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星の輝く夜に ショートショート

 私は部屋の白い天井をじっと見ていた。
 ──今日も眠れない。
 ため息をついて横向きになる。スマホは寝る2時間前に電源を切り、ぬるめのお風呂にゆっくり浸かって体が暖かいうちにベッドに入ったというのに、全く眠気がやってこない。もう1時間はとうに過ぎている。それなのに、まんじりともせずゴロゴロしている。一体どういう事なんだろう。

 特に悩みはない。ただ、仕事が少し忙しいと思う。もうすぐ繁忙期だから、仕事の量が増えている。けれど、そこまで不眠症になる原因という訳でもない。
 羊を数えてもだめだし、ストレッチもして床についたと言うのに… また寝返りを打つ。

 やはり病院へ行って、睡眠導入剤でも貰ったほうがいいのだろうか。けれど、どこで貰えばいいのか。内科? 精神科は敷居が高いし、別にうつ病とかそういう訳じゃないし…。と悩んで、もう2週間ぐらい経つ。だいぶ寒さもゆるんで暖かくなってきているのに……考え出すと余計に眠れなくなってくる。

 私は髪をきむしると
「あーもう!」
と起き上がった。何か温かいものでも飲もう。と、
「また眠れないの?」
と声がした。

「え?」
 その方向を見る。出窓の内側に誰かが座っていた。シルエットが黒っぽくなって顔が影になっている。
 ここは1人で暮らしているのに。私以外は誰もいないはず──

「…誰?」
 もしかして…泥棒⁈
 私は布団を盾にする。
 くすくす、と笑う声が聞こえた。
「そんなに警戒しなくていいよ」
 けれど、その声もシルエットも見覚えは無い。というか、知り合いでも不法侵入なんて犯罪なんだけど。

「一体誰なの?」
 どこから入ってきたんだろう。
「君をよく知っている者だよ」
 彼は歌うように言う。体の態勢を変えて、顔に月の光が当たった。長身で黒髪の端正な顔をした男性だ。
 20代半ば位だろうか。黒っぽい服装で、首元に白いクラバットのようなネクタイをして白い手袋を着けている。どこかの舞踏会でも行くんだろうかというような出で立ちだ。

「あなたの事なんか知らないけど…」
「本当に?」
と言って、彼はアーモンド形の目を細めて笑う。エメラルドのような緑色の瞳だった。それを見ていると、どこかで会ったことがあるような気がしてくる。けれど、どこでだったろう──

「ねえ、眠れないんでしょう?」
 そう言うと、こちらに近づいてベッドの端に座った。
 ギシ、とベッドが鳴る。私はパジャマ姿なのが急に恥ずかしくなって、布団にくるまった。
「え、ええ…」
 私が小さくなっているのを見ていたが、やがて笑みを浮かべながらこちらに手を差し出す。

「なら、散歩に行かない?」
「え?」
「今夜は満月だし、星もきらきらと輝いている。
気分転換にちょっと出てみようよ。眠くなるかもしれないし」

 私は窓の外に視線をやる。月の光が明るく部屋に差し込んでいた。こんな夜に散歩したら、気分が晴れるかもしれない。そう思うと、彼の提案が素敵なことに思えてきた。

「──わかった。じゃあちょっとだけね」
「よし」
 彼は嬉しそうに私の手を取ると、窓の鍵を開けた。そして手をつないだまま外へ飛びだす。
「え⁈ちょっと、」
 私の部屋は2階だ。だから窓から出たら下へ落ちてしまう。
「あっ!キャー!!」
 思わず悲鳴を上げた。けれど私の体は落ちず、いつまでも衝撃が来ない。

「え…?」
 気がつくと、彼に抱き抱えられていた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「ちょっ!下ろして!」
 驚いて手足をばたつかせる。
「待って、今暴れると落ちちゃうから」
 そう言われて見下ろすと、街の明かりが下の方に見えた。
 え? なんで… 頭が混乱する。
「僕が手を離すと、落下しちゃうから。落ち着いて」
「空を飛んでる?なんで?」
 聞くと、彼は首をかしげた。
「なんで君は飛べないの?そっちの方が変だよ」
 そう言われると、なんだかそう思えてきてしまう。あれ? 私の方がおかしいのかな…
 混乱している私をよそに、彼はうれしそうに空を飛んでいる。
「気持ちいいね。雲もないし」
 月明かりに照らされて家も丘も森も輝き、星もまたたいていた。
「ほんとだ。きれい…」
 しばし、その光景に我を忘れて眺める。

「この辺でいいか」
 そう言うと、彼は私を下ろそうとした。
「え、落ちちゃう」
 再びパニックになりかけるが、手をつないでいれば大丈夫と言われ、彼の手を両手でつかむ。何となく心もとないけど、私の体は宙に浮かんでいる。

「では、マドモワゼル。1曲踊っていただけますか」
 右手を体に添え、仰々ぎょうぎょうしく西洋のお辞儀をするので、なんだかおかしくなってぷっと吹き出した。
「わかったわ。喜んで」
 パジャマの裾を引っ張ってお辞儀を返す。
 彼は私の腰に手を回すと、ダンスのステップを踏みながら踊り始めた。

「実はあまり踊ったことがないの。三角形に踊ればいいのかしら」
「そうそう。はじめに、両足を揃えて。右足を後ろに下げて、左足は斜め後ろに。そして右足を左足に揃える。その繰り返しだよ」

 彼は優しくゆっくりとリードしてくれる。はじめはぎこちなかった動きもだんだん慣れてきて、ステップを大きくしたり回転したりし始めた。くるくると私たちは踊り続ける。空中を縦横無尽にステップを踏み続けた。月と星の光に照らされて、彼と私はピカピカに輝いている。
 と、くるくると回り、お互いにつないだ手を伸ばした時、勢いがよすぎて私の手がするりと離れた。
「!!」
 あっと思った時は、もう真っ逆さまに落ちていた。
久美くみ…!!」
 彼の呼ぶ声が聞こえる。
 あ、私死ぬのかな。と他人事みたいに考えた。結構高い所だったしなあ。でも、建物もないのに死因が落下ってちょっと変だよね。
 衝撃がそろそろ来るだろう。私は目を閉じてその時を待つ。
 ガシッと何かに包まれた。

「…⁉︎」
 目を開けると、黒いものが目の前にある。さっきまで踊っていた彼だった。
「ああ…びっくりした」
 ほっとしたようにつぶやく。髪がボサボサだ。全速力で抱きしめてくれたのか、息が乱れている。

「は…」
 なぜかぽろぽろと涙がこぼれた。私、死にたくなかったのか。
「え、大丈夫⁈どこか打った?」
 彼は大慌てで私の様子を伺い、くるりと体の向きを元に戻した。
「死ぬかと思った…」
「ごめんね。びっくりさせちゃった」
 さっきまで自信満々だったのに、今は打ってかわってシュン…としている。

「平気。でもちょっと休もうか」
「うん」
 近くの丘へ行って、2人で月を眺めた。
「今日は本当に空が綺麗ね」
「そうだね」
「シリウスが見える」
「え、どこ?」
「あの明るい星。たしか、地球から見える1番明るい星じゃなかったかな」
と私はそれを指す。
「あれか」
「あそことあそこにも明るい星があるでしょう」
と、左斜め上と右斜め上に指を向ける。
「あるね」
「あれが冬の大三角形」
「へえ。あの明るい星は?」
と彼は違う星を指差した。
「あれは火星だよ」
「ふーん」
などと話しているうちに、だんだん落ち着いてきた。
 ふう、と息を吐く。

「また踊る?」
「うーん。今日はもういいかな。でも、また眠れない時は一緒に踊ってくれる?」
「もちろん」
 そう言って、彼は優しい笑みを浮かべた。

 ──私ははっと目を開けた。目の前には白い天井が広がっている。
 あれ、あの彼はどこに行ったんだろう。辺りはいつの間にか明るくなっていた。体を起こして周りを見回す。いつも見ている自分の部屋にいた。

 さっきまで一緒にいたのに。輝く星たちがまぶしくて、まるでおとぎ話の中にいるようだった。
 だんだん意識がはっきりしてくる。そうか、いつの間にか眠ってたんだ。

 足元に黒猫が丸くなって寝ている。私が動いても全く身動みじろぎしない。まだしばらくは起きそうになかった。

「トム、あんただったのね」
 私は独り言を言う。彼はそ知らぬ顔で、手袋をはめた両足に頭をのせ、夢の世界でまだ遊んでいるようだった。

 その頭をそっと撫でると、ベッドから降りて窓を開ける。爽やかな朝の風が優しく頬をなでた。目を閉じてゆっくりと深呼吸する。
「……よし」
 私は服に着替えるために、部屋のドアを開けた。

                   了
                   (3204字)

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時雨
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