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アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑥「そんな問題じゃない」

わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。

 

前回の記事はこちら



今日は6日目。

「そんな問題じゃない」


 


この頃は、家でも学校でも、毎日ふさぎ込んでいました。
何をしても自信もなく、被害者意識で辛くなり
そんな自分をどうすることもできなく苦しい時期が続きました。


いじめは小4のクリスマス頃には終わったと記憶してます。


人がすっかり怖くなり、学校でもほとんど人と会話しない。
休み時間も一人。
他人と目も合わせないようにして
ただ日々を過ごす毎日。




いつも誰かが私の悪口を言っていると妄想したり

急に誰かに頭を思いっきり叩かれるのではと恐怖があり、
いつもビクビクしながら頭を守るような姿勢をしていました。



誰かと会話する時は、突然相手が私のことを嫌いになるのでは?
と恐怖がありました。


とりあえず学校は嫌でしたが、

家にいるよりマシなので休まずいきました。



 

 

母親に褒めてもらえたのは
夏休みの課題で提出した習字
「水」
という文字が学校で表彰された1回のみ。



母親は習字が好きで、大人になっても
習いに行っていました。 

「aki、やればできるんでしょ」と
上から目線で喜んでくれました。
心の中は複雑でした。

 


自分の好きな習字で娘が賞を取った。
結果を重視していた母は
それは嬉しかった思います。
 

 

母は習字が大好きだったので、私は習字が大嫌いでした。

 


母は家政科を出たようで
家事に関してはなんでもサクサクとやってくれました。
そこが誇りなのか、完璧にこなそうとしていました。


料理は絶対に手を抜かない、
いつも茶の間は埃ひとつない、
汚れ物は手洗いしてから洗濯機へ。

家事が得意でした。


特に料理は気合が入っていました。
カップラーメンとインスタントラーメンは食べるけど
冷凍食品は一切使わない。

手の込んだものを作るのが好き。メニューも豊富でした。

イカリング、コロッケ、揚げ物系、魚の煮物。
どのメニューも、1から作っていて、美味しいしすごいなと思っていまし。





 

母は運転免許もなく、家で刺繍の内職をしていて
ほとんど家にいました。

刺繍したあとの裏に貼ってある紙を
取り除くのは私の数少ないお手伝いできること。 


 

母親の負担をす少しでも減らして笑顔で喜んで欲しいのと、

うちにはお金がないと言っていたので
家族を守らなくてはと

私も必死にお手伝いしました。





そろばんは順調に級を進み
6年生の秋には1級まで取得しました。
地域で開催しているそろばんの大会にも出場しました。
ですが、有段者ばかりの大会でいい成績は当然とれず
 

すでに自己肯定感がダダ下がりでしたので
いい成績を取れない自分を「やっぱりダメな自分」として
自分で自分に言い聞かせるのが当たり前になっていました。




いじめられた辛さを抜け出した5年生。


その後私は、ひどいことをしてしまいました。

自分がいじめに遭って、あんなに嫌な思いをしたのに

お友達のBちゃんと転校生できたAちゃんに嫌がらせをしたのです。


多くの人の前での嫌がらせではなく、
陰でこそこそとです。

嫌がらせをしながら、「本当に自分は人としてダメなやつ」
「どうせ価値ないし」
とさらに自分を責めることにつながる行動を
重ねていきました。


その後転校生だったお友達に謝り、
中学卒業まで仲良くしてもらい、

彼女の結婚式の友人代表をさせていただきました。



あの時の転校生だったAちゃんに
本当にごめんないと思っています。

大人になって、再度当時のことを謝りました。



5年生、6年生頃からは
母親から怒られるたびに


「あんたのためなんだよ」
「誰のためだと思ってるんだ!!このやろう」
「akiのためなんだ」と
物に八つ当たりしする音と共に言われ続け、
母親の期待に応えられない自分を責め、
ますます罪悪感を感じるように。


 

私が辛いんだ、という話をすると
自分の時はこんなに大変だったんだ、
可哀想だったんだ、
同情しなさい、
という話ばかり。
そんなに大変だった母親のことを無視もできないし、
大切にしてあげたい。
でもいつも私の話は聞いてくれない。
どうしたら母親を慰めてあげられるのだろう。。。。と
元気にしてあげられない自分にがっかりすることも多々ありました。


 



 


5年生のある日、何がきっかけか忘れましたが、

(いつもの通り、テストの点数が悪い?
妹の面倒を見ない?
部屋が汚い?どれかだったような気がします)


何かの理由で

しつこく激しく罵倒され怒られました。


 

勇気を振り絞って
頭の中がグルグルしながら
震えながら必死に渾身の思いでやっと聞いたんです。



「そんなにいつも怒るのは、私のこと嫌いなんでしょ」



泣きながら、怖くて怖くて怖すぎたけど

いつもイライラしていて、
「あんたのため」と自分の理想を押し付けてくる母へ
どうしても聞きたくて母に訴えました。




 

「嫌いじゃないよ」と言って欲しくて。



 

もらえた返事は



「そんな問題じゃない」





  

ショックでした。




そうか、好きじゃないし、
嫌いじゃないけど、

好きとか、嫌いとかそういう問題じゃないんだ。


 

 

そもそも

好き、嫌いのレベルの話ではないんだ。 



 


どんなにお手伝いをしても、

機嫌をとっても

そろばんを頑張っても

言われたことに従っても

「お姉ちゃんなんだからできて当たり前」に答えようとしても

かなりわがままな1番したの妹のお世話をしても

母の悲しい話に同情して慰めても

どんなに頑張っても




母の理想の友達と仲良くしないと、
学校のテストでいい点数を取らないと
運動ができないと
二重の可愛い顔じゃないと
完璧じゃないと
母の理想を叶えないと



母にとって私という存在は

価値もないし好きになってもらえないし
認めてもらえないんだ。




 

 

もう、いい。

 

全部あなたのいうとおりにします。


私は、もう自分の意見も言いません。
感情も消します。


あなたの指示通りに奴隷として生きます。

 


全てを諦めました。






父親は、いつも傍観者でした。

私がどこまでも責められ理不尽なことで怒られても
見て見ぬふり。
そして、
「お母さんの言うことを聞きなさい」
「ちゃんとしなさい」と言うメッセージをなん度も送ってきました。

いつも仕事が忙しく、遅い時間にしか帰ってこなく、ほとんど家にいませんでした。


でも、ドライブが好きで動物園や湖などにも連れて行ってくれました。


母が父親に
父親の親(私にとってのおじいちゃんおばあちゃんの)の文句、
悪口を言っても何も答えない。

いつもこの家は母親に主導権があり、
1番したの妹以外は誰も逆らえないし、
みんなが極度の緊張状態でした。


そして、私だけ、この家族のメンバーとなんか違うと
感じていました。





6年生になり

相変わらず家では母親の否定が続いていましたが、
学校ではいじめられたこと、嫌がらせをしたことが落ち着いてきました。
そして少しずつお友達ができ、人と話せるように回復していきました。


その時の担任の先生が、
「あなたは、笑顔がいい」と褒めてくれて。

人を信じられなくなっていたので、
「本当かな?」と疑いつつも、ちょっと嬉しかったです。



学芸会で1年生のお世話をする担当になりました。
今でも覚えているのですが、
年生がすごく可愛くて可愛くて。

「はい、並ぶよー」と言うと一生懸命並んでくれたり。
「しー、静かにねー」というと大人しくなってくれたり。
人と接することって楽しいな、

小さい子って可愛いな、と心が暖かくなる出来事があり
人と関わる仕事をしたいな、と思いました。




秋ころ、星好きのお友達ができました。


私自身も星や宇宙に興味がありました。
父親が見ていた「地球大紀行」や宇宙に関する番組が大好き。


ある日、お友達の家に行った時に衝撃を受けたのです。


その子のお部屋には、大きな

「アンドロメダ銀河」のポスターが。





私は一気に、宇宙の広大さ、光の美しさ、儚さ、不思議さに心惹かれたのです。

家族で星好きの一家と仲良くなり、小さなアンドロメダ銀河の葉書をもらい
いつも眺めていました。

私は少し自分を肯定してもらえたような気がしました。


その日からますます星や宇宙、地球は付かず離れずそばにあり、
そのおかげで繋がりや新しい人脈ができ海外旅行に行ったり
心を救われたりと
星や宇宙の存在は、私をサポートしてくれるものとなりました。



母は、星なんて好きになっても何にもならないと
星好きのお友達ができたんだよ、と報告しても
冷めた目と表情で私を見下して、悲しかったです。




 

 

次回は、7日目。

「決めさせてもらえなかった高校受験」



つづく


いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます😊

自分を生きてこれなかったアダルトチルドレンママの
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メンタルコーチaki

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35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。