アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑤「この世から消える」泣き崩れた4年生
わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
前回の記事はこちら
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今日は5日目。
「この世から消える。泣き崩れた4年生」
私の好きな遊びは「自然の中の探検」
近所にある小さな裏山で1人で過ごすことが
多くありました。
趣味は「りぼん」の雑誌に出てくる漫画の絵を描いたり、
少女漫画を読むこと
星座占い
「十勝石」集めと四葉のクローバー集め。
幸せをいつも探していて、
幸せになれるものを集めるのが趣味でした。
集めた「十勝石(黒曜石)」を
学校から帰ってきたら毎日見るのが唯一の私の楽しみ。
石を見たり触っていると
自分が自分でいられる気がして安心できる時間でした。
3年生の担任は女性の先生でした。優しくて、大好き。
初めて先生って素敵だなと思えた時でした。
先生は新婚旅行でメキシコに行き、
こんな石を持って帰ってきたよ、とみんなの前で見せてくれた時は
とてもワクワクしました。
石が大好きだった私は
十勝石を団地の敷地内にある砂利の中から
毎日のように探していました。
そんなある日、
紫色に光る半透明の小さな石を見つけました。
ずっとこの綺麗な石はなんて言うんだろう?
と思っていた私は先生に見せました。
「わあ、紫水晶だね」
「よく見つけたね」
「大切にしたらいいね」と言ってもらえた時は
自分を肯定してもらえたように感じ、
胸が熱くなり涙が出るほど嬉しかったです。
でもある日、十勝石は消えました。
この日のことは、1年前のブログで書きました。
↓
https://note.com/brilliant_33/n/n297d5b5e408d
好きな石を捨てられ、やること全てを否定的にみられて。
どんどん自信がなくなっていきました。
この頃は、しょっちゅう頭痛があり
頭が痛いというと、
「またかい。akiはよく痛くなるね」
「どうしてなの」と怒られました。
担任の先生が大好きと過ごした3年生。
先生はいつも自然体で
子供たちに寄り添いながら接してくれるタイプだったと思います。
この1年間は、学校に行くのが楽しかったです。
産休のため、1年間のお付き合いでした。
この先生に出会えたことは、私の小学校生活の中で
唯一の心温まる思い出となっています。
そして4年生の春。
通っていた小学校の子供の人数が多くなり
新しくできたもう一つの学校と
住んでいる地域によって分かれました。
学校もバタバタしていて
半年ほど落ち着かない感じだったと記憶しています。
特定の友達はいませんでしたが、
ちょっと仲良くしてくれていたお友達と離れました。
その後、学校でいじめに遭いました。
女子2人から毎日の嫌がらせ。
みんな知らんぷり。
そのとき担任だった男の先生にも相談する勇気もなく。
ただひたすら、いじめに泣きながら
耐えていました。
家に帰れば親に受けれてもらえない。
否定される。
学校に行くと、いじめに遭う。
毎晩、泣きながら眠りにつきました。
自分にはそもそも生きている価値がない。
「どうして生きてるの?」
「なんのためにここにいるの?」
ばかりを考えてた日々。
母親が刺繍をしながら聞いていた
ラジオから聞こえる
テレフォン人生相談は悲しい話ばかり。
そんな秋のある日
「この世から消えよう」と決断しました。
次の日曜日。
親と妹たちが買い物に行ってる時間は1人になれる。
その日に死のう。
日曜が来ました。
家族はいつも通り買い物へ。
薄暗い夕方の狭い台所にいき、台所の小さな照明をつけました。
母親が普段使っている包丁を出して手首にかざし、
切ったら死ねる。
これで苦しみから逃れられる。
やっと楽になれる。
そう信じ手首に包丁を近づけて両目をギュッと瞑りました。
結局できませんでした。
血を想像するだけで怖くなりました。
そして、
私が死んだら、お葬式にお金がかかる。
親にお葬式の手間がかかり迷惑をかける。
死んだ子供を持つ親とレッテルを貼られるのは想像するだけでも怖い。
それでは結局死んでもお金のことを言われ、私は憎まれる。
親にとにかく迷惑をかけてはいけない。
死ぬ勇気もない、生きる勇気もない
ダメな自分だと号泣して
その場に泣き崩れ、しばらく立ち上がることはできず
ただひたすら泣いた10歳の出来事でした。
その日から、「死ぬ勇気も生きる勇気もないダメな自分」
と自分にレッテルを貼り、ますます生きづらさを抱えていきました。
でも、生きづらさを解消し、38年経った今の自分は
「死にたい」と同時に
「生きたい」
と願ったのだと思います。
この頃はほとんど人と会話もせず、ただただ静かに
外遊びか、女の人が泣いている顔ばかりを書いて
過ごしていました。
自分の気持ちは、一切誰にも言えませんでした。
絶対に表情にも、言葉としても
辛いことは見せないように必死でした。
親が怖いし、そんな表情を見せたら、また否定され嫌われる。
親に嫌われたくないし、困らせたくないし、
家族を守りたい。
誰にも相談できず、自分でなんとかするしかない。
と生きてきました。
この時期も、母親は何も知らず
美味しい料理を作ってくれていました。
その数ヶ月後。
何がきっかけなのかわかりませんが、
4年生の冬頃から
「そろばん」を習わせてくれたのです。
「そろばん」は家にいる窮屈な時間を減らしてくれたり、
頭の中で、そろばんを通しての計算の仕方といいますか、
今まで紙に書いての計算方法しか知らなかった思考回路から、
物事の見方を広げるきっかけを手に入れることができました。
数字のマジックと言いますか、概念が変わりました。
その捉え方はほんの少し、その後の私の生きづらさを減らして、
大人になってからも、
物事の考え方や生きることに対しての捉え方を
いつも支えてくれることになったのです。
数字と計算方法と物事の捉え方。
上手く言えませんが、それまでとは違う価値観を得られた感覚でした。
次回は
⑥勇気の質問へ「そんな問題じゃない」です。
つづく
最後までお読みくださり、ありがとうございました😊
自分を生きてこれなかったアダルトチルドレンママの
幸せマインド&望みを叶える
自分も人生も開花する
メンタルコーチaki