現代版リトルマーメイド「恋はDeepに」についてずっと考えている。

ずっとと記載したが、3日前からである。
正確には木曜日の朝6時半に一気見を終え、現在土曜日に変わったところなので全然3日前とか言うのすら烏滸がましい。こんなもん、好き嫌い置いといてまだまだ余韻の範囲内である。
ただ、感想を書き残したいウズウズに突き動かされてnoteを投稿するくらいには「恋はDeepに」略して「恋ぷに」にハマっている。略称かわい〜。

このドラマは如何せん評価が低い。
TikTokでは顔面の無駄使いと書き込まれているし、バイト先の店長からは「え〜あれ最後まで見たんや?」と笑われた。最悪である。

かく言う私も一話……いや、二話を見終わった段階でもまだ「え〜」と思っていた。
正直最後まで見た今でさえ、「色々雑に投げられちゃったな」という感覚は抜けない。
そもそも「正反対の考えを持つ男女がなんやかんやあって結ばれるやつを期待して見始めたら主人公がアニメ声の魚と会話できる非人間だった!」の時点でかなりの人間が脱落したはずだ。「できるか?感情移入……」とこめかみを押さえたのも記憶に新しい。(なにせ3日前なのだ)

しかしながら、私はこのドラマが恐らく大好きだ。(恐らくとついているのは、なにせ見終わったばかりの一番アツい瞬間に書いているからである。月曜日には「海のはじまり」にすっかり上書きされて「木戸大聖サイコー!」と言っている可能性が大いにある)

私は幼い頃からリトルマーメイドがとにかく大好きである。記憶の限りでは初めて観たプリンセス映画がリトルマーメイドだったためそれから親の如く慕っている。初めて描いた絵も初めて貰ったサインもアリエルだった。劇団四季のリトルマーメイドは数少ない観劇履歴のひとつだ。一番好きな童話は「赤い靴」だが、多分二番手には「人魚姫」が入る。人魚という世界観自体がタイプなのだ。そんな訳なので、当然ディズニー+にも加入し、親に「気が狂うからやめて」と言われるまでリトルマーメイドを観た。実写も良かったね。

そんなリトルマーメイドと今回の恋はDeepにには共通点が多々ある。
特に分かりやすいのは第一話の綾野剛が海に溺れ石原さとみが助けるシーンだ。全話通しても最後海に帰ると決めた時以外で石原さとみが人魚に戻ったのはこの時だけ。朝日に照らされながら、人魚の姿で溺れた人間を助ける……全く同じ状況である。なにより私が感心したのはキスをしたあとの綾野剛目線のカットが完全にリトルマーメイドと一致していたことである。頭の向こうからチラチラと太陽が写り込む中、逆光で顔が暗い石原さとみが心配そうに見つめてくるカット。ありゃ完全にリトルマーメイドに出てくるカットと同じなのだ。何から何まで同じ。何も知らない私は寝そべる綾野剛と寄り添う石原さとみ辺りからずっと「アリエルですやん!」と愉快に笑っていたが、あのカットが出てきた瞬間軽く3倍の声量で「ええ!?」と言ってしまった。(怖いくらい鈍感なので人魚の伏線だとは思わず偶然酷似したカットが生まれたのだと解釈した)

またある時はバーベキューに行くのだが、この時石原さとみは綾野剛が子持ちで結婚していると斜め上のぶっ飛び勘違いをしてギクシャクする。視聴中こそ「爆速で解決した上に特に進展に関係なかったし、この勘違い挟む必要あったか?」と思ってしまったが、よくよく考えればこれもリトルマーメイド要素だった。エリックが他の女と結婚するってなってアリエルめちゃくちゃ落ち込んでたわ。……となるともう綾野剛に追い詰められてる時夕日に照らされて憂いた表情を浮かべる石原さとみの横顔のカットも、結婚に落ち込んで海辺でしゃがみこみ夕日に照らされながら涙を流すアリエルにしか見えない。どっちも背中に柱あるし……。

そうやって他のものに目を向けてみれば、人間に恋するなんて有り得ない!といいつつ石原さとみを心配していたうなぎみたいなニョロニョロした魚はセバスチャンだし、妙に物分りの良い藤森慎吾はエリックのお目付け役の爺やだろうと分かってくる。これ以外にも様々なオマージュを見過ごしているはずだ。遊園地のゴーカートのシーンとかもアリエルとエリックの馬車デートを彷彿とさせる。3年後海辺に再び現れた時の石原さとみの格好も、陸にあがりたてのアリエルの格好によく似ている。こじつけだという意見は受け付ける。

とはいえ、恋はDeepにはリトルマーメイドを現代版にオマージュしたものであると断言して差し支えないはずだ。この脚本を作る上で人魚モノであるリトルマーメイドを確認せずに進めるわけが無いので、ガッツリ意識してオマージュを忍ばせてくれていたのだと思う。中々気付きにくいオマージュだと思うが、このくらいじゃないとすぐに人魚に辿りつけてしまうからこれくらいがいい。実際当時も一話ラストを起因として人魚説が出ていたらしい。私は本当にドドドドド鈍感なので、魚たちと力を合わせて綾野剛を陸へ押し上げたのだと思っていたし、YouTuberが「人魚」と検索した時も「いやいや人魚て!非現実的な!」と笑っていた。なあにが非現実的じゃ、魚喋っとんのやぞという話である。笑われるべきは私であった。

しかしそんな恋はDeepにだが、アニメ映画のリトルマーメイドと大きく異なる部分として「人魚の世界の描写がない」ことがあげられる。石原さとみが人魚として海を悠々と泳ぐシーンや、海の中での会話シーンなどを見ることはなかった。映像がチープになるのを避けたとも考えられるが、私はここにこそ現代版と言うに足りるものを感じる。視聴者含め、綾野剛も橋本じゅんも今田美桜も結局は人間の世界に住む人間。人間である以上、人魚というのもあくまで人間では無い「何か」でしかない。想像でしか考えられない生き物だからだ。ここに、研究室の彼らが地底人やイルカと勘違いした理由が活きてくる。
つまるところ石原さとみが人魚である理由なんて、なかったのだ。地底人でもイルカでも人魚でもなんでもいい。石原さとみが石原さとみとして個性を持って人間の世界で生きていることが、彼らそして物語にとって、大切なのだ。

エリックは砂浜でアリエルの姿を初めて目にした時、中身なんて何も知らずアリエルに惚れた。運命の出会いだからだ。そこに理屈なんて存在しない。一方で綾野剛にとって石原さとみに助けられたことはただの出来事でしかなかった。せいぜい気になる女になるための一歩でしかないのだ。惚れたのはもっともっと、先。

始まりは似ている。だけど相手への感情の分岐は全く異なる。

恋はDeepには、そうやって2人の感情の揺れを丁寧に丁寧に描いている。まさに恋はDeepだったわけだ。運命なんてあやふやなものに頼らず、人魚なんて神秘に惑わされず、2人の力で恋に落ちた。その上で母親の指輪を見せ「運命でもあった」と証明した。格好良すぎる。

綾野剛は何度も石原さとみに対して何者なんだと頭を抱えた。しかし、ついぞ人魚だと言葉にすることはなかった。人魚だからどうとか、そんなことは綾野剛にとって問題ではなかった。魚と喋るのも湿度95%の部屋も塩分濃度高すぎる水も味なしワカメも、石原さとみを構成する一部の個性でしか無かった。塩水やワカメを食べることで視覚的にも些末な問題だと示してくれていたが、あれは綾野剛自身の確認でもあったと思う。俺は受け入れられる、こんなものは問題ではないと。自分の身を持って試し、確認できたから告白した。なんとも美しい流れだ。とてつもなく誠実。

ひとつひとつの感情と行動を照らし合わせて噛み砕けば、明度の高い映像に反してなんとも胸の苦しくなる物語だった。
石原さとみが置いた貝ならいいと期待して毎日毎日貝を拾う綾野剛と、綾野剛との唯一の繋がりだと毎日毎日その日一番綺麗な貝を探す石原さとみを思うと胸は苦しさを超えて痛み出した。別れ際に綾野剛の言った「強く思っていれば」をたった1,2ヶ月の思い出だけを胸に3年かけて体現したふたり。奇跡を呼ぶのはいつだって強い愛と願いだ。再会は必然だった。

評価が低いのが悔しい。ついでにリアルタイムで観てなかったのも悔しい。私だってTwitterで「いや人魚の回復効果あるとはいえ車の運転はアカンやろwwwwwww」とか言いたかった。

先に述べたように、色々雑に投げられた感は今もある。突然のレディーガガもどきの出現でなんとかなる会社とか3億5000万円の誕生日プレゼントで存続する研究室とか。石原さとみと橋本じゅんで大学に対して説明してた時とか、綾野剛がなげ〜足でツカツカ来たかと思えば愛の言葉だけ叫んで「ハイまだ質問ある?」みたいな威嚇して出ていったけど、正直なんの説明にもなってなかったからめちゃくちゃ面白かった。石原さとみも追いかけて出ていくし、残された橋本じゅんどないやねん。アワアワやろ。そら研究室解散なるわ。

すみません色々言いましたが、兎にも角にも魅力的なキャラクターが多く、なんだかんたで諸問題も盛りだくさんで見応えもあった。なにより考えさせられる余白が案外多いので見終わったあとも彼らのことを想ってしまう。
うん、やっぱり恋はDeepにはいいドラマだった。すごく好きなドラマになった。

綾野剛と石原さとみは俳優同士としても関係良好なことだし「帰ってきた!恋はDeepに」を期待している。その暁には、海に帰ってからの3年間はなにしてたんだろうとか、戻ってきてからは筋力面どうなるんだろうとか、その辺の疑問に答えてほしい。マジで。頼むよ。

最後になるが、主題歌であるbacknumberの「怪盗」の歌詞「物語の名前は伏せたまま始めよう」「君は今日も明日も君のままでいていいんだよ」がドラマの内容を通して聞くと秀逸すぎて唸った。清水依与吏すげーわ。

【追記】
大切な人を亡くした海から、大切な人を生み出した海になるのいいよね。綾野剛の「大切な人×海」に対する認識がほんの少しでも暖かくなっていればいいなと思う。
でも石原さとみが海に帰る時にその姿を見届けなかったのは、人が海に入っていく様子を見るのが怖かったからかなーと予想しているので、彼の後悔やトラウマはずっと彼に纏わりつくのだろう。それはそれ、これはこれだよな。
とはいえ、綾野剛の運命の相手は人魚でないとダメだった、と母親の死因から明らかになるのが良い。ありきたりな「悲しい過去を持ったイケメン」というだけではなくて、きちんと石原さとみとの恋愛を語る上で必要な話として存在している。「運命」に対する強いこだわりを感じてロマンチストとしては大変喜ばしい。

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