スマブラステージ【AD.1931.記憶の固執】
記憶の固執は、画家サルバドール・ダリが1931年に発表した絵画です。時計がとろける斬新な表現が人気を集め、シュルレアリスム(超現実主義)の代表作となりました。
このスマブラステージでは、3つの時計の針が回転するギミックを搭載しています。
・シュルレアリスム(超現実主義)について
17世紀頃のヨーロッパで、人間の理性(知性)で客観的に世界を把握し、過去の因習、迷信から人間を解放せんとする啓蒙主義(合理主義)が勃興します。
(啓蒙主義についてはこちらを参照ください↓)
客観性を重視する啓蒙主義は、科学技術の発展を促し、蒸気機関車、蒸気船、内燃機関(ガソリン)車、飛行船などの交通革命、
鋼鉄、ガラス、鉄筋コンクリートを用いた、巨大な建築、
写真や映像の発明、海底ケーブルを用いた電信による情報革命、
など様々な発明が実現し、19世紀後半のヨーロッパは、社会はこのまま進歩し、よりよくなっていくだろう。という楽観的なムードの中にありました。(国内の貧富の差の拡大、植民地に対する収奪と人権侵害、など様々な問題はあったが、いずれ解消されるだろうと考えられました)
しかし、1914年に勃発した第一次世界大戦は、戦死者1600万人、戦傷者2000万人以上の甚大な犠牲者を出し、ヨーロッパは荒廃します。
この事態に、これまで正しいと信じられてきた近代的合理主義は、大きく動揺し、人間の理性には限界があるのではないかという疑義が文化人の中に生まれます。
その少し前の1900年頃、精神科医のジークムント・フロイトは、人が自覚していない無意識が人間の精神に存在し、人間の行動は無意識の影響を受けているという理論を発表していました。
フランスの詩人アンドレ・ブルトンは、フロイトの無意識の研究に注目、理性を排除し、無意識を探求することで、現実を超えた真のリアリティにたどり着き、荒廃した人間性を回復させる可能性を見出す運動シュルレアリスム(超現実主義)を立ち上げます。
ブルトンを中心とするシュルレアリストは、芸術家個人の意識や作為ではなく、無意識、夢、偶然などが反映された、既成概念にとらわれない作品を作ろうとします。催眠状態や極限状態で執筆を行う「自動筆記」や素材を偶然に任せて組み合わせる「コラージュ」などの手法が実験され、理性が働いている状態ではまず書けない意外性のある文章をつくることに成功します。
(自動筆記は、危険を伴う行為だったので、数年で行われなくなりました)
その後、シュルレアリスムは文章だけではなく、演劇、絵画、写真、映画などで実践され、意外な組み合わせ、ありえない組み合わせによって、受け手に驚きを与える作品と特徴づけられることになりました。
・サルバドール・ダリについて
スペイン出身の画家サルバドール・ダリは、幼いころから絵の才能に恵まれ、1922年に王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学。1927年にパリを訪れシュルレアリストと交流し、1929年に本格的にシュルレリスムに参加します。
ダリはスプーンを持ったまま椅子にもたれて眠りにつき、眠りに落ちるときスプーンが床に落ちる音で目を覚まし、直前まで見ていた夢の光景をスケッチする方法で、無意識のイメージを集め、美術アカデミーで身に着けた写実的な描写で、イメージを緻密に構成しました。
これに加えて、あるイメージが別のイメージにも見える「ダブルイメージ」という手法が使われます。
記憶の固執では、溶けたカマンベールチーズと、時計を同じモチーフとして描くことで、時計のようでもあり、チーズのようでもある、不思議な物体が描かれています。
記憶の固執はアメリカ(ニューヨーク)で高く評価され、ダリをはじめとするシュルレアリスム絵画は、1930年代のアメリカで流行します。
1939年から第二次世界大戦が発生、ヨーロッパはまたも荒廃し、多くの芸術家がアメリカに避難してきたことから、戦後はニューヨークが世界の芸術の中心となりましたが、シュルレアリスムの流行は、ニューヨークで芸術が盛り上がる下地を作りました。
しかし、無意識と無作為を重視するブルトンからは、綿密に、理性的に構成されたダリの作品は、シュレアリスムではないと非難され、ダリの商業主義への非難、政治信条の不一致などもあって、ダリはシュルレアリスムのグループから除名されます。(ダリの商業主義は妻のガラがプロデュースしたもので、ダリ自身は金銭に無頓着でした)
ブルトンからの無意識への挑戦はその後も続き、戦後のニューヨークでは、無意識や奇妙な世界を描こうとしたシュルレアリスムと、シュルレアリスムと同時期の20世紀初頭に発展していた、具体的な物を描かず、色と幾何学的図形の組み合わせで表現された絵画である、抽象絵画が交わり、1940年代には、体を激しく動かしながら抽象画を描くアクション・ペインティングの手法が、無意識を描く新たな手段として流行します。
1960年代のヒッピーカルチャーでは、瞑想や幻覚剤を使って、理性を超えた創造性を得ようとするなど、様々な方法が試みられましたが、理性主義を超克する方法は現在に至るまで確立されていません。
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