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アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑧「皮肉にも自分に合っていたS高校」
わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
前回の記事はこちら
↓
本日は8日目。
「皮肉にも自分に合っていたS高校」
自分がどうしても受けたかった
近所のA高校受験を諦め、
母からの「S高校にしないさい」
とのしつこさに行きたいA高校受験を
悔しさで泣きながら諦めた中学3年生の冬の終わり。
近所のスーパーに貼り出された発表を1人で見にいき
合格を知りました。
そうだよね、落ちるわけないよね。
周りで「おめでとう」「やったぁ」「合格!」
と嬉しそうな声が響き渡る中、トボトボと1人寂しく家に帰りました。
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帰ってきてから、本当は受けたかったA高校の合格発表を
そこを受けたお友達と一緒に直接学校へ見にいきました。
当然、私の名前はなくて。
本当はここで喜んでいたはずなのに。
友達の合格を一緒に喜びながら心は寂しさでいっぱいでした。
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笑顔も、喜びも感じなく、冷めた心で
高校生活が始まりました。
汽車で通学。
家からかなり離れた学校へ通うことは
親との時間がますます減り、
結果監視されることがかなり減り
一気に緊張感が半分くらいになり楽になりました。
母はどんなに大変でも、毎日お弁当を作ってくれました。
満足気に制服、ジャージ、カバンも買ってくれました。
S高校は商業科で、私にとって勉強はやりがいを感じ
そして商売や事務系の学びは楽しくて得意でした。
全商簿記会計1級の試験も楽しい!で合格。
情報処理の学びや珠算は二段。
授業の一環で、当時では珍しい
総合実践という授業がありました。
自分が会社の経営者になり
簿記の記帳や償却、決算書、小切手を切ったりと
事務仕事、会社同士のやり取りから
お金の流れや利益の出し方など
とても楽しくワクワクするものでした。
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普通科の高校では得られない知識と楽しさを得たのです。
自己肯定感は低いままでしたが、
事務系の学びは、ほんの少し自信を回復させてくれました。
私の父は普通のサラリーマンでしたが、
父方の曽祖父は戦争で破綻するまでは
商売をしていて樺太で成功した人でした。
東京のデパートから
わざわざ洋服を取り寄せたりしていたそうです。
親戚は地方で小さなデパートを営んでいたり、
銀行員が多かったり
自分で仕事したり。
小さいですが個人で会社を経営して
CMを作っている人もいました。
私自身は、「商売」「人の力」にものすごく興味があり
かなりその血が濃いと感じています。
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高校では人生初めて「信頼できる友達」「仲間」もでき
勉強とちょっとの演劇部と
早く大人になりたいとアルバイトの日々を送りました。
3年生の秋頃になり、いざ就職活動。
先生からは、成績がいいので進学してほしい。
1人でも多く就職させたいので、
成績いいあなたは進学してください。
親に相談してね。と言われ帰りました。
自己肯定感なんて全くなかった私を
先生が褒めてくれて嬉しくなり、
大学生にちょっと憧れていた私は
早速家に帰り母親に伝えました。
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「そんなお金はない。就職しなさい」
私の浮かれた気持ちは一瞬で消えました。
そうか、大学に通うなんて無理だよね。
お金ないよね。。。。
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余談ですが
その後、妹たちは専門学校に入学したり
就職する代わりに車を買ってもらっていました。
私は、親と一緒に乗るという名目で
車代の半額を出してもらいました。
話は元に戻りますが、
高校生活は、親と一緒にいる時間も減り、
勉強もある程度できて
アルバイトを通して社会と関わり
その分監視も減り
かなり楽になりましたが、
私の自尊心は完全にズタズタでした。
いつ死んでもいい。価値がない。生きてても本当は意味がない人。
なぜかいつも「楽しめない」
みんなが大笑いしても、
私だけ上部の笑いで人に合わせるだけ。
自分の意見は絶対に言えないし、
自分の家族のことも話せない。
怒りや悲しみは感じるけど外側に
表現できないで、自分の中に押し込め
なかったことにする。
さらには「喜び」「楽しい」は心から
感じないようにしていたのです。
なぜなら母は、私が喜ぶと嫉妬したり
自分なんてどうせ、。。。
Akiはいいよね。。。。と
自分の辛い話に変えてしまうのです。
自分を守るため
傷つくようなことがあれば
本音を見ないようにして
深く落ち込み
感情に押しつぶされないようにしながら
動けなくなるのを無意識に防いでいました。
この思考の癖や行動が、ますます大人になっても手放すことができい
生きづらさにつながり続けることになったのです。
学校生活は、ずっと「隅っこにいて目立たないように」
して自分の意見も言わず、
なるべく存在を消していました。
どうせ私がやってもうまくいかない。
周りの人を嫌な気持ちにさせる。
私が関わると、チームが負ける。
そんな思いがいつもベースになりながらも、
家を出ることを目標に
自主的に勉強をし始めて
成績はいつも学年3位以内を保ちました。
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ですが一方で、誰にも本当の気持ちを出せない、孤独、
さらに未来への不安や自分には価値かないという
気持ちから、友達と何度か万引きをしたこともありました。
(お店の方、ごめんなさい)
自分に価値がないと思うと、
実際の行動にも現れるのだと今なら言えます。
自分自ら、価値がないようになるための
行動をしてしまうのです。
皮肉にも、母親が無理やり受けさせた
S高校は、私にあっていました。
母が不安から先回りして私に課した「絶対に落ちない高校受験」は
結果、良かったのです。
中学、高校と周りの友達は
吹奏楽、テニス部、生徒会、習い事、恋愛。
そんな青春て、いいね。
よく、テレビや漫画の世界にあるよね。でも私には関係ない。
選ばれた人がするものだ、と
自分のことは諦めていました。
結局、私は学年で1番最初に
就職先を決めることができました。
その企業は、
名誉や成果、人からの目、評価を重視していた
母親を異常なほど喜ばせました。
次回は⑨
「スピリチュアルに依存と運命の出会い」
つづく
いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます😊
自分を生きてこれなかったアダルトチルドレンママの
幸せマインド&望みを叶える
自分も人生も開花する
メンタルコーチaki
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