桔梗の風  鬼りんご


桔梗きちかうの風  二

   或ひは回想といふ能力の欠如


あ ききやう

と 叫びを呑み込む童の無声 が聞こえて目が覚めた

睡つてゐるのも咲いてゐるのも知らず ただ咲き睡つてゐた
おそらくはその希薄感に吸ひ寄せられて立ち止まつたものか
こちらを見て 息を呑んだ童の気配
に ふと睡りをさまされた

目を伏せ視線を避けて 何も気づかないふりをした

ききやう と 呼ばれる存在であるらしい

童は驚きやまないらしかつた
ほんとのききやうに出逢つてしまつた
(ききやう といふ 花は しんじつかうして実在してゐたのだ)
さうだ たしかにこれは 図鑑で見たききやうの花だ

「あはくはかなく
しづかな青はかすかに紫を帯びてしんと立ち」
などと のちに童は拙い文字で綴るだらうか
ききやう
と 題して

瀬の音が遠のき 鳥の声もやみ 風の音も絶え
日の光の中で童は立ち去りがたいらしかつた

もうすこし濃い色ではなかつたのか
ききやうといふ名にはちよつと淡すぎるのではないだらうか
一輪だけとはあまりに儚なすぎるのではないか
このみすぼらしい段丘の崖のとりとめのない雑草に紛れて
こんな清しい花がこんなにはかなく咲いてゐていいのだらうか

さういふ言葉を この童は知らないやうに見えた

見とれたままで どうやら童は悔やんでゐた
けふまでもつと励まずに来たことを
ああ もつとひたむきに学んで かういふ姿で野に立つべきだつた
この出逢ひを語ることは難しくとも せめて
この花の色と姿とを語れなくてはならないのに と

さうしてまた 童は恥ぢてもゐるやうだつた
にんげんといふみずからの 奇態な手脚 滑稽な体つき
その五体の 生まれて以来の得体の知れぬ汚れ
そして自らを無心の姿に律しえぬ 愧ずべきをのが心根を

はつきりと童は覚つてゐるらしい
今日からどんなに精進を重ね魂を磨き上げたとしても
このあはれふかい姿に己が変はれる日はつひに来ない と
断念といふ情緒に童が吹かれた おそらく初めかと見えた

そして童は気付かぬらしかつた
この気がかりな姿はまた あまりに細い茎のせゐでもあると

その間も時がやすむことのないのは
雲の影が落ちかかり流れ
わたしの頼りない茎が微かにしなり花が揺れるので知れた

たしかに昨日よりはすこし涼しいのかもしれない風に


(「こどもだま詩宣言」対応  原文縦書き)


いいなと思ったら応援しよう!