『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』と『無敵超人 ザンボット3』の記憶について
『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』観てきた。爽快感と安心感を充分に摂取した気分で映画館を出た。「TVアニメの劇場版」というジャンルがあるとして、その王道をいろんな意味で体現している映画だと感じた。
『名探偵コナン』の劇場版に近しい感じをもったのは、冒頭の状況説明パート(コナンの場合は小さくなった、こちらは疑似家族になった、それぞれの経緯)の組み込まれ具合と、カップルや家族連れの目立つ客層からくるものかもしれない。
アーニャの年齢相応の行動原理と疑似両親のめいめいの思惑を「東西対立」という政治性を背景に物語る……という作品を、ことさらに「子供向けであるか否か」といった遡上にのせる気はあまりない。リアリティのレベルをどこいらへんに引いて観ればいいかを決めさせてくれる細部はこの作品のいたるところに転がっているので、それを拾って自分なりに作品に接する、という体験に、じつのところ「年齢」は関係ないと思っている。
自分はほとんど小学生になるかならないかというくらいの年齢で『無敵超人 ザンボット3』を観た。なんでこんなことが起きるのか、当時の自分が理解できていたか甚だあやしいけれど、人間爆弾としてあっさりと吹き飛ぶ主人公に近しいキャラクターたちのことを、自分ははっきりと記憶したし、今に至るまで、そんな作品を届けてくれた富野喜幸(由悠季)監督の、そこに込められた声のことを、考え続けている。あの描写が当時の自分の「年齢相応」であったとはとても思わないけれど、それは確かに自分の宝物になったのだ。
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