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最悪な事が起こってしまう世界で、それでも前に進んでいくSF『暗闇の中をどこまで高く』


リレー形式で語られる、最悪なことが起こってしまう世界

 小説や映画、あるいはゲームどんな形式の物語にはある避けられない瞬間がある。嫌な予感がすると言うか、フラグが立つとでも言うか。要するに物語世界で一番起こって欲しくないことが起きそうな時が物語には存在する。
 推理小説なら犯人が見つからない、ヒーローが活躍する話なら悪が勝つ、恋愛ものなら恋が実らない。得して物語ではこの最悪な予感は往々にしてあたる、そこからエンタメ作品と呼ばれるものは大逆転のカタルシスに至るわけだから、必要悪でもある。
 世界が闇に閉ざされた絶望したとき、希望がもたらされる。光の原理というか、正義の勝利や輝きに満ちた何かが見出さられるわけだ。世の中にある王道のエンタメから神話まで人類が愛してきたプロットとも呼んでいいだろう。

 セコイア・ナガマツの『暗闇の中をどこまで高く』ではそんな王道な展開は一切ない。嫌な予感は当たるけど、逆転劇に当たる勝利の部分がないのだ。
 正義のヒーロー?そんなモノは出てこない。『暗闇の中をどこまで高く』は最悪の事が起こってしまった世界で、更に個人単位で悪い事が起きてしまう人たちの物語だ。異なる語り手が紡ぐストーリーが大きな絵を描き出す群像劇である。

『暗闇の中をどこまで高く』あらすじ、まずは穏やかに

 舞台は現代、最初の語り手はクリフという中高年男性。とある仕事のために北極に降り立つ。地球温暖化防止の研究をしていた娘が死亡し、遺体の確認をするためだ。
 仕事と生活のバランスで語り手と娘はなかなか意見が一致せず、心の距離がとうとう埋めらかった過去がある。娘の遺品整理やら、葬式などの雑務に追われながらクリフは娘のことを思い返す。
 孫娘を自分と妻に預けて地球を救うための仕事に勤しむ娘に誇りを覚える一方で、孫娘との関係をもっと真剣に考えて家にいて欲しいという思い。
 誇らしさと、伝えきれなかった想いと、自分には語られなかった言葉を日記で見てもっと上手く言えなかったかという後悔もある。
 そんな中で、娘が北極で死ぬ直前に見つけたある古代人の遺体から未知のウイルスが発見される。

本気逃げ出したくなった2話目、そしてその先

 2話目、1話目から数年後の世界。語り手はアジア系のコメディアン。なかなか売れず苦労してたところに、ある施設で定期の仕事をもらうが喜べないでいる。
 なぜなら彼の仕事とは、子どもたちが安楽死する前に訪れる安楽死のためのテーマパークできぐるみを着ることだから。実はこの時代、1話で見つかった未知のウイルスがパンデミックを起こしていた。
 致死率は高く、免疫力の低い子どもの患者は増え続ける。治療法も見つからず、死者の数だけが増えるなかであるアメリカの知事がとんでもないことを考え出す。
 それが子どものための安楽死施設、ようは患者の子どもに最後の楽しい思い出を提供して、出てくるときは棺に入っている状態になるわけだ。
 頭おかしいんじゃない?って読んでて思うけど、語りの滑らかさでグイグイ引き込まれてしまう。
 およそコメディアンという立場からかけ離れた週末ケアの仕事に、主人公は当然精神が参ってる。だって、毎日接するのは末期患者で助かる見込みがない子どもばっかりで。
 どれだけ笑わせても、子どもたちと親しくなってもその施設から生きて出てくる子はいないわけで。主人公は心の健康のために、患者の家族や子どもと個人的に親しくならないようにって誓いを立てている。
 _もう、おわかりですよね?
 主人公は避けたいと思ってたのに、ある患者の親子と親しくなってしまうわけ。この展開になったとき、正直私はここで読むの止めようかと本気で思った。
 先の展開が地獄なんじゃ?って予想が出来たから。そしてその予感通りに話は進んだ。もうね、暗いとか辛いとかじゃなかった…。
 その後も失恋や生き別れ、絶好などとにかく色んな形の喪失というか、最悪の事が起こってしまった人々の話が続く。本当に読んでて悪い事は全部起こる世界観で、はっきり言って重たい。なかなか読み進まない。でも、投げ出さないで読んで欲しい。

闇の中にも色がある、夜の闇を抜ける読書体験

 なんでかって言うと、読んでるうちにぼんやりと光りを感じるから。どの話も本当に最悪というか、お先真っ暗な底も底な感じなんだけど読んでいくうちにトーンが変わっていく。
 最初は治療法がなかった病気に、対処療法だけど治療法が見つかり、最後はブレイクスルーが訪れる。もちろん問題はあるんだけども、でも物事の風向きが変わるのが感じられる。
 『パーティーふたたび』では妻と娘を失くした元患者の男性がご近所でより合ってパーティーしようよって出した万人あての紹介状。これが、泣ける。
 自分は社交性ないし、特別なことはないけど、でも生きてるから妻と娘がいる間に出来なかったことを今やろうと思ってますっていう、シンプルな語りがね、泣けるんですよ。
 話も後半戦に入ったところで出てくるんだけど、物語世界はここらへんから急にスケールアップし、トーンも明るくなっていく。手遅れかもしれないけど和解をしようと実家に帰ってみたり、気の合わない相手と向き合ったり。
 そしてしんがりを務めるのはまさかの?というSFならではの視点でこの物語は幕を閉じる。この頃になると最初の頃の暗くてやるせない気持ちは失せている。静かに、でも前向きな気持ちになっているのだ。
 読むことで深い夜を越えて、最後に地平線の縁が光り輝き、最初の陽光を目撃する感じとでも言うか。静かな前向きさみたいなものが読後として残った。
 SFとしてはパンデミックとスケールの大きさが武器となる王道も王道の作品だけど、コロナを経験したあとの人ならSFとは思えないくらい身近に感じられる作品だ。SFに普段馴染みがない人でもガーッと没入できるので、SF普段読まないけど読みたいって人にもおすすめ。

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