挫折した時に金子みすゞさんの詩で救われた話。
こんばんは。HSS型HSP、アダルトチルドレンの性質をもつ1児の母です。
私がどん底のときに助けられた言葉についての話、そしてそこから少し飛躍して(笑)義務教育についての話も。
私は今まで真面目にコツコツ努力するタイプで、幼少期から優等生で通ってきた。
受験に失敗したこともなかった。
私はいつしか自分が優秀なのでは、と思うようになっていた。
ただ勉強する時間が、周りの人より長かっただけなのに。
大学の実習が始まり、その鼻はへし折られた。
机の上で勉強していたことが全く通用しないのだ。
臨機応変に現場の状況に合わせて動くこと。
一度経験したことを次からは自分ひとりで動くこと。
それが当たり前にできる同級生。
私は、先生と普通に会話をすることすら難しかった。簡単な質問をされても、とっさに言葉が出てこない……。
テストで良い得点が取れるからといって、優秀なわけではない。得た知識をどう活かすか。どう応用するか。現場で経験を積み、それをすぐにモノにしていかなければならない。
とてもショックだった。
まわりの人が容易に出来ることが、うまく出来ない…。
私はおかしいのだろうか?私は出来損ないなのだろうか?どうしたら良いのだろう…。
自分が人より優れているのだと勘違いしていただけに、その落差は大きかった。
そこからどんどん思考が悪い方向へと進み、生きているのが辛くなった。
なんとか実習には参加しつつ、休み時間にひとりで隠れて泣いたこともあった。
私以外の誰かになれたら良いのに…。
死ぬことは選びたくないけど、「この世界からそっと消える」ボタンがあったら迷わず押したい。消えたい…。
そう思いながら、騙し騙しやってきた、そんなある時。
ふっと、金子みすゞさんの詩が頭に思い浮かんだ。誰もが知っている、あの有名な詩である。
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私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のように
地面を速く走れない
私が体をゆすっても
きれいな音はでないけど
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ
鈴と、小鳥と、それから私 、
みんなちがって、みんないい
あ、あ、あ……
私が欲しかったのはこの言葉だ…。
思わず涙が出ていた。
私、生きてて良いんだ。
私、人と違うけど、それでも良いんだ。
あの人ができないことで、私にできることもあるよね。きっと。
そう思えて、急に肩の力が抜けた気がした。
許された気がした。
私と小鳥と鈴と、というタイトルだけど
詩の中では「鈴と、小鳥と、それから私」というならびになっていて。
それぞれ対等の関係性であって、誰が優れているというものではないのだというメッセージをそこにも感じる。
本当に自分が欲しているタイミングで思い出すことができた。
この詩のことばに救われた。
私が悩んでいること。
その答えは小学校3年生の頃にすでに習っていた。義務教育って凄いな…と思った。笑
義務教育は、人生を生きる上で必要な知識、技術はもちろん、人生が少し明るくなるような小さな種や、挫折したときに役立つ種など、無数の種を贈られている感覚だ。
その時にはいまいちピンとこなくても、いろんな経験を経る中で、その種が芽を出す。
一生のうちで、種のまま発芽しないものも沢山あるだろう。そして芽の育て方も自分次第だ。
令和の時代で、徹底的に効率を重視して無駄は徹底的に省く、そんな風潮であると思う。
学校に行く必要ないんじゃないか、なんて声も聞く。
なんのために勉強するの?
こんなの意味あるの???
将来、自分の子どもに聞かれたときには、私なりの答えを伝えたいと思う。
その時には必要性が分からなくとも、のちに芽を出す種が沢山埋まっているのだと。
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