こんなドキュメンタリーだと思わなかったーアッバス・キアロスタミ監督の「ホームワーク」
◆驚きの連続でした「ホームワーク」
「桜桃の味」や「友だちのうちはどこ」で知られるイランのアッバス・キアロスタミ監督(2016年没)が小学校低学年児の言葉と表情だけで作った1989年のドキュメンタリー「ホームワーク」。
私の感想は「2022年の今は当時と様変わりしていることを心から望む」の一言です。
◆監督の予想を超えた作品になったんだと思います
ドキュメンタリーを撮ったきっかけは、当時、キアロスタミ監督自身が感じていた子供の宿題のあまりの多さ。「どういう事態なんだろう」と多分好奇心で子供たちにインタビューし始めたんだと思います。
この監督がこれまでの作品で観せてくれた子供たちの素朴な可愛らしさの延長だと思って軽い気持で観始めたのですが、途中からはなんだこれは!と驚きと怒りと悲しさを感じずにはいられませんでした。
◆子供へのインタビューで見えてくるのは、驚くことばかりです。
*子どもにインタビューするキアロスタミ監督
小学校1、2年生の子どもが夜中まで終わらない宿題を毎日出されている。親は両親そろって文盲という環境の家庭もある。家庭の事情で家の手伝い(下手したら家事全部)している子もいる。
それぞれの事情で誰にも教われないのに、大量の宿題をやっていかないと学校で怒られ時に体罰を受ける。学校では当然良い点数はもらえない。そうすると今度は親に怒られ、ベルトで叩かれる、それが子供たちの日常なのです。
さらに子どもたちは「アニメと宿題、どっちが好き」と監督に訊かれると、全員「宿題」と答えるのです。こんなのが子供の本音であるはずがない。子供たちは抑圧されきってしまって自分の本心も分からないのです。
「罰ってなに?」という質問には「ぶたれること」と皆答えられるのに「ご褒美って知ってる?」と聞かれると、これも全員「分からない」と答えます。悲しすぎます。
1年生の時に定規が折れるほどの体罰を教師から与えられたことがトラウマになり、監督たちを怖がって泣いてしまう子供がいました。この子は友人がそばに居ないと話をすることもままなりませんでした。
手で頭を覆うようにして教室に帰りたいと泣きながら監督たちに訴える姿はつらくて見ていられませんでした。
◆当時のイランの教育事情が見えました
1989年当時は親世代、教師たち、子どもたちの勉強内容や方法がそれぞれ違っていて教えたくても教わりたくても、どうにも上手くいかないことがこういった事態の大きな要因なのが作品から見えました。この教育制度は今は良い方に変わっている、と遠い日本で私は信じています。
◆大人の罪について
*ドキュメンタリーのワンシーン 教師に素直に従う幼い子どもたちの様子、どこの国でも見られる風景です。
最後に強烈に思いました。まだ真っ白な小学1年生たちに、教師が日々、自分の信じる宗教の教えを強く伝えるのはその国の文化と言えるでしょう。
でも「大きくなったらパイロットになって敵国の人を殺したい」と子供に言わせるのは、文化ではなく大人の罪です。
◆キアロスタミ監督は凄かったと改めて知りました
子どもの素の表情を引き出すことが得意だったキアロスタミ監督は、子供へのインタビューだけでとんでもないドキュメンタリーを作っていました。アッバス・キアロスタミってやっぱり物凄い人でした。