Let's常識更新!グローバルな視点で探る『科学文明の起源』
常識をメンテナンスしたくなるとき
時代は変わる。10年は一昔だし、まして学校教育を受けたときなんてもはや大昔だ。世の中の常識がガンガン変わるこの時代、学校教育で学んだ知識を更新するのって結構なエネルギーがいる。
おまけにこの学校教育が自分に結構な偏見を抱かせてるかもしれないと、気がついたときのショックと来たら。ジェンダー規範や外国に対してのステレオタイプとか、誰に指摘されなくても気がつくと軽く自己嫌悪。
そういう時って結構凹むのですが、この本も読んでると自分の無知と偏見を自覚させられて面白いと同時に身につまされる。
でも、いいじゃないですか。そうやって自分で自分の偏見を打ち破って、常識を食い破っていこうよ。それが学ぶってことなんだろうから。というわけで今回は近代科学を巡る、ヨーロッパ中心主義からの脱却を目指すジェイムズ・ポスケット『科学文明の起源』です。
近代科学の起源を求めて
「近代科学」はヨーロッパから始まって、大航海時代から世界中での交流が始まったというもの。航海術が発達した結果、ヨーロッパがアメリカ大陸を「発見」し、植民地時代が始まって近代世界の幕が上がった。つまり近代世界を生み出したのはヨーロッパなわけだ。
今の学校ではどう教えてるのかしらないけど、これは私が学校の歴史の授業で聞いたことと全く同じ。なーんの疑問もなかったですね。
それはとんでもない間違いだ!って言うのがこの本の主張。何事も0から1が発生するワケがない。科学の発展っていうのは世界中で様々な知識体系が出会い、組み合わさることで少しずつ進んできた。それを今からお見せしましょうっていうわけ。
例えばアメリカ大陸には当時のヨーロッパにはない珍しい植物の宝庫だった。聖書にない植物を正確に記録するために、現地の人々の協力を得る必要があった。その顕著な例として紹介されるのがアステカの植物園や、アステカ帝国の人々の活躍だ。
科学史に名前が載らない人々である。これがこの本の視点だ。近代科学の発展とはグローバリズムの加速であると同時に、人種差別と植民地支配による搾取があったことを真正面から見つめている。
だから読んでて時には辛くなる。私たちが生きている世界は、この偏見と搾取に満ちた時代のあとにきた。帝国主義と植民地、そこからの世界大戦を経て。どれだけ私たちの時代は偏見や不平等を克服出来ただろう。
歴史っていうのは残酷で、容赦がない。この本の後半には第二次大戦にも話題は及び、原爆投下のあとに日本で遺伝学が発展したことが紹介される。なんとも言えない、気分になった。(ちょうど映画『オッペンハイマー』を見たあというのもあって、科学の敗北という言葉を感じたというのもある)
でも、日本だって韓国併合や南京大虐殺はしてるわけだしで…逃れようのない歴史の重みを感じてしまう。歴史を紐解けば誰もが誰かの被害者で加害者の子孫だ。せめてそのことを忘れないようにしたい。
忘れられた人々に光を当てる、グローバリズムを用いた科学史観
それでもこの本には暗い面と同じくらい明るい部分がある。今までの科学史では無視というか、言及すらされなかった人たちにスポットライトが当たるからだ。
例えばアステカの植物学者から航海士、鎖国時代の日本の博物学者だったり、植民地支配の逆境を乗り越えんと切磋琢磨するインドの物理学者だったりする。ロシアで活躍した女性の科学者もいる。
これらの人々の名前を知ることで何が分かるだろう。それは今からでも思い込みを克服できるってことだ。帝国主義から脱却し、搾取と争いの影に消された人々に光を当てることで見えてくるものがある。
それは教科書で学ぶ歴史よりも豊かだ。無味乾燥で事実だけが決定論のように書かれた歴史ではなく、互いに絡み合い、影響し合う人々の営みだ。この本はお決まりの有名な科学者の活躍が、どれだけ同時代の人たちの活躍に支えられたものかを教えてくれる。
学校教育で教えやすくするために捨てられてしまう部分、そこにいかに多くが宿っているのか、忘れられた人々の活躍に思いを馳せる。そんなきっかけをくれるいい本でした。
やっぱ常識はメンテナンスしないと駄目ですね。
おまけ、インカ帝国がヨーロッパを侵略する歴史改変小説『文明交錯』
最後にもう一冊本を紹介したい。グローバリズムが生み出す近代世界、この流れが逆だったらどうだろう。
そんなことを本気で考えて書いてしまった作家がいる。ローラン・ビネの『文明交錯』がそれだ。インカ帝国が宗教改革に揺れるヨーロッパを支配する過程を描いた歴史改変小説である。
インカ帝国がヨーロッパを支配?そんなんどうやって?と思うでしょう。実はこれが小説ならではの大胆な仕掛けがあって、物語はインカ帝国がヨーロッパに向かう数百年前から始まる。
南米大陸にあって、ヨーロッパにあるもの。馬、病気、銃を本来の歴史とは異なる方法でローラン・ビネは伝えてしまうわけ。準備段階だけでも面白い、とくに『科学文明の起源』を読んでるとなおのこと背景知識が入ってるので想像力が膨らむ。
あるいは簡単な近現代史の復習をしてから読むといいかもしれない。宗教改革のイベントがこうなるかってわかって楽しいことこの上ない。特にキリスト教の三位一体を巡る、多神教のインカ側がどう論じるかとかめっちゃ楽しかった。
4部構成になっているけど、もしとっつきにくいならいきなり3部から読み始めて1部、2部に戻って読むのもありかもしれない。歴史のダイナミックな流れをどうローラン・ビネが料理したかをお試しあれ。