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不穏、なのに笑えるウクライナのロシア語作家のベストセラー『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ

『ペンギンの憂鬱』はこんな本

 ウクライナのキエフにて、しがない作家として生活しているヴィクトル。年は四十代、恋人とはなぜか長続きせず、一人暮らしで、ペットにミーシャというペンギンを飼っている。
 ヴィクトルは作家としてはなかなか食べていくのが難しく、とある新聞社に臨時の仕事を得ることになる。
 それはなんと死亡記事を書くこと、具体的には著名人の来歴をまとめて讃える追悼記事である。ただ、この記事、驚いたことに、本人が存命中に書けという指示が出るのだ。
 ちょっと不謹慎じゃない?って思いつつ、著名人の来歴を日々メモして、書いておく。そうすると、たまーにその著名人が亡くなって、記事が新聞に載って給料になる。
 ヴィクトルが経済的に安定すると、恋人も出来て、ひょんなことから幼い女の子も預かることになり、一見すると幸せそうな生活を送ることになる。
 ところがこの生活はどこか、不穏な気配を常にまとっているのだ。
 ひっそりと生活音の中にあった音が、いつからか、はっきりと聞き取れる独立した音となる。段々と音量が上がっていって、最後は大音響となって大事件を告げるのでは?、と読んでてハラハラする本である。

もうひとりの主人公、ペンギン、ミーシャの魅力!

 あらすじ紹介してから言うのもなんだけど、この小説の魅力の半分はこのペンギンなんじゃなかと思う。
 でも、それくらいこのペンギンのミーシャって可愛いというか、こう、撫で回してあげたくなる愛しさがある。
 体調一メートルくらいで、常にタキシード姿、ペタペタと歩くミーシャ。ヴィクトルが食事の準備をしないでおくと、首をかしげて、食事を所望するミーシャ。
 お風呂に水をためると喜んで飛び込み、ときおりドアの隙間からじっと撫でられるの待ってるミーシャ。
 どうですか、考えるだけでキュンとしませんか?犬猫とはまた違う良さがありますよね。
 そんな可愛い姿とは裏腹にミーシャの現状はなかなか過酷だ。
 もとは動物園に仲間たちと生活していたのだが、動物園がペンギンエリアを閉鎖することに。
 行き場がないペンギンたちの引き取り手が募集されて、結果、ミーシャはヴィクトルに飼われることになったのだ。
 が、ペンギンの本来の生存圏は南極だ。動物園ですらなく、一般人の家庭で住んでると当然暑い。そのストレスからミーシャはずーっと登場してから心を病んでいる。
 そう、タイトルの『ペンギンの憂鬱』とは、本当に心を病んでるミーシャのことを指している。
 
 え?まじで?と知ったヴィクトルが、さて、ミーシャのことをどうするのか、この奮闘ぶりも一つの見せ場だ。
 動物が登場する作品好きな人なら呼んでまず損しないと思う。それくらい無敵のアイドルぶりを発揮します、ミーシャ。

気がつけば疑似家族?一寸先は闇なウクライナの日々

 主人公は登場したときは、独り身なのだが、ひょんなことから四歳の女の子を預かる。ついで彼女も出来る。
 字面だけ見ればなんてことない話なのだが、序盤からこの小説は常に不穏な空気が背景に流れている。
 新聞社の仕事で出張に出かけると、出かけた町で銃の発砲事件がある。ラジをつければ、チェチェンでの戦闘についてのニュースがさらっと流れる。
 なぜか出社するたびに、異様な警戒心を募らせる編集長との会話。そしてとうとうヴィクトル自身も身を隠す羽目になるが…。
 静かな生活の中に突如入り込む暴力という雑音、最初は背景に溶け込んでいるのに、徐々に生活の中に入り込んでくるのが、なんとも不気味だ。
 気のせいかな?と思える偶然が、やがて確信に変わる。でも、彼女や女の子や仕事、そして何よりミーシャの問題に追われて問題解決を先送りしてしまうヴィクトル。
 しかし、確実に時間は進み、読み手にもヴィクトルにもひしひしと嫌な予感は伝わってくる。
 ラストに近づくにつれて、「待って、これ絶対こうなるよね?どうするの?」とボルテージは最高潮になっていく。
 ペンギンにキャッキャする一方で確実にやってくる破滅の予感、これってどうたたむ気なの?とジェットコースター気分が味わえる快感を、ぜひ。

ウクライナのロシア語作家:アンドレイ・クルコフ

 『ペンギンの憂鬱』の巻末には翻訳者の沼野恭子氏による、訳者あとがきが載っている。ウクライナでのロシア語作品というか、ロシア語を使う立場の作家についての言及があるので、こちらもぜひ目を通して欲しい。
 2004年に刊行された本だが、このときでもウクライナ語を使用してないウクライナ文学の作品が厳しい立場に置かれていると書かれている。
  
 ロシア語で書かれたウクライナ文学として、ウクライナ語以外の文学も含めるべきという著者の意見の紹介もされている。言語というのは確かに強力なアイデンティティの拠り所になる。
 国籍と母語がほぼ一致している日本社会から想像しにくい、複雑な問題を肌で感じずにはいられない。
 
 軽いようでいて、その実とんでもない作品を読めて本当に嬉しい。アンドレイ・クルコフさん、ありがとう。


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