映画『別れる決心』感想
夕飯のアジフライを食べていて、思い出した。
「シマ寿司……だったっけ」
あんなにおいしそうな寿司を、二人で食べたのに。思い出したとたん、「悲しみがインクの染みのように」広がった。
パク・チャヌク監督の映画『別れる決心』を観た。
敬愛する菊池成孔先生が『お嬢さん』を激賞されていたので、いつか観たいなと思っていたチャヌク作品。しかし、最近は暴力や性愛の描写がどぎついものを観ると衝撃をくらってしまうので、できるだけ遠ざけてきた。
今作は「サスペンス・ロマンス」ということで、これならばと楽しみに映画館へ出かけた。
ストーリーは、刑事・ヘジュンと被害者の妻・ソレの関係を軸に進む。ヘジュンは容疑者としてのソレに近づくうちに惹かれはじめ、ソレもまた……。街なかから霧深い片田舎へ、山頂から海辺へと舞台を移しながら、波乱に満ちたサスペンスが展開される。
言葉がさし出すものに疑念を抱きながら、それでも言葉にすがろうとする二人の姿はせつなく、ひき込まれた。
差し向かいで寿司を食べるシーン。初対面の二人は互いを観察し、探り合うような視線を交わす。言葉よりも見たものを信じるという点で一致をみたはずの二人だが、愛情が深まるごとに、「じれったい」とあがきながらも、頼りない言葉をよりどころにして、なんとか相手に近づこうとする。
スマホ遣いも鮮やかだ。トリックの飛び道具として仕込まれるだけでなく、言葉の壁をサスペンスに取り込むのに一役買っている。「中国人なので韓国語は苦手」と言うソレとのやり取りは、ときにスマホの翻訳機能を介することになり、真意のゆらぎがサスペンスの要素として織り込まれる。ハングルが読めない私は、二重三重に惑わされる。
返信を待つあいだ、スマホに映る「・・・」にオーバーラップするヘジュンの表情が忘れられない。言葉のやりとりの中にある宙吊り=サスペンスの悲しみが、「インクの染みのように」今も残っている。
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