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【AD.1495.レオナルド自動人形】

 このスマブラステージは15世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチの作ったロボット(動く人型の人形)をステージにしたものです。

・ルネサンスについて
 西ヨーロッパは、紀元後1世紀に共和制ローマの勢力下になり、3世紀頃から北欧(スカンディナビア半島・ユトランド半島)から移動して来たゲルマン人が浸透、そしてゲルマン人が中東のユダヤ教から派生したキリスト教を受容しました。西ヨーロッパはゲルマン人の習俗、古代ローマの文化、キリスト教の文化が混ざりあいながら発展することになります。

(スカンディナビアのゲルマン人が信仰した北欧神話についてはこちらをご覧ください)↓



 古代ローマの彫刻や絵画は、正確な人体の描写、豊かな情緒表現、陰影を用いる絵画表現など、写実的で人間の存在感を強く感じさせるものでした。

 転じて、中世ヨーロッパにおいて強い影響力を持ったキリスト教では、絵や彫刻のような偶像を崇めることが禁止されていましたが、文字を読めない人にキリスト教を布教するには絵図を使った説明が有効だったので、聖書や聖人伝の内容を説明するための絵画が多数制作されました。
 説明を目的に描かれた絵には古代ローマのような写実的な表現や人間の存在感は求められず、キリスト教では肉体よりも精神を重要視したので、キリスト教絵画は平面的で人物は無表情な絵が主なものになりました。

 絵画や彫刻のような芸術は財力がなければ作れないので、中世の芸術はキリスト教教会の発注したものがほとんどでしたが、地中海貿易で栄えていたイタリア半島北部では、教会以外に財力を持った新興勢力が増加し、このような勢力がパトロンとなり、教会の意向に沿わない芸術を作れるようになりました。加えて古代ローマの遺跡の発掘、1453年に滅びた東ローマ帝国から学者が大量に避難してきたことで、イタリアで古代ローマとその前身の古代ギリシャの文化を復興する運動が広がりました。こうした動きは後代になってルネサンス(フランス語で再生の意味)と呼ばれることになります。
(古代ギリシャ・ローマについてはこちらをご覧ください)↓

 古代ローマの彫刻・絵画に見られた写実性を獲得するために、ルネサンスの絵画は遠近法や陰影をつけた表現が発達して立体的になり、正確な人体を描くために、遺体を解剖して骨格や筋肉のつきかたを研究する解剖学が盛んになりました。


・レオナルド・ダ・ヴィンチとロボットについて
 1452年に生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチはルネサンス期の芸術家の中でも特に好奇心旺盛で、あらゆることに興味を持ち様々な研究に打ち込みました。
 1482年~1499年までミラノで活動していたレオナルドは、ミラノ公が主催した祝賀会の出し物として鎧を着た動く騎士の人形を作りました。この騎士の人形は滑車と紐と歯車で作動し、立つ、座る、腕を動かすなどの動きができたと言われています。(ミラノは鎧の名産地として有名でした)


 この人形を作ったころのレオナルドは解剖学を熱心に研究していて、数十体の遺体を解剖し、緻密なスケッチを描き残しました。この人形を人間らしく動かすのに解剖学が活用されたと思われます。

 レオナルドは完成させた作品が少なく、描き残した手稿は出版されなかったため、19世紀に再評価されるまで存在を忘れられることになり、レオナルドの研究の多くは直接的には継承されませんでした。しかし人形を人間のように動かす試みは続き、1960年代には人間に代わって自動車を溶接する産業用ロボットが実現するなど、人間のように動く機械仕掛けの研究は今も進んでいます。



 このスマブラステージでは人形腹部の歯車が回り、左腕を動かすギミックを楽しめます。


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