【コミックス】サノスのゲームがエンドしてから読む『サノス・ライジング』
取り上げる作品:
ジェイソン・アーロン(作)/シモーヌ・ビアンキ(画)/三岡三ツ子(訳)
『サノス・ライジング』小学館集英社プロダクション
映画漂流記をうたって置きながら最初の投稿がコミックなんですから、やってられませんよ、ほんとに。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』が公開されてからもう5年が経ちます。
作中では、サノスの指パッチンで喪失してしまった5年間と同じです!
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』からは6年経ちました。
もし『インフィニティ・ウォー』を鑑賞中、指ぱっちんで映画館から消失してしまった方がいても、もう『エンドゲーム』はご覧になれた頃かと思います。
『サノス・ライジング』はMCUがそんな怒涛の盛り上がりに向かっていく前の2016年に日本刊行された、サノスのオリジンを改めて語り直す作品です。
MCU版のサノスは、資源に限りのある宇宙を持続させるためには人口を半数にすべきという思想の持ち主でした。
当時は正直あまり新しさがないかな、とも思ってしまいましたが、その後の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』や『ワンダビジョン』『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』などを通じて、教育格差、家族の喪失、5年間いなかった人は何処に居住するのか、という社会問題化する後日譚が描かれ、そのリアリティーがぐんぐん上がっていきました。
コミックス版のサノスはというと、
超人的な知性と戦闘能力は同じなのですが、そのハイスペックのせいでサノスにとってはどんな人間も下等生物に見えています。
しかし唯一対等に思う人物として、デスという死女神が登場します。
このデスに振り向いてほしいために、サノスは次々に虐殺行為を行いますが、デスが振り向くことはないのです・・・。
更にこのデス自体、孤独なサノスの妄想である可能性も仄めかされます
(コミックスはとんでもない数が出版されているので、『サノス・ライニング』を初め多くの場合この設定を踏襲している、というレベルです)
とんでもない設定だなあ、と驚きましたが、
MCUでこの設定を採用するとバランスが悪い気もするので、「やはりケビン・ファイギ、只者ではない!」と改めて思ってしまいます。