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短歌エッセイ

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短歌を交えたエッセイ。自作短歌を深掘りしたり、日々の暮らしにおける思いに短歌を落とし込んだり等、様々。
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#エッセイ

【短歌エッセイ】冬の季節と寒さに思うこと

 この話題について、実は何年か前から考えてはいたものの、タイミングを逃すことを繰り返していた。  冬と言っても、春のような暖かさが続くこともあり、そんな時に寒さの話題はそぐわないように感じて諦めたり、クリスマスや年末年始やバレンタインなどの話題、フォロー整理の事前告知やスキ率の高かった記事の発表のお知らせなど、優先される予定のために後回しにしたまま機会を逃したり、という具合だ。  この1月、割りと暖かい日々が続いた。大寒の日など、全くらしくない暖かさでもあった。  しかしこの

【短歌エッセイ】きよし夜に

 28年前の話になる。  毒親育ちの私は、多くの歪んだ認知を抱え、生きづらさに苦しんでいた。  歪んだ基盤の上で何とかバランスを取って生きる感覚を身に着け、自転車操業のように日々ギリギリのところで本来ならしなくていい苦労をしてエネルギーを絞り出し、神経をすり減らしていた。  自身がそういう状態にあるということを認識した私は、歪んだ安定感の上で生き続けることに限界を感じた。歪みを修正するために、自身が変わることが必要だった。  そのために多くの書物を読んだ。身近に安心できる味方

【短歌エッセイ】海の先へと続く道

 2024年10月16日に、パートナーと日帰りドライブ旅行を行った。  今回の記事は、その内容や所感を、写真と短歌を交えて紹介するものだ。  今回の目的地は、熊本県宇土市にある長部田海床路というところ。  海岸から海へと、長く真っ直ぐ続く道と、その道を照らすための電灯の電柱が、非日常的な不思議な光景を作る。潮が引けばはっきりと現れている道も、潮が満ちれば海面下に消える。  9月末にネットで紹介記事を目にし、行ってみたいと思っていたのだ。  熊本市から天草方面に向かう途中にあ

【短歌エッセイ】過ぎ行く夏の思い出

 1995年の7月、私は持病で入院していた。4月末から8月中旬までの約3ヶ月半の入院。  たいして重病ではなく、常にベッドでの安静を要するような入院生活ではなかったので、普通に日常生活を送りながら、自分の分と同室患者の分の花の水を換えたり、読書をしたり、短歌を作るような創作活動をして過ごしていた。  病院の外には大きな木が植えられていて、窓からそれを眺めて過ごすこともあった。  ある時、青空を背に、大きな木から伸びる太い枝ごと、細い枝々や葉が大きく揺れているのが見えた。  入

【短歌エッセイ】七夕を巡る思い出

 少し前の6月20日に、月1回の持病の診察を受けに、かかりつけ医を訪ねた時のこと。  その医院は、1階に入口があり、受付や診療は2階で行われているのだが、2階に向かう階段の踊り場の壁に、布の絵がかけてあるのが目に入った。  これがその写真だ。  6月だったのでまだ意識はしていなかったが、そうか、もうすぐ七夕だったな、と思い出された。  実際に、笹や七夕飾りを用意するのもいいが、本業に差し支えてはいけない。  絵一枚で、季節の風情を感じられ、受診する患者の気持ちを少しでも和ら

【短歌エッセイ】テレビ体操

 この3月末で前職を離職して、自宅で過ごす日が増えた。  それに従って少しずつ体重が増えて来た。   前職では通勤時間が片道1時間半かかっていた。その内徒歩だけで35分間だ。往復なら徒歩1時間10分になる。かなり歩いている感覚だった。  それでも、歩くことによって特に体重が減るということはなかった。今思えば、食べることと併せてプラスマイナス0だったのだろう。  つまり、離職によって徒歩分のマイナスがなくなったことで、食べる分のプラスが相殺されなくなったのだ。  体重増加は0.

【短歌エッセイ】移り変わるバレンタイン事情

今年また 会社でチロル ゲットする?        それも楽しき バレンタインかな  約2年前に投稿した上記の記事にも記したが、この短歌を作った2002年当時の私は、ネット上での会話を楽しむチャットルームにほぼ毎晩出入りしていた。  文字だけを使った他愛のないやり取りながらも、同じ顔ぶれによって時間を共有し、繰り返される交流を楽しんでいた。  そのチャットルームでバレンタインデーの話題になった時、「毎年もらえるのは義理チョコばかりだ」と言っている人の中で、「毎年会社でチロル

【短歌エッセイ】秋に作るフィクション短歌

 他の方々はどうかわからないが、私の作る短歌のほとんどは、心情吐露、心象風景、情景描写、過去回想のどれかに該当するノンフィクションだ。  表現は具体的であれ抽象的であれ、自身の体験に基づき感じたことをそのまま反映するものが多い。  そのような、ほとんどノンフィクションという短歌群において、ごくわずかながらフィクションの作品もある。割り合い的には全体の1.2%くらいだ。  そのわずかなフィクション短歌の中で、秋に作られたものの割り合いは72.7%になる。  どうやら秋という季節

【短歌エッセイ】渋谷ハロウィンについて思うこと

 2018年、今から5年前の話。  ハロウィンのコスプレをして東京渋谷のスクランブル交差点付近に集まったたくさんの人々。その中の酒に酔った若者によって、軽トラックが横転させられたという報道をテレビで見た。  酔って騒いで盛り上がった結果、軽トラックを横転……。  どうしてそんなことを? それ、ハロウィンと何の関係があるの?  そう不思議に思ったものだ。  ハロウィンとは、元々は秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事だった。  古代ケルト暦ではこの日は大

【短歌エッセイ】ある夏の海の思い出

 今から約4年前、2019年の夏に、私とパートナーと、私の妹と姪の4人で、小学5年生である姪の夏休みに合わせて、海に出かけた。  目的地が海になったのは、波で削られたガラスの欠片であるシーグラスや綺麗な貝殻などを採集したい、という姪の希望だ。私は事前にネットでシーグラスを拾える可能性のある海岸を調べ、旅程を計画した。  当日の運転担当はパートナーだ。  出発から1時間半程で1つ目の目的地である海岸に到着した。  私達は撤収時間を確認し合い、その時間までこの海岸で、姪と共に姪の

【短歌エッセイ】言葉は生きもの

 「今日は五月晴れだね」  ある梅雨の晴れ間の日に、パートナーに言われた。  「え? 五月晴れって5月の晴れの日に言うんじゃないの?」  驚いて訪ねる私に、パートナーは、「梅雨の晴れ間のことを五月晴れって言うんだよ」と答えた。  湿度が高く蒸し暑さを感じさせる梅雨の晴れ間と、カラッと爽快に晴れる5月の晴れの日では、

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【短歌エッセイ】届けるもの

 以前から断捨離や片付けの記事を目にする度に、処理方法の一つとしてフリーマッケットやフリマアプリで売却する、という手段があることは知っていた。  しかし私は未経験なことに対して積極的でないため、頭の片隅にて記憶しながらも長く足を踏み出さずにいた。  しかし昨年12月に、私の利用している携帯電話会社が、あるフリマアプリと提携したとかで、アカウント登録すると結構な量のポイントがもらえることを知った。携帯電話会社のポイントとフリマアプリのポイントの、両方だ。  登録してみると、今度

【短歌エッセイ】無我夢中の日々に足を止めて

 遠い昔に就いていた職種にブランクを経て戻り、働いて3ヶ月が過ぎた。  確かに未経験ではない。実際に業務に従事する中で、そうそう、こんなだったな、と思うことは多い。  それでも、ずっと続けていた人にとっては自然にできることが、まだぎこちなく、全力で、時にあたふたしながら、何とかやっているというのが実情だ。  職場の居心地は悪くない。少なくとも遠い昔、同業種の前職において、長期に渡ってハラスメントを受けた(そしてそれが容認されていた)ような環境はここにはない。  私に相当なブラ

【短歌エッセイ】マスク期間を振り返る

 3月13日から、マスク着用は個人の判断で、ということになった。  受診時や医療機関・高齢者を訪問する時、通勤ラッシュ時など混雑した電車・バスに乗車する時、重症化リスクの高い方が感染拡大時に混雑した場所に行く時、においてはマスク着用が推奨されるとは言え、もう屋内においてもマスク着用はデフオルトではない。  ある日、職場からの帰路にて、マスクを外せと声を上げて行進している集団と遭遇した。「マスク反対」というプラカート掲げている彼らは、所謂反マスク派の団体なのだろう。  マスク