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海の忘れもの お題:演技 ショートショート

「そうなのねー」
 うんうんとうなずきながら、私は彼女の話を聞いていた。介護の仕事をしていて、対象者は高齢の方が多い。介護の段階は人にもよるが、大体食事や入浴の介助、車椅子などに移動するのを手伝ったりしている。
 老人ホーム等で仕事をしている人もいるが、私は在宅の人達を訪問し、買い出しや洗濯、身の回りの手伝いをしている。
 今日は何件か受け持っているうちの1軒で、話し相手をしていた。

「それでね、息子がワセダに行って〇〇社に入ったんだけど、離婚しちゃって。今家にいるのよー」
 こんな事を聞いてしまっていいんだろうかと思いながら愛想笑いをする。
 息子さん、今の話はすぐ忘れますから…と、記憶のノートからすぐに消去する、そんな日々を送っていた。

 受け持っている利用者さんの中で、物静かだが話し好きの方がいる。トヨさんといって手先が器用で、以前はお孫さんの為に既製品と見紛みまがうようなセーターも編んであげたらしい。料理も上手で、一緒に住んでいるお嫁さんが、どれも美味しいと話していた。

 日常を送るのにそれほど支障はなかったが、寄る年波で足腰が少し弱っているのと、軽い認知症になっていた。息子夫婦と3人暮らしで、お嫁さんも昼間はパートに行くため、トヨさんのできない家事を代わりにしたり、たまに話し相手になっている。

「ああ、よう来たね」
 彼女はいつもにっこり笑って歓迎してくれる。けれど、ヘルパーだと分かっている時と、自分のの兄妹か誰かだと勘違いする時があるようだった。

「カヨちゃん、今日はゆっくりしていけんの?」
 カヨと言うのは彼女の妹の名前だ。
「そうね、3時位までれるよ」
「そう、よかった」
 トヨさんは嬉しそうに
「おやつにパピロ食べようねー」
と焼き菓子を見せてくれる。
 もしも別人と間違われても、訂正せずに話を合わせている。その方が彼女達も楽しそうだから。今はもう離れていたり、亡くなった人と話せる方がいいじゃないか。

 ある日トヨさんの家へ行くと、ぼんやりと縁側に座っていた。同居のお嫁さんの仕事が遅出だったので、近況などを少し聞いて本人に話しかけた。

「トヨさん、こんにちはー」
「よう来たね、カヨちゃん」
と笑う。今日も勘違いをしているようだ。
「うん、また来たよー」
 私はそのまま聞き流して、返事をした。彼女はなんとなく元気がないようだ。

「どうかしたん?」
「そうねえ」
 彼女はうつむいて答える。
「あまり力が出んのよ」
「ご飯、食べとる?」
「あんま食べとうない時があるんよ」
 うーんと首を傾げた。

「無理せんほうがいいよ。暑い時もあるけんね」「そうやね」
とゆったり笑う。なんだか弱々しい感じだ。

「夜はちゃんと寝とる?」
「眠れん時もある」
「お医者さんに行ったらいいかもしれんよ。一緒について行こうか」
「そんなら、そん時はお願いするわ」
と少しほっとしたような顔をした。

 そして、庭にいる野良猫をしばらく眺めていた。猫はそろそろと用心深く歩き、芝生の辺りで座りこむ。それをぼんやり見つめながら、彼女は口を開いた。

「そう言えば、カヨちゃんに言わないかん事があったんよね」
 口調がいつもと違う雰囲気だったので、どうしたのだろうと思う。
「なんね?」
 彼女は言いにくそうに話し始めた。

「あんたさ、海で死んじゃったやんか」
「そうね」
 以前トヨさんかお嫁さんから聞いた話を思い出す。

「結構若い時やったよね」
「うん。あん時は私も近くにおって。
みんな助けようとしてくれたっちゃけど、間に合わんと溺れてしもうて」
 私は相槌あいづちを打つ。

「そやけど、あんたがそうなったのは私が原因やし」
「...そうやっけ」
 そんな事は初耳だったので、内心驚いたがそう返した。

「あんたは忘れたかもしれんけど、私はずっと覚えとる」
 彼女は震える声で続けた。
「遊んどって、溺れたのは私やった。それに気づいて助けようとしたけど、代わりに沈んでしもうて……
ほんまに、すまんこつばした」
と、震える頭を下げる。明るい縁側に、ほとほとと水滴が落ちた。

 私はどう答えていいのか分からなかった。この事は、彼女の子供や他の兄弟は知っているのだろうか。
 部外者の私が知っていい事だったのか? いや、よくないはずだ。

「...そうやったね。そっか」
 ずっと、申し訳ないと思っていたのだろう。「もうええよ。トヨちゃんが悪いわけじゃないけん」
 そう言うと、彼女の張りつめていた体がふっと緩んだ。
「ほんまに、ごめんねえ」
とまた頬を濡らす。その背中を、唖然としながらぽんぽんと優しく叩いていた。

 それから2ヶ月後に彼女は亡くなった。あれから何度か訪ねたが、急速に痴呆が進んでいき、私が誰なのか分からなくなっていた。けれど最後に会いに行った時、こちらを見て
「ありがとうね」
と言った。その時は一体何を言っているのかよく分からなかった。
 彼女の葬式に行き、焼香をあげた。

 しだいに彼女の事が思い出になっていった頃、家でサスペンスドラマを見ていた。終盤に犯人が
「本当は全てわかっていたの」
と呟く。
 その時、唐突に彼女の言葉を思い出した。

 ──そうか。もしかしたら、あの告白をした時は認知症ではなく、意識がはっきりしていたのかもしれない。

 しだいに体が衰えていくのを感じて、悔いが残らないよう自分の罪を懺悔ざんげしたのかもしれない。それが、一介のヘルパーだとしても…

「ああ…」
 私は上を向いてつぶやく。
 あれから、お嫁さんにも他のご家族にも事実を確認しなかった。トヨさんが言った事は本当ではなかったかもしれないし、もしそうだとしても私が聞いていい話ではない。

「ずいぶん重いお土産をもらっちゃったなあ」
 それでも、彼女が心おきなくあの世に行けたなら、それでよかったのだろう。いつか、あの世で会ったら
「いっぱい食わされましたよ」
と笑って話せたらいい。

 私はぬるくなったお茶をすすり、ほっと息をついた。
                了
                (2423字)

 ある募集に応募して落選したものを推敲しました。わりと自信があったけど、受賞した方たちのを読むと自分はまだまだだな…と実感したり。日々精進です。

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時雨
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