ソニー・ロリンズの思想実践 2 音色の探究と発掘①
はじめに
(1)この回では、三人称代名詞を「彼」と「かれ」の二通りで表記します。「彼」は今日流通している通り男性を指すこととしますが、平仮名書きの「かれ」は女性も含めます。代名詞「かれ」は本来は指示内容を男性に限定した語ではなかった(それどころか、人に限定されてもいなかった)ので、ここでは本来の使い方を復活させ男女いずれでも該当する場合を「かれ」と仮名表記にします。彼と彼女をいちいち併記する煩を避けるためです。
(2)今回は特にサックスとその吹奏とに関する記述を含みますが、ほとんどが憶測の域を出ません。実際にサックスを吹いておいでの方がお読み下さった場合は、ぜひチェックをお願いできればと思います。コメント欄でご指摘いただければ、何らかの形で対応を検討したいと思います。
(3)一応区切りをつけたくて投稿には及びましたが、文章は未だ意を尽くしているとは言えません。疑問点等ご指摘くださるとありがたいです。特に今回は、随時告知無しに修正や変更を加えることがあるかと思います。お含みおき願えるとありがたいです。
第一次引退後の進境
引退前後の音楽的変化
1954年6月、マイルス・デイヴィスのアルバム『バグス・グルーヴ』“Bag’s Groove” Miles Davisの一部が録音され、レコーディングに参加したロリンズは、『エアジン』“Airegin”、『ドキシー』“Doxy”、『オレオ』“Oleo”という、ジャズ史に残る3曲を提供します。
この後、ロリンズには55年まで公式な録音がありません。録音だけではなく、実はこの54年にジャズシーンから完全に姿を消します。有名な生涯三度の「雲隠れ」の一度目です。かつては一種伝説めいた語られ方もしていましたが、麻薬の習慣を断つべく医療センターで治療プログラムを受けた、と、『ウイキペディア』にあります。55年11月にシカゴでクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットClliford Brown=Max Roach Quintetの一員としてシーンに復帰します。
引退前の『ムーヴィング・アウト』“Moving Out”(1953年録音)や『バグス・グルーヴ』と、55年12月録音の『ワーク・タイム』“Work Time”や56年2月録音の『クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ/アット・ベイジン・ストリート』“Cliford Brown and Max Roach at Basin Street ”(以下、簡単に『ベイジン・ストリート』と略します)を聴き比べると、この一度目の引退と復帰がロリンズの大きな転換点となっていることがわかります。(註1)
そこに聴けるわかり易い変化はしかし、筆者には決して語り易いものではありません。実際にも、この引退期間前後の違いを詳しく考察する議論はほとんど見かけないように思われます。(というより、ロリンズが語られる場合のほとんどが、実質的にはこの復帰以後が中心になります。)この頃に何らかの音楽上の決定的変化を指摘する論調にはまずお目にかかりません。
しかし、筆者は、引退中から復帰後暫くの期間のうちにロリンズの音楽思想が確立されたと考えます。
引退の前後で大きく異なるのは何でしょうか。
まず、アドリブの多彩さと、曲へのノリの良さが挙げられます。
この点では、引退前からその未完の大器としての片鱗が伺えた才能が、ここに至って存分に開花した、という印象を受けます。そして、その開花をもたらしたのは、やはりクリフォード・ブラウンとマックス・ローチの音楽性だった、とおそらく言えるのでしょう。
ブラウン=ローチ双頭コンボの力量
『ベイジン・ストリート』に聴けるロリンズのフレージングの多彩さは、明らかに以前の記録では聴けない特徴です。これまでのバップでは聞かれなかった類の斬新な語法が際限も無く繰り出されます。これほど多様なアイデアが、尽きるところを知らず溢れ出て来る源泉は何だったでしょうか。どうやら、ロリンズの本性とも言えるメロディー指向(註2)が、この時期俄かに飛躍的に活性化された、と言えそうです。
その触媒となったのはやはりクリフォード・ブラウンのジャズ技能ではないでしょうか。例えばこのアルバムで、マックス・ローチのはちきれそうなドラムに乗った、澱み無い天衣無縫のソロを聴けば、ブラウンの刻々のフレージングがロリンズの音楽魂を刺激したであろうことが容易に感じとれます。単に直接ブラウンのフレーズから具体的ヒントを与えられ続けただけではなく、それを通してソロの刹那刹那にどんな音楽感覚をどのように起動することが可能なものなのか、もう少し広く言えば、ソロにおいてどんな遊びを如何に楽しむことができるか、という極意を、実地に惜しみなく展開して見せてくれたのがブラウンだったのではないでしょうか。
麻薬と無縁で、演奏技能抜群、ひとたびトランペットを取れば凡百のバッパーの演奏が霞んでしまうような、新鮮な音楽の喜びが途切れ無く溢れ続ける……そんな同い年のブラウンの存在に触れて、ロリンズがジャズ・シーン復帰の意志を固めたことはまことに慶賀すべきことでした。ブラウン=ローチの双頭コンボのおかげで、わたしたちのテナー奏者は名実ともにジャズ・ジャイアンツとしてバップ・シーンに屹立するようになります。
とりわけ、“Work Time”は、自由闊達で伸びやかなフレージングが、極めて自然な印象の抑揚で無理なく繰り広げられ、単なるポップス歌曲とは思えない(さりとて高級さを売り物にしたり気取ったりする趣からは程遠く、気さくこの上ない)大きな起伏あるイメージを残します。ここに聴かれるspontaneousなフレーズ展開は、以後、サックスの音質やバンドカラーその他様々な表面的変化を超えてロリンズの大きな特徴となります。
曲を生むサックス
では、先に挙げたもう一つの特徴、曲へのノリの良さ、というのはどういうことでしょうか?
そんなことに何の説明が要るか、という意見もあるでしょう。
しかし、引退前と復帰後でそのノリが違うというのは、具体的にはどういうことでしょうか?
復帰後と比べると(あくまでも「比べると」です)、引退前のロリンズは、気合を込めてノっている、という印象を受けます。なぜそのように聞こえるか、というのは、優れた演奏家なら容易にかつ明瞭に語れるところでしょう。鈍感な筆者の推測が正しいか否かわかりませんが、引退前は、一音一音が(引退後に比べると)ほんの僅かに後ろに引きずり気味なのではないかと推測されます。これは、いわゆる後ノリであるとか、または強拍が通常よりも僅かに後ろにズレるとかいう意味ではありません。そうではなく、バンドのキープしているタイムの中でロリンズの一拍が何百分の一(それとも何千分の一?)かだけ長く取られているのではないか、ということです。これはおそらく、アドリブの際の次の一音を決定するのに余計な時間を要しているということではないでしょうか。そうすると聞こえ方がどうなるかといえば、演奏が「もともとあるその曲を演奏している」(言い換えると、たとえアドリブであっても、そこにある曲をなぞっている)感じになります。
一方、復帰後の演奏はその引きずる感じが無くなります。『ベイジン・ストリート』ではそれほどでもありませんが、とりわけ『ワーク・タイム』では、微視的に見ると、むしろ、次の一音が自分の登場を待ち遠しがっている、というような気配があります。(念の為に言えば、これは、以前は後ノリ傾向だったのが、ここで前ノリ傾向になった、という類のことではありません。ロリンズは基本的に後ノリで、それは一貫して変わっていないだろうと思います。ここで筆者が言うのは、その後ノリが出番を待ちかねている、というようなことです。)つまり、それだけアドリブの一音一音の決定スピードが上がっている(もしかすると、判断に対する呼気や唇や舌や指の筋肉の反応時間が短いだけかもしれませんが、そうであるならこれは単なる楽器操作技能の向上ということになります)ように聞こえます。これは要するに、トータルに言えば、アドリブ能力の飛躍的向上の結果(あるいはそれによる、本来彼に具わっていたリズム感の十全の発現)でしょう。その結果、何が起こるか。「その曲を演奏している、というよりは、今自分がその真新しい曲を生み出している、今初めてサックスからその曲が姿を現す」という印象が生じます。ただし、次に挙げる問題のせいで、このノリが少しも慌てているようには聞こえません。
掘り当てられたサウンド
復帰後のもうひとつの変化・音
引退後の以上二つの特徴は、純粋に音楽に邁進すれば自ずとひらけて来ても不思議ではないものでしょう。特に思想というほどのものが影響する領域の事柄とは思えません。しかし、次に考える問題は少し性質が異なると考えられます。
第一次引退から復帰後のロリンズには、もう一つ、引退前とは大きく異なる特徴が聞かれます。それは「サウンドの変化」です。
「サウンド」と言っても何の事かわからないのは、この単語の意味が特に音楽業界で拡大され過ぎているからです。ここで考えたい「サウンド」は極めて単純な意味で、「ロリンズのサックスから出ている音そのもの」の事です。もう少し詳しく言うと、音色、音の大きさ、音の量感や音圧感といった特性です。物理学的に言うと、音の波の、波形と振幅、に還元できるかと思います。(つまり、ここで問題にしたのは「波長」または「周波数」以外の要素、音の「高さや音程」以外の聞こえ方です。)
「デカい音」という価値(註4)
日本では(おそらくジャズがもっぱらレコードで楽しまれていたせいで)問題にされることがあまり多くなかった模様ですが、かつて、管楽器奏者の力量の(ほとんど最大の)指標の一つは、どれだけ大きい音を出すか、だった時代があったようです。
(特にプロとして)演奏活動を行う奏者は、音量以外の技能は一応の水準に達していなければ役に立たないのは当然です。そこを誰もがクリアしているとして、ではどんな奏者が聴衆を喜ばせ喝采を浴びるか。音量で圧倒できる奏者だ、というわけです。
これは今日では納得し難いことでしょうが、かつて音楽がマイクやスピーカーを全く使用しない、本当のナマの演奏で楽しまれたことを考えてみたいところです。
今日、マイクやスピーカーなどの音響装置に全く頼らずに千人規模の大聴衆を前に演説するような場面を考えてみましょう。小さい声でもごもご口先を動かしていて何を言っているかほとんど聞き取れない演説者と、後ろの方まではっきり聞き取れる声で歯切れよく話す演説者と、どちらが「話し方が優れている」と思えるでしょうか。ここで例えば、語られる内容が高級であるとか、語りの文章が洗練されているとかいうことは、まずその言葉がはっきり聞き取れてこそ問題になることでしょう。
演奏とは曲を話すことだと考えてみましょう。ミュージシャンが往年の伝説的ミュージシャンについて語る時に、しばしば「信じ難いほどデカい音を出していた」などと賞賛するのにはそれなりの理由があると言わねばなりません。
そして実際に音量に圧倒されるということは今日もしばしばわたしたちの経験するところです。
アニメ映画化された『ブルー・ジャイアント』を劇場で見た方なら納得できるでしょうが、あの最も優れたサックス演奏シーンの音量が、登場人物の普段の話し声ほどの音量でしかなかったなら、わたしたちの覚える興奮は半減することでしょう。
本稿の「1」で頂いている読者の方々のコメントの中にも、「ロリンズの出す大きい音」への言及が見られたりします。実際のライヴは音響装置に助けられてのものなので、どの程度「大きい音」なのかははっきりしないと言うべきでしょう。が、少なくともステージ上のロリンズの演奏の様子が、鼓膜を打つ音量と齟齬があるようには見えない(どころかとてつもなくデカい音を出している気配がまざまざと感じられる)ことは確かでしたし、仮に音響が不十分で音がよく聞こえなかったならばコンサートの感動は遥かに乏しいものになっていたことでしょう。
筆者は初めて出雲大社に参拝した時、あの本殿の高い床の上でロリンズに野外ライヴをやって欲しいと思いました。出雲大社から噫宇の山河へサックスの咆哮を響かせるとなると、ソニー・ロリンズ以外にふさわしいミュージシャンはいない(何と言ってもロリンズの音は大きく高らかに気高い)し、そんなライヴをやればロリンズの真価が誰の耳にも明らかになるだろうと思ったのです。
この「音量」や「聞こえ方」の問題は、レコードの時代に入っても決して消滅するものではありませんでした。名門レーベル「ブルーノート」における、録音技師ルディ・ヴァン・ゲルダーの所謂「ブルーノート・サウンド」と呼ばれる録音のもっとも顕著な特徴は、何よりもまず各楽器の音が「はっきり聞き取れる」よう心血を注いだ結果の、妥協を許さない音作りだったと筆者には聞こえます。(今日でも、ミュージシャンはしばしばミキシングの技師に「もう少し自分の楽器の音を大きくしてくれ」と要望するのが当たり前のようです。)
音量で圧倒できることが何よりの評価基準、というのは生演奏のジャズ・クラブ(そこでは酒類が提供されさまざまな会話が飛び交います)などでは当然のことだったでしょう。
ことはモダン・ジャズの時代に入っても特に変わる理由がありません。デキシーランド・ジャズの時代から、ジャズは基本的に一貫して「騒がしい」音楽でした。演奏される場も演奏される音楽も「騒がしい」中で、自分のソロを際立たせ聴衆に訴えるには、小さい音よりも大きい音の方が断然有利だったはずです。おそらく多くの奏者が、他の多少の要素を犠牲にしても、大きい音・強い音・はっきりした音を出そうとするでしょう。
細く弱く軽く低く硬くひそやかに
しかし、アルバム『ワーク・タイム』のロリンズの演奏では、驚くべきことが起こっています。例えば、『イッツ・オールライト・ウイズ・ミー』“It’s All Right with Me”という曲の出だしを聞いてみてください。
細く弱く軽く低く幽かにひそかに、(音波で言えば、波形はわかりませんが振幅小さく波長長く)するするするうっと曲が始まります。誰も聞いてはいないうちにわたしは勝手にどんどん吹いてしまいます、と言うような吹き始めです。聴き手へのインパクトなど無くていいんです、と言いたげな、うっかりすると何やら聞こえるのが曲の始まりだと気づき損ねそうなくらいです。これがムード満点のスローバラードならまだしも、アップ・テンポのスタンダードナンバーです。「さあオレの音を聴いてみろ」/「我こそは」と言いたげな奏者だらけの1955年のジャズ界にあって、この飄々とも言えるような、聴き手の心構えの裏側をさりげなくすり抜けていってしまいそうな、早足忍び寄り、いや、忍び足駆け抜けの演奏は何事でしょうか?
明らかにこの音は、古今東西を眺めても、絶無とは言わぬまでも、非常に稀な楽音と言えるのではないでしょうか。例えば日本の尺八演奏でももっと聴き手の心に食い込もうとしているように思えます。それは、軽く優しくやや甲高く急きたて気味に流れるレスター・ヤングLester Youngのサウンドよりも遥かに軽々と姿勢低く走り抜ける、しかしレスターよりも当たりは柔らかいのに強勢の置かれ方が強烈なせいで、芯はがっしりと確かに感じられるサウンドです。
ソニー・ロリンズと言えば、「男性的」な「太く逞しい」音色でのブロー、と判で押したような決まり文句が付いてまわります。もちろん、それが間違っているわけではありません。さまざまなライヴで彼のサックスから噴き出す、まさに豪放そのものと言うべきサウンドは、かけがえのないジャズの至宝とさえ言えるでしょう。しかし、第一次引退から復帰後ほどなく、ロリンズがこのようなサウンドを録音しているという事実を忘れたくないものです。そして、以後、この方向にさらに検討を重ねつつ探究し練り上げ発展させて行った成果と思われるサウンドを、これ以降わたしたちは数々の名演に聴くことになるでしょう。
まだジャズについてほぼ何も知らなかった21歳の筆者が、ソニー・ロリンズを思想家と確信したのは、実にこのようなサウンドを聞いた時でした。
なぜ「思想」なのでしょうか?
異音の動機
私たちがある楽器を弾こうとする時、ごく自然に出るその楽器特有の音があります。テナー・サックスという楽器は、リードを固定したマウスピースを咥えて上下の唇で挟み、唇のかなりの力でリードの付け根付近を押さえて固定し、息を強く吹き込んでリードを振動させないと楽器音が出ません。初心者がそうやって音を出してみると、まともにサックスとしての音が出る時には、かなり大きな音になります。もともと、アドルフ・サックスが、「金管楽器並みに大きな音の出る(遠くまで音が届く)リード楽器」という矛盾したものを目指して発明した楽器なので、本来音が大きく、それはジャズを代表する楽器になった大きな理由の一つでもあるでしょう。
ということは、上述の“It’s All Right with Me”の出だしの音は、本来サックスでは出しにくい音であり、もちろんあえて意図的に出された音であるわけです。
一人のミュージシャンが楽器で音を出す瞬間、かれはその楽器から出せるあらゆる音質のうちから一つの音を選ばなくてはいけません。そこで選びたい音は、ある時はかれの作り出そうとする音楽の曲想の、その部分に適した音であるでしょう。ある時は聴き手の期待に沿う音であるかも知れません。そうではなく、ただ自分がどうにも好きでたまらない音である場合もあるかも知れません。またある時は、ほとんど無意識に出した音が、かれの奏でる音楽をそこから生み出すことになるかも知れません。いずれにせよ、かれは音を出さなくてはなりません。
では私はどんな音を出すのか?
……この時、わざわざ「出すのがとても難しくて、かつ演奏の場に期待されているわけでもない、大きくもなければ強くもないから訴求力に秀でているわけでもなく、曲想・曲調がそんな音を要求しているわけでもそんな音で際立つわけでもなく、したがって自分への評価を高めることに何ら役に立ちそうにない音」を求める根底に何があるでしょうか?
明らかにそれは、かれにとって理想の楽音であると考えざるを得ないでしょう。ロリンズは、なぜそのような音を必要としたのでしょうか?そのような音を用いて成立する音楽は何を目指しているのでしょうか?
『ワーク・タイム』収録の “It’s All Right with Me”の出だしに、人は何を聴くでしょうか?その回答はもちろん、このポピュラー歌曲をこれまで誰のどのような演奏や歌唱でどの程度馴染んでいるか(あるいは馴染んでいないか)によって異なってくるでしょう。筆者に聞こえるのは、確かにポップスらしいわかり易い調子良さを失わずにはいても、元歌の歌詞や情緒、先行するさまざまな歌唱や演奏やさらにはありがちなジャズのムードなどとははっきり距離をとった、聞き易く低く歯切れ良くクールな印象を与えるその特異なサウンドです。どこまでも原曲のメロディーに従いつつ、その作曲者の発信意図とも一般的享受形態とも異なるメロディー自体の力を発信しています。このような演奏を、「歌ものがうまい」という表現で分かったことにするのは、奏者に対しての適切な評価と言えるのでしょうか?
この演奏は、アルバム発表当時も今も同じ様に、人が通常音楽に求め期待するものとは異なる提案をしようとしているように聞こえます。(そういえば、少なくともこれ以降暫くは、ロリンズのジャズは確かに典型的にジャズらしい形態を保っているようでありながら、どこか通常のジャズらしい安定感を欠き、不安定で演奏がやや浮き上がりはみ出したような印象を与えないでしょうか。そして、その印象の一つの要因が、サックスから出る不思議な音色のせいではないでしょうか。)
筆者には、この出だしは、その音を通して聴き手との間に何か従来の奏者と聴衆との関係とは異なる関係を成立させようとしている演奏、と聞こえます。しかし、それがどのような関係であるかまでは、このトラックだけからは容易に断定し難いように思います。
引退前から持ち越された音の要素
“Work Time”の音は、明らかに引退以前のものとは異なって聞こえますが、しかし、引退前の音と似通う要素もあります。
それは、しばしば一種の擦過音のような音が紛れ込むことです。音程やキーがずれているのではないのですが、ややガサッとした音が混ざって聞こえるのです。これは、アルバムに聴ける、この時期までのロリンズの音の特徴と言ってもよく、印象で言えばやや濁った安っぽい感じの音になります。クラシック奏者なら失格間違い無しです。同じ擦過音ぽい音色でも、コールマン・ホーキンスColeman Hawkinsのざらざらした意図的楽音とははっきり違い、部分的・偶発的に出る音と聞こえます。こうした音をロリンズが記録するのは“Work Time”が最後になり、以後2度とこの擦過音要素は聞こえなくなります。
そして、この擦過音ぽいサウンドは、おそらくこのアルバムにところどころ顔を出すリード・ミス(これは一曲めの『ショーほど素敵な商売は無い』“There’s No Buisiness like Show Business”で最も多くなっています)と無関係ではないように思います。
大筆の細字(註5)
ここはサックスを実際に演奏している方々にご教示を乞いたいところですが、筆者の想像では、この時点でロリンズの使用しているリードは、奏者のコントロール能力を超えかねない厚みがあるのではないかと思います。奏者の呼気に反応しきるほどにリードが(少なくとも振動させる部分は)十分に薄くはないか、あるいはマウスピースの咥え方が深すぎて、咥えた唇の位置からすると、リードがフル振動しきれていないように聞こえます。(リードの固定位置が浅過ぎる、とも言えるかも知れません。)すなわち、絶えずリード・ミスすれすれの音が出ているように思えます。もっと薄く削られた振動しやすいリードを用いるか、またはもっと浅くマウスピースを咥えれば音は制御しやすいはずですが、その分、軽薄で軟弱な音になりそうです。このアルバムでは、コントロールし切れるかどうかギリギリのリード(またはアンブシュア)で重厚な音にしようとしているように思われます。すなわち、軽く細く弱い音は欲しいけれども、それが軟弱軽薄な音ではあって欲しくない、というロリンズの意向が汲み取れます。
ジャズを水墨画に喩えたのは名ピアニストのビル・エバンスBill Evansでしたが、水墨画や書道は「描き直し/書き直し」が利かないという点で、ジャズと墨の芸術はなるほど共通するところがあるかも知れません。仮に書道に喩えると、ロリンズがこの演奏の出だしで挑んでいるのは、極太の大きな毛筆で繊細流麗な草書の細字を書くようなものだと言えます。筆が太い分、同じ筆のまま存分に雄渾豪快な太字へ一気に連ねてその細字との対比の妙や落差の大きさから深く広い世界を奏でることが出来るでしょう。
周知のように、毛筆書道では、筆の太さ全部を使って字を書きません。どんなに太い字でも筆は少し余裕を残して書くのが普通です。筆を一杯に使いきった字は貧弱になってしまうからです。上級者になると、細い字でも、穂先さえ十分に整っていれば太い筆で書いた方が豊かな筆勢が生まれたりします。
ロリンズが軽く細く幽けき音を出すにも分厚いリードを使っているとすれば、書道で言えば細い字を書くのに太い筆を使おうとしていることになろうかと思います。そして、おそらくロリンズの狙い通り、“It’s All Right with Me”では、細く軽く幽かな音が、奏者の深く広大な音楽視野を感じさせるものになっていると思われます。
それはうまく行った時には、如何にも植物製の薄いリードがほどよい振幅と周波数で奏者の呼吸と一体になって震え、吹き込まれた空気が円錐管の中を管の太さいっぱいにのびのびと駆け抜けている(謂わゆる、「ヌケのいい」?)印象を与えます。
その代わり、十分に穂先を整えることができない時にはややばらけ乱れて掠れた線がまとまりを欠き、最悪の場合完全に穂先が割れて字画にあからさまな亀裂が入ってしまいます。これがこのアルバムに頻出するリードミスではないかと筆者は推測します。
“Bird’s Medley”の衝撃
アルバムの表面的特徴
10代でファッツ・ナヴァロFats Navarroやバド・パウエルBud Powellのアルバムに登場して以来、ロリンズが引きずってきた擦過音的要素は、既述の通り、アルバムで言えば『ワーク・タイム』を最後にロリンズの演奏から完全に払拭されます。(と、思わず書いてしまいましたが、実際には『ベイジン・ストリート』にも結構聞き取れます。)すなわちこのアルバムは音色で言えばひとつの分水嶺を形成しています。
一方、このアルバムの“It’s All Right with Me”の出だしに典型的な、低く幽かで軽やかに流れるけれども決して軟弱ではない音は、この後さまざまな模索を重ねながら発展していく様が伺えます。『ベイジン・ストリート』にも何箇所もこの同じ音が(しかしより優れた音質で)現れますが、とりわけ、翌年に吹き込まれた、ロリンズのクインテットによるアルバム『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』“Rollins Plays for Bird”に収録された『バーズ・メドレー』“Bird’s Medley”の音色は、『ワーク・タイム』の音から直接発展させられたもののように思います。そしてこの『バーズ・メドレー』と題されたトラックこそは、ロリンズの切り拓いたサウンドの意義を極めて明瞭に語るものと筆者は考えます。
本稿では何度も取り上げて同じ内容を繰り返し述べるのですが、この『バーズ・メドレー』には、ロリンズの非常にユニークな模索の一結晶が聴けます。
このトラックは、チャーリー・パーカーCharie Parker Jr.へのトリビュートというコンセプトにも関わらず、恐ろしいほど地味でおとなしく、いわば甚だ気勢の上がらないトラックです。ロリンズと数々の共演を重ねているドラマー、マックス・ローチも例えば『ベイジン・ストリート』のように派手な叩き方はしていません。ベースもピアノも至っておとなしく、とりわけピアノは、せめてもう少しはっきりした音を出してくれてもいいのではないか、と注文をつけたくなります。(尤も、リズムセクションがくぐもってしか聞こえないのは、多分に劣悪な録音技術の問題もあるのでしょう。)そんなわけで、このトラックは、最近の凝りに凝った音作りのJ-Popのファンはもちろん、大方のジャズ・ファンでも気が抜けるほどスカスカの覇気の無い演奏に聞こえるかもしれません。ということは、どこかの書店などで店内に低い音量で流れていれば結構好感を持てる演奏ということになります。
“They Can’t Take That Away from Me”の特異性
演奏は、サックス単独で『パーカーズ・ムード』“Parker’s Mood”の冒頭のみが吹かれた後、ピアノのイントロが流れてこのトラックのややlazyでdullなもたれ気味の調子が決定されます。
ここからメドレーに入るのですが、演奏開始後8分50秒ほどから、『誰も奪えぬこの想い』“They can’t Take That Away from Me”に入ります。ここでロリンズは地力を示すまっとうなソロを展開し、ローチとの4小節交換の後(演奏開始後11分30秒ぐらい)で、テーマに戻り衝撃のフレーズを放ちます。
それは曲のテーマメロディーには違いないのですが、ほとんど悪趣味すれすれと言えるほどにメロディーを誇張したものです。書の喩えで言うと、トメ、ハネ、ハライなど一画一画の要素を極端に誇張したような感じです。普通ならそういう誇張を優れた書作品に仕上げるのは難しいのですが、ここでロリンズのやっていることは、トメとはどのような原理のものでこの文字をどのように活かしているか、ハライは、ハネは、この文字にとってどのような意義と美学に基づいて確定されているかを、ゆっくりと時間をかけた筆の動きで誇張することによって、文字の形態の完成原理を浮かび上げるのです。そして、この珍しい変奏の成立に必須の要素こそ、ロリンズ以外に未だかつて誰もこんな音を実現した例のない、いやが上にも態勢の低い、まるでサックスという楽器の最底辺をこすって確かめながら発せられるような幽かな、しかし迷いも躊躇いもない断乎たる低音です。確かにサックス以外からは絶対に出ない音だけれども、誰もサックスに要求も想定もしない音、音楽という文化活動に果たしてこのような音が必要になる場面があるものだろうか、と思われる音です。そして、この音は『ワーク・タイム』で実現された音色の方向をさらに推し進めた結果得られたサウンドと筆者には聞こえます。
26歳になったばかりの、老成というほかない成熟したそのサウンドに、是非とも耳を傾けてみていただきたいと思います。
『誰も奪えぬこの想い』という大衆的歌曲は、この演奏によって、その商業的装いも表面的ロマンチシズムや感傷も、さらにはわたしたちが日常の中で理解している一般的な「歌」や「メロディー」の通念も、落ち着いて静かに剥ぎ取られ、しかも剥き出しの骨格とは全く異なる、特異な情感と曲想を持って呈示されます。では、ここに聴かれる特異な情感とはどのようなものでしょうか?
共感成立の最底辺からの発信
わたしたちは、音楽に憩い、音楽に安らぎ、音楽で心弾ませ、音楽で潤っているのですが、その音楽には、なぜこんなにもさまざまな形態があるのでしょうか。音楽が商業になってからは、絶えず新たに商品開発が重ねられ需要が掘り起こされ、またその市場に次々に新たな業者がヒット商品と類似の商品や新発想の商品を引っ提げて参入するという事情があります。それにしても需要の無い音楽が流通するのは難しいはずで、今日の多様な音楽は、何らかの事情で誰かに歓迎されるからこそ活況を呈しているわけでしょう。
わたしたちは、資質や性格も生い立ちも境遇も現在の心境や気分ももちろんひとりひとり異なっていて、その時その時に自分が耳を託せる音楽とともにあります。
私の現在を盛り上げてくれる音楽が、あなたにとっては無意味どころか遮断したい騒音であるというケースは少しも稀ではないでしょう。(註3)それを考えると、世にさまざまな音楽が行われているのも自然なことと納得できます。
ここで暫く、たいそう無神経かつ不謹慎な仮定をお許し願います。仮にあなたの1番大切な人(場合によっては、自分がそんなにも大切にしているとは気づかないほどに、その人が生活のほぼ全てになっているような人)が亡くなってしまった、とします。突然のことなら尚更ですが、たとえ暫く前から心の準備ができているつもりだったとしても、自分が独り世界の底に落ちたような気がするかも知れません。昨日までの生存原理を完全に失い、どう生きたらよいか、生きるとはどうすることなのか、何もわからなくなり、しかし、周囲では世界が昨日と同じように流れ、友人や世間の人々は変わることなく当たり前に生活している、そういう様が、あたかも世界というものに初めて出会ったかのように、ほとんど新鮮と言いたいほど不思議に見えるかも知れません。あるいは逆に、周りを見ていても実は何も見えてはいないほど周囲に無関心になるかも知れません。
大切な人を喪った、というのは不謹慎この上ない仮定ですが、例えばそんな悲痛の風の中に独りで吹き晒されている人、あるいはとてつもなく大きな、自力では絶対に解決不可能な苦悩に翻弄されてほとんど立ち上がる力も残っていないような人、周囲との意思疎通が極度に困難で、他者からの孤立を余儀なくされている、そんなひとりの人格があるとしましょう。かれは他者との繋がりをどうやって回復できるでしょうか?
ひとりの人格が(物理的困窮や生理的危機の有無とは関係無く)、精神的苦痛に沈んでいる時には、ありきたりの表現に陥りがちな言葉はしばしば余りに無力で、音楽こそかれが周囲との意思疎通を回復できる可能性を持つかもしれません。
では、果たしてどんな音楽が、かれが苦境を脱するよすがとなり得るでしょうか。どんな音楽ならば、抵抗なく静かに耳を傾け、自分が他者と繋がっていることを喜べるでしょうか?どんな音楽がかれを世界の人々に繋ぎ留めることができるでしょうか。
普段音楽無しには生きられないように感じている人でも、大切な人を失い生きる理由がわからなくなると、音楽などうるさいというような気分にさえ陥るかもしれません。
楽しく陽気な音楽は、浮世の憂さを晴らし他者同士を喜びで繋いでくれる音楽かもしれません。しかし、その陽気な音楽にかれは果たして心を開いて喜ぶことが出来るでしょうか。暢気な周囲に余計に絶望を深め頑なに心を閉ざすばかりになる惧れはないでしょうか?
沈痛で悲しい音楽も、自分の痛切な悲しみとは隔たりがあるように感じて、入り込むことができないかも知れません。
苦悩の内容は把握しきれぬまでも、世の不条理に悩むかれに同情し、それを慰めたいと思う人はあるかも知れません。しかし、徒らに同情を示して来る音楽、慰めようとする意図で奏でられる音楽に、人は心を開けるものでしょうか。「お前なんかに何がわかる」と意固地にならずに済むと言い切れるでしょうか。
あまりこの言葉を使いたくはないのですが、「絶望」という独特な精神状態を生きている人には、「希望」をちらつかせて来たり歌い上げたりする音楽は自分と無縁のものです。自分を救おうとして奏でられる音楽は、しょせん、自分の苦境の深刻さを知らぬ能天気な音楽です。心を癒そうとしている音楽もかれを救うことはできません。なぜなら、傷んだ心が癒されるためには、何よりもまず、意識以前の自分が癒しを欲していなければならず、さらには、かれを癒してくれるものは、道端に黙って咲く一輪の花であり、幼い子の無心に見開かれた瞳であり、癒しの意図や癒しの目的をもって接近してくる意識的行為ではないからです。かれには、全ての「意味」は疎ましく、あらゆる他者の「意識」は苦痛なのです。
そのような場面で、静かにたしかにはたらく音楽は、まず、「自己主張をして来ない」音楽ではないでしょうか。「わたしを聴いてください」と言わんばかりに意匠を磨きこまれた音楽、音楽の美しさをどこまでも追求しようとしている心震わせる演奏、ありったけの力量を注いで感動を追求する奏者、そうした全てが空々しくまたは疎ましく思われる精神状況というものが、人間にはあり得ます。
“Bird’s Medley”の、“They can’t take That Away from Me”のくだりは、おそらくそのような絶望状況にある精神にこそ語りかけうるものだと筆者は考えます。
これを吹き込んだ時にロリンズがどんなことを考えていたか、それに関しての本人の述懐はありません。
しかし、この非常に稀なサウンドは、もはや根本的に救われるほかには正気を保てなくなるぎりぎりの底辺に落ち込んだ精神が、自らの窮状に目覚め、ほとんど無目的に、それを自分に向けて可能な限り冷静に正確に記述しようとしているつぶやきのように筆者には聞こえます。そこでは、サックスは苦境に置かれた自らに聞かせるためにだけ、換言すれば現在の自分とは何者かという自己確認のためだけに、吹奏されます。そんな吹奏が即興でするすると出て来るのは、もちろんかれがサックスそのものと同化してしまうほどにサックスに打ち込み演奏技能を練磨した結果であり、もはや自分の意識とは、楽器に吹き込む呼気とキーを操作する指のことだと言ってもいい状態になっているからでしょう。
おそらく、人がかろうじて正気を保ち、聞こえて来る音になんとか耳を塞がずにいられる状態で、しかし世間の常識や規範から完全に脱落してしまうほどの苦境にいる時、静かに耳を傾けられる楽の音があるとすれば、この“They Can’t Take That Away from Me”のような音楽ではないか、と筆者は思います。それは、絶望の主体に「同情」するのでも「共感」を示そうとするのでもなく、絶望主体を「慰め」ようとするのでもなくそれに「寄り添う」のでもありません。ただ、絶望している独りのいるところどこにでもいて、絶望の中で聞こえる音楽はこんな音楽だよな、としっかりと語るのです。
明らかにこれは、世間の音楽愛好家が求める音楽とは別物です。麗らかな午後に気の合うお友達とお紅茶を頂きながら楽しむステキな音楽ではありません。美しい音楽を目指して日々研鑽する芸術家の目指す音楽でもありません。「音楽の効用」や「音楽の力」に詳しい人々が世界に普及させたいと願う音楽でもありません。
それは、あらゆる音楽の需要から外れた、需要の空白域に奏でられる音楽であり、音楽として必要とされる音楽ではありません。
“They Can’t Take That Away from Me”…「人はそれを私から奪うことなんか出来ない」という歌詞が、この時新しい光と意味とを帯びて私たちを打つかも知れません。
この演奏は、一度目の引退から復帰後のロリンズが、彼の咥えたサックスから出した音によって成立しました。その音は、いわゆる美的に探求された音ではなく、あるいは人気を約束される類の音でもなく、まさにこのような時間を作り出すために探し求められた音でした。
ジャズ・ミュージシャンとして活躍するためになら、わざわざこんな野暮なモテない音楽をやる必要はありません。しかし、ロリンズにはこんな音楽が必要でした。ここに至るまでに、彼は、こんな音を必要とする人がいる、と確信していたことでしょう。その音を求めて、彼はおそらく人知れず日夜サックスと対話し、サックスに問い続けたでしょう。どんなにその未出現の響きが心の中で鳴っていても、何をどうすればその音に近づくことが出来るのか、マウスピースとリードとアンブシュアを様々に試みて、模索し続けるほかはありません。『ワーク・タイム』から『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』に至るサックスの音色は、彼が引退中から復帰後にかけて探し求めた音であり、だからこそ、それは音の「創造」ではなく、サックスにおいてロリンズが掘り当てた音だと言えるでしょう。
サックスからそのような音を掘り当てざるを得なかったロリンズは、その音無しには自分の音楽が実現できない、という思いに駆られたミュージシャンでした。そのことがわたしたちに教えてくれるのは、引退中のロリンズの心の闇と苦悩の深さ重さに他ならないでしょう。自分は救われなくてはならず、苦しむ者は救われなくてはならない、という思いに灼かれた人は、サックスを吹き鳴らす以外に救われる術を知りませんでした。
90歳を超えてインタビューされたロリンズは、今日の音楽がかつてに比べると非常に難しい環境にさらされていることを指摘した上で言います。「しかし、どんなに報われなくても難しくても、誰かがミュージックをやらなくてはならない。」と。ミュージックは、やりたいならやればいいし、やりたくもないのにやろうとすることなどない、というのが世間的常識というものではないでしょうか。「誰かがミュージックをやらなければならない」……ここには、音楽を「使命」のように捉えざるを得なかった、ほとんど音楽を逸脱した音楽観に心身を貫かれた思想家がいます。
以後、楽器操作に長けたこのサックス奏者は、およそ音楽家としては報われることの余りに少ない魂の救済のためのミュージシャンとして、嵐のジャズ・シーンに仁王立ちするでしょう。
余談
この“They Can’t Take That Away from Me”を聴いた時、筆者はまだパーカーによるこの曲の演奏を聞いたことがありませんでした。ジャズの言説の至る所に出没するチャーリー・パーカーという名のミュージシャンの実際の演奏を全く知らないと言って良いレベルでした。ロリンズのこの演奏に惚れ込んで1年ほどした頃だったでしょうか、たまたまFMラジオのジャズ番組で、アルバム『チャーリー・パーカー・ウイズ・ストリングス』の演奏が流れました。ここで思いがけずパーカーのウィズ・ストリングスでのこの曲の演奏を聴くことになりました。これも衝撃でした。ロリンズがあのようにゆっくりと隅々まで咀嚼して聴かせたこの曲を、パーカーのアルト・サックスはまるで聴き手を置いてけぼりにするように、何の未練も無さげにサラサラサラーッと高い柔らかい涼しい音で駆け抜けて行くのです。思わず小林秀雄の『モオツアルト』の一節「涙は追ひつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂ひの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知ってゐた『かなし』といふ言葉の様にかなしい」を思い出しました。この瞬間に筆者はパーカーの真髄がわかった、と思えたのでした。以来、さまざまなパーカーの演奏記録を楽しめるようになりましたが、それもひとえに、ロリンズの不思議な演奏を聞いていたからこそでした。
『バーズ・メドレー』の完成
コンボ編成
『ワーク・タイム』はワンホーンのカルテットによるアルバムですが、『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』はクインテットでのアルバムです。
2管のクインテットという点では、『ベイジン・ストリート』も同じで、管楽器も同じトランペットとテナー・サックスです。上述のように、この3枚のアルバムには、いずれも今回問題にしたロリンズの音色が聴かれます。しかし、カラフルに(と言っても、1956年時点でのジャズでのことですからたかが知れているのですが)みなぎる音、という点では(そして3枚に共通のドラマーであるローチのはじけ方という点でも)最も威勢のいい『ベイジン・ストリート』が、実は筆者には1番聴き込む気にならないアルバムです。それは、これがどちらかというと技術に走った演奏という印象が強く、ブラウンとロリンズのそれぞれの器用さとセンスは窺えるものの、批評性が希薄で特段の感動を覚えることがないからです。さらに言えば、このアルバムをはじめ、ブラウン=ローチのバンドの音楽感覚が筆者にはあまり楽しめません。それは、ひとつのトラックとしてみたとき、意外に全体が平板でタメに乏しく単調に感じられること(もしかしたらこれは、ローチが一貫して全力で叩きまくっているのが影響しているのかも知れません。あるいはローチがそんな叩き方になるような音楽作りと言えましょうか。)、曲への入り方、曲からの抜け出し方に気の滅入る感じがすること(これはブラウンの感覚によるものだろうと推測します。おそらく、ブラウン一人での演奏なら、こんな印象は生まれないのでしょう。曲に対して同じ扱い方をすると、独奏で生まれる効果とバンド全体の音で生まれる効果は当然異なったものになります。)によるものではないかと思います。
脱線しますが、佐藤春夫が徳田秋聲の作風について「読んでいると、冷飯でご馳走を頂いているような感じだ」という面白い表現をしています。無論、秋聲とブラウンに類似点など無いと思いますが、筆者はこのバンドの演奏を聞くと、この面白い比喩を思い出してしまうことがあります。
それに比べるとワン・ホーン・カルテットの『ワーク・タイム』は色彩感がほぼ無く、その点では愛嬌に乏しい単色の感じ(この違いは両アルバムのジャケットにもよく現れています。)ですが、ロリンズの柔軟でダイナミックな時間構成が楽しめます。
ケニー・ドーハムの精彩
『プレイズ・フォー・バード』のクインテットでトランペットを吹くのは、ブラウンではなく、ケニー・ドーハムKenny Dorhamです。例えば同じ楽器構成で吹き込み時期も近いアルバム『マックス・ローチ・プラス4』“Max Roach +4”などでは、バンドの中でドーハムのトランペットの音が少し甘いのが惜しまれるかも知れません。
しかしロリンズの『バーズ・メドレー』は、ドーハムに負うところ極めて大きく、彼無くしては成し遂げられなかった名演だと思います。
このトラックは、いつの間にかドーハムのアルバムを聴いているような錯覚に身を任せてしまっているくらい、ドーハムは存分に長いソロを披露しています。その、気づかないほど微かにツヤ消し処理が施されたような、明るいけれども渋い、硬過ぎも柔らか過ぎもしない安定したトランペットの音色が、丁寧にしかし迷い無くあたかもそこに自然にある音とでもいった風情で、亡きパーカーへの敬慕を綴っていきます。「中庸」という言葉はこの人のためにあるようなドーハムの美質が、この高音の楽器を出しゃばらせません。
メドレーは、『スター・アイズ』で幕を閉じます。その最後の部分を、某有名ジャズ喫茶のとてつもない重厚巨大スピーカー(筆者がこれまでに接した最大の JBL)で聴いた時の驚きと感動を、筆者は今も昨日のことのように思い出します。それは確かに『スター・アイズ』の末尾の変奏に違いはないのですが、ロリンズとドーハムの抑制の利いた呼吸が、時に重なり合い時に囁き交わしながら、この曲がこんなにも可憐で素朴でユーモラスで楽しい表情になるのかと驚かせつつ、かすれ弱まり遠ざかって行きついにフェイド・アウトで消えるかと思われた瞬間に絶妙の音量のピアノがダダンと終演を告げます。この瞬間に筆者はロリンズをひとつの悟りをひらいた人と確信しました。
この最後のドーハムとロリンズのかけ合い(?)(ジャズで「かけ合い」というと4小節交換などの意味に聞こえるかも知れませんが、ここはその意味ではありません。)は、両者が本当によく意思の疎通ができ意図の共有が徹底していながら、しかし通常用いられる「ぴったり息の合った」という事態には聞こえません。呼吸は確かにものの見事に響き合っているのですが、それは二人で合わせているというより、曲への向き方やコンセプトの共通認識、さらにはテンポとリズムの感じ取り方が同じであるために巧まずして合ってしまっている、という印象です。肩の力を抜き、どこまでも自然体に、互いの眼を見ながらではなく、同じ曲のメロディーの方を向いて自分と共演者の双方の音に耳を傾けながら、気取らず、ひたすら素朴に2本の管が響き合い対話しうなづき合います。ほんの僅かのズレがかえって調子の一致を感じさせるような、真にspontaneousで楽しげな終わりです。
音色の探究
ソニー・ロリンズはサックスの音色に対して飽くなき探究を続けたミュージシャンです。(そのうち最も大きな危機感をもって取り組んだのは1960年代末期からの10年余りだったかと思います。)楽器の音色に敏感な人は、色々な時代の初めて聞くロリンズの音を「ロリンズだ」と当てたりするのですが、少なくとも表面的には時代によりかなり大きな変遷を見せます。また、1980年前後には、インタビューに応えて、コンサートには5、6個(あるいは10個ぐらい)のマウスピースを持って行く、と言っています。実際の会場に入ってコンサート前にステージで色々なマウスピースを試し、その会場に最も適したマウスピースを選ぶ、と言っています。
そうしたこだわりの最初の成果が、『ワーク・タイム』から『サキソフォン・コロッサス』を経て『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』に至る、ヌケが良く姿勢低く邪魔にならず聞き易い、しかし軽薄に流れずしっかり安定感のある音色でしょう。ここで模索された音色は、ロリンズが音楽を美の追求と考えてはいなかったことを雄弁に物語る、と筆者には思われます。第一次引退復帰後の彼にとって、ジャズとサックスの音は、思い悩むこと多い人々の間に、確かな相互信頼に支えられた共感をもたらすものでなくてはならないものであったようです。やがてこの音色はピアノレス・トリオによるアルバム『ウエイアウト・ウエスト』“Way Out West”中の、とりわけ『ワゴン・ホイールズ』“Wagon Wheels”などに優れた達成を残します。そして、なんと彼の3度目の引退からの復帰後の最初のアルバム『ネクスト・アルバム』“Next Album”(1972年)では、このサウンドが更に柔らかく幽かになって復活することになります。
終わりの呟き
そのうち番外篇か「邂逅と対話」篇のいずれかで扱いたいのですが、筆者は何よりも音色に反応する聞き手です。
例えば「リトル・ジャイアント」と綽名された、ジョニー・グリフィンJohnny Griffinという、大好きな名前のテナー・サックス奏者がいました。彼などは、もしサックスの音色にもっと好感が持てたら大いに聴き込んでいるかも知れない、と思います。しかし、あの音色では世界は救えないだろう、と思ってしまいます。
そういう偏屈な筆者にとって、ロリンズは何よりもまず音色のミュージシャンとして意識されました。今回取り上げた系統のサウンドそのもの(曲の演奏は聞こえていませんでした)を聞いたことがロリンズを聴くきっかけになりました。このようなサウンドは、表現という行為に特殊な問題意識を抱いたミュージシャンが、人間と世界との救済案として呈示するものだ、と確信したのです。
次回の本編のテーマは何になるかわかりませんが、順当にいけば、世評高いアルバム『サキソフォン・コロッサス』におけるロリンズの問題意識を考えたいと思います。
註
1) 今後も多くの場合がそうでしょうが、ここで取り上げるアルバムを、私たちは「作品」として扱うわけではありません。「作品としてのアルバム」という概念はブラウンやローチにどの程度あったか疑わしいし、ロリンズにはまだまだこの先当分そのような概念は出来ないでしょう。彼らにとって、アルバムを作るということは、自分たちの演奏を録ることでしかなかったと思われます。したがって、当分の間、わたしたちはアルバムそのものに対する「評価」の視点を用いません。ひたすらそこに記録され収録されている演奏の特徴だけを考察の対象にします。
2) 何人かの管楽器奏者、とりわけクリフォード・ブラウンらに関する評で、しばしば「うたごころ(歌心)」という言葉が使われます。「歌心あふれる演奏」/「歌心が遺憾無く発揮された名演」と言った調子です。これらは、もちろん否定的意図をもって使われることは無く、好意的な評価として用いられるのが通例です。「歌心」という言葉は、曰く言い難い音楽成立要件の一つを大変上手に掬い上げる言い回しで、ジャズの評での使われ方においてはその意味が実はかなり広いようです。しかし、筆者のように、「歌」という単語に、歌われがちな情感・情念や抒情性・センチメンタリズムといったニュアンスを想定してしまいがちな受け手、あるいは「歌」を「発声」と言う身体運動の現象の限界内でしか考えられない受け手に対しては、「歌心」という言葉は誤解や語弊を生じないだろうかと危惧します。たとえ評者がこれを肯定的に用いていても、その評を聞く側は、「歌心」という語によってある種のeasinessや表現限界を想定する場合がないとは言えないように思います。(「歌心」のあるものなど聞かなくても良い、などと。)ここで、「歌心」という言葉で評論家諸氏がどのような内容を伝えようとしてきたのかを、あらためて洗い直した方がいいのではないか、と思います。が、では「歌心」とは何なのか、正面切って問われるとなかなか回答は難しく、だからこそ「歌心」という言葉で誤魔化されて来たのだろうと思われるフシがあります。筆者はここで暫定的に定義を提唱したいと思いました。「歌心」は、①生まれた個々のメロディー(どんな傾向や様相のものかを問わない)の出現理由(なぜこんなメロディーが生まれ、なぜこのメロディーが魅力的なのか)を汲み取りそのメロディーを大切にする心性、②広くメロディーの発生という現象を愛おしむ心性、や、③メロディー的精神運動への指向や傾斜(すなわちついついメロディーやメロディーっぽい音の流れへと向かいがちな)心性、の3つを考えてみてはどうか、と思います。そのような意味を込めて、従来「歌心」と一括されてきた心性を、「メロディー指向(性)」と呼んでみました。上の①②③は、もちろん通底するところもあるとは思われますが、区別して考える必要のあるケースもあると思います。(ロリンズにおいても、きちんと捉えようとするとしばしばこの三者を分ける必要が生じるでしょう。)
3)ここでは、歌詞のある「歌」のボーカルの入る音楽を、一応音楽から除外して考えています。近年、たとえばアスリートたちが「心の支えにしている音楽」、とか、「元気をもらう音楽」、などについて語ってくれることがありますが、そのほとんどが、その「音楽」における「歌」の「歌詞」に対する反応であることに、筆者は驚かされます。もちろん、そうした歌詞は、曲に乗せられてこそ彼らに届くものになっているわけですが、しかし、その曲のレベルに比して詞は余りに単純なものに見えます。とりわけ、世界に通用する高度な水準の技能を示すアスリートが、あのようなシンプルな歌詞を精神の拠り所にできるというのは、一見不思議に思われますが、スポーツというのは身体を特定の使い方へ収斂させるものであって、そのためには複雑な言葉は邪魔なのかもしれません。
4)筆者による本シリーズの『3 音色の探究と発掘 補遺(1)』を参照。実際に優れた奏者は例外なく大きな音が出せる、とのこと。
5)以下の「厚いリード」に関する言及は、(註4)同様、『補遺(1)』を参照。実際には「厚い」リードというより「硬い」リードと判断する方が妥当のようです。