言葉をくれて
惜しんでもくれました。
そういう成功体験は
人生の中で
宝物だと感じます。
素晴らしい経験が出来た会社や
一緒にやってきた皆さんに
感謝をしなくてはと思います。