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気がつけば見る目ができている
いけばなを教える時、基本のいけ方を学んでいる途中だったとしても、慣れていたとしても、「それをすることで、どんな効果があるか」を伝えるように心がけています。
そして、いけ手自身が『気持ちいい!』『美しい』、まぁ何でも良いのですが、その時の最高だ!と自分が納得いくとこまで追求した上で、アドバイスした効果も実感してもらうようにしています。
例えば。
透明のガラスの器にいけたい人がいます。
透明だから、当然、中が見える。
見えている茎のことや、植物が生きてくための中の水じゃないということや、様々なことを話していきます。
花材問わず、透明な器だから考えなければならないこともある。
いけたものを見て、色々なアドバイスをしていくわけです。
今日の花材で、いけ手がどんなコンセプトでいけようとしてるか、どんなことをしたいかを見て、聞いて、
そうやっていけたいのなら、こうするとより良くなるよ!なぜならば...
と、伝えます。
最初は、花を飾ろうという意識で取り組む方が多い、それは子供のレッスンでもそうです。
でも、毎回自分の中のベストを尽くし、こちらのアドバイスを毎回飲みこむことで
ある日
「この花材でこうしたい、それでこんな表現をしたい」と、自分の中の表現が出てきます。それは、明らかに、初めの頃の花を飾る感覚からアートないけばなの思考へと変化したことがわかります。
この変化するタイミングに遭遇すると、教えた私はある意味成功!で、とっても嬉しい気持ちになるのです。
ある小学生が、
初めの頃は、かわいい花を選び、お花が好きだからかわいく飾りたい、だったのが
5回目のレッスンで、花びらをちぎりテーブルに撒いて、半分花びらのない花をいけて、こちらをドキッとさせてくれました。なんていう表現を思いつくんだ!!と。
花材を見る目、その花材で自分の表現をする目、知らないうちに養われていき、花との向き合い方にも変化がでてくるものです。
終わることのない自由研究です。