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【短歌エッセイ】「脅威」の可視化
「晴れし空 吹く春風に 含まるる 見えざる花粉の 姿おそろし」
テレビのCMなどで、スギ花粉がぶわっと飛散する映像を見たことはある。しかし、実際に風に散らばって飛んでいる花粉の一つ一つは、密度的にも、はっきりとは見えない状態だと言えるだろう。
実際のところ、私はスギ花粉症ではない。しかし、既に季節の風物となっているこの花粉症について、花粉症発症者や花粉症予備軍になった気持ちで詠んだのが上記の短歌だ。内心「おそろし」と思うのでないかと思ったのだ。
見えないから恐ろしく、見えたら恐ろしくないのだろうか、とふと考える。
いや、そんなことはないだろう。あの、スギ花粉がぶわっと飛散する映像は、なかなかに迫力もあり、あれをうっかり被ってしまうことを想像すると、ぞわぞわするような気持ち悪さを感じる。
それでも、見えていれば避けたり、見えている部分をピンポイントで重点的に払い落としたりするなど、対処はできるわけで、見えるなら見えた方がいい、見えた方がまし、と思う人は多いかもしれない。
これが、新型コロナウイルスだったらどうだろうか?
実際のところ、ウイルスは肉眼で見える状態にはないわけで、だからこそ対処の手が追いつかないままに、対処の手をかいくぐって広まっているとも言えるだろう。それは、知らぬ間に傍に忍び寄っているのだ。
見えないからこそ、どこにそれが潜んでいるかわからなくて不安になったり、どこをどの程度消毒したらいいのか悩むような際限のない焦燥感に襲われたり、見えない脅威に神経をすり減らすことから終わりがわからない自粛疲れを起こしたりするのかもしれない。
もし新型コロナウイルスが、日常的にそれとわかるようなものとして見えていたら、見えていない時は味わわずに済んだ遭遇の恐怖を感じるかもしれない。それが行く先行く先、街のあちらこちらで目にすることになったら、いたたまれない、追い詰められた精神状態に陥るかもしれない。
それでも、見えていれば、自分の生活空間だけでもピンポイントで重点的に消毒するなどして、うつらないうつさないために、脅威に対して即座に対処できるかもしれない。
そう考えると、マスクやワクチンも大事ではあるが、例えばシュッと一吹きで新型コロナウイルを可視化できる薬のようなものがあったらいいのに、と夢想してみる。可視化された状態は、明らかにヤバいと感じさせる、目立つ色でギラギラ発光するような、それとわかりやすいものがいいだろう。
どなたか、発明家、製薬会社の方など、もしこの記事が目に留まったら、ご一考頂けたらありがたく思う所存である。
「目印に 毒々しき色 散りばめて 世に知らせたし 今日のウイルス」
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