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嫌いな自分に手を差し伸べて、そして

私は自分のありのままを表現するのが苦手で、そしてそれが凄く怖く感じる。

慣れ親しんだ人や私のありのままを許してくれると私が思うことが出来た人、つまり心許せた人には出せる。


これが人見知りである最たる理由だと思う。


初めての人が沢山いる環境、自分から率先して動かなければいけない初めての環境、そんな環境にいると勝手に自分の心をギュッと抑圧している。

「あの人に話しかけたい」「でもきっと迷惑だ」
「これをしたい」「でもどうせ必要ない行動、足でまといだ」



根底では自分の存在や言動を何も信頼していないんだと思う。迷惑をかける存在。邪魔な存在。代わりなんていくらでも効く。私なんて。

きっと周りの方が何倍も優れている。

でもこの感情は、周りへの尊敬とはイコールではない。
どちらかと言えば、憎悪に近いような。

キラキラ輝いている、自分らしさを全開に出来ている人が嫌い。嫌悪感でいっぱいになる。


どうせ私になんて出来ないが先行して、その気持ちを補償するかのように他人を僻んでいる。やってみようともせず。






少し前までは、この感覚は尊敬や憧れの気持ちで留まっていた。

そして私の生きる希望になっていたような。
「私もあの人みたいになりたい」
そうやって、いろんなことを実行に移せていた。


良くも悪くも全能感に囚われていた。頑張れば何でも出来ると思っていた。
でもやっぱり頑張っても出来ないことはある。

憧れを生きる希望とすることは、同時に、それに到達出来ないことが分かった途端に生きることが絶望に変わってしまう。

結局これは、信頼できない自分を消そうとする行為でしか無かった。





自分を抑圧するのも、自分とは違う誰かになろうとすることも、結局自分のことを認めてあげられないだけだった。


キラキラしているように見える誰かになることに執着していた過去の私も、自分らしさを抑圧して誰かを僻み嫉む自分も、ただの表裏一体だ。何も変わってやいなかった。





等身大の、ありのままの私をただ事実として見つめる。周りの言葉や偏見に囚われずにただ真っ直ぐと。

己を値踏みせず、ただ事実として表現出来るようになる。

「これが私なんです」と淡々と表現出来るようになる。


きっとこれが私の目指したい本当の憧れであり、本当の私なのだ。








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