見出し画像

愛する父へ伝えたいこと〜震災の記憶|エッセイ


 お父さん。


 ――お父さんがこの世から何処にもいなくなって、もう何十年も経つのですね。


 あの年。


 病院嫌いだったお父さんは、珍しく健康診断に行くと言いました。個人経営をしていて、ずっと嫌がって行かなかったのに…



 何か、思うところがあったのでしょうか?



 阪神大震災の年でした。お父さんの健診予定はかき消えて、夜、家に居るのがこわくて、家族みんなで小学校へ毎晩避難しましたね。



 1月の厳しく冷え込んだ教室の床に、何枚も何枚も、支援物資の毛布を敷いて――



 それでも寒くて、震えながら寝ていましたね。


❄ ❄ ❄


 ひとり暮らしをしている弟とは、携帯の無い時代で連絡が取れず、車で下宿まで、一緒に探しに行ったでしょう。



 私が「ついて行く」と言ったのは、弟のことも心配だったけれど、お父さんのことも本当に心配だった。



もし独りで行ったら、弟が見つかるまで、夜中でも次の日でも、飲まず食わずで探し続けると思ったから…。


❄ ❄ ❄


 住んでいた地域から離れるにつれ、被害はどんどん増していき、特撮のようにビルは真横に倒れ、道路も混乱し。


 途中、高速ではなくなってしまった道路で、丸いガスタンクが爆発の可能性があると噂が流れ、逃げる人々の姿があり。



 倒壊や救助している姿も見られるようになって、私たちは、嫌な予感に無言になっていました。


❄ ❄ ❄


 弟の下宿に着くと、予感通り、壊れて目茶苦茶になっていました。



 私も絶句したし、お父さんが顔色を失っていたのが、横にいて分かりました。


 その後何とか脱出していることを望んで、私たちは目ぼしい学校をあちこち訪ね、グラウンドの焚き火で暖を取る人たちを見て歩いたり、校内で名前を呼びながら、探し回りましたね。



 足が棒になるほど探したけれど、見付からなかった。



 日が暮れてきて、お父さんと車に戻り、私はお茶と食べものをすすめて、「今日は帰ろう」と言いました。


 お父さんはそのことにうなづくことなく、ほとんど車の通っていない幹線道路に戻りましたね。


❄ ❄ ❄


 
 家に帰ると、弟から電話があったということでした。

 そんな話を聞き、お父さんと私はほっと胸を撫で下ろしました。


 ―――後から思うことですが……



 弟を探しているときのお父さんの必死な横顔を見て、聞こえてきたような気が実はしたのです。


 「自分の命と引き換えに、息子を戻してくれ」というお父さんの声が…





 震災の影響がようやく落ち着いたかに見えた夏頃。


 お父さんが、お母さんと一緒に、病院から帰って来ました。


 お母さんはひどく固い顔をして、
お父さんに見つからないように私に小さなメモを渡しました。



 中をそっと見ると、

 “ガン 悪性”

 と書かれていました。


 一瞬、目が眩んだようになりました。ガンが死と直結していたあの頃、
本人への告知義務はありませんでした。


 もし、震災が無ければ……
健診に行き、転移が少なくて済んで、今でも生きているかも…と思うことがあります。



 私たちは、お父さんの死が近いことを知りつつ、ホスピスのように悲しむ顔を見せずに、つとめてお父さんの最期が明るくなるように振る舞いました。


❄ ❄ ❄


 お医者様の診立てどおり、きっかり3ヶ月後のお誕生日の頃、お父さんは旅立ちましたね。


 遺影の写真はまだ若い笑顔で……


 その日から……毎日が、モノクロに変わりました。


❄ ❄ ❄


お父さん。

今私が好きな音楽、

様々なカルチャー、美意識、

私を形作る思考のほぼ全ては、

お父さんが並べていた

音楽、本、雑誌から

得て、

発展したものばかりです。

お父さんは思い出の代わりに、

私にその宝物をくれたのですね。


❄ ❄ ❄


生まれ変わっても
今の家族が良いけれど……


小さい頃夢見た、

「お父さんのお嫁さんになる」

という望みは、
今もまだ心の奥底に残っています。


―――お父さん。


布団の中にもぐって、
朝起こしに行ったお父さん。


甘い煙草の匂いをさせて、
一緒に起きてくれたお父さん。


私は…優しいお父さんの娘で、
本当に幸せでした。


いつまでも、どうか空から
見守っていて下さい。


お父さん……


お父さん。


私を育ててくれて、
本当に有難う。






私が小さな子どもの頃、

眠りやすいよう

子守歌代わりにリミックスしてくれた

テープに入っていた、

ナット・キング・コール

大切な曲をご紹介いたします。

どうぞ お聴きください。

“ Smile ”




❄ ❄ ❄


 父は、ジャン・レノや山中教授と風貌や雰囲気が似ていて、穏やかでお洒落な人でした。


 とくに山中教授は関西の方で話し方までそっくりで、テレビで拝見した折、心臓が掴まれたかと思いました。


 父は、理想の男性のアイコンです。ことあるごとに思い出しては、しみじみ懐かしく涙腺が緩みます。


 父に会ったら話したいことを、書き連ねてみました。


↓ ↓ ↓

 思い出しているひとこま。


↓ ↓ ↓

 母についてはこちら。







 昨年、1月1日に能登半島地震により犠牲となられた方々には、心よりお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


 被災地域の皆様の安全確保、そして一日も早い復旧・復興を、衷心よりお祈り申し上げます。


(2025.1.17改稿)


❄ ❄ ❄


 お読み頂き有難うございました!


 スキ、フォロー、コメント、シェアなどが励みになります。


 また、次の記事でお会いしましょう!



🌟I am little noter.🌟


 🤍


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集