単行本の小説は不要? 文庫本だけの時代がいずれ来る?
紙の小説には単行本と文庫本の2種類があります。文庫本は単行本の廉価版として明治の時代からあり、昭和初期の円本(1円で買えた本)が一大ブームとなり一般に普及しました。
最近では文庫本書き下ろしが増えてきていますが、単行本刊行から数年後(多くは2年から3年後)、廉価版として文庫本が刊行されるケースが一般的です。
この販売手法は、小説の世界では当たり前になっていますが、よく考えると不思議な販売形態ですよね。単行本も文庫本も内容は、ほぼ同じです(文庫にしたときに一部加筆・修正する場合もあります)。異なるのはサイズや紙質で、廉価版なのに新たに作り直しているわけです。
発売から数年が経って、音楽CDや映画を収録したDVDの廉価版を販売するケースはありますが、その場合パッケージはほとんど変わりません。単行本から文庫本のように新たにパッケージを作り直して、半額で販売する形態は珍しいかもしれません。
廉価版を作るのもコストがかかるので、売れ残っている(だろう)単行本を値下げして売れば良いと思うけど、再販制度があるので書籍の値引きはできません。
だったら、単行本の販売をやめて、最初から文庫本を刊行する方法もあるかもしれません。現実に、文庫本書き下ろしの小説が増えている印象があります(統計データは見つかりませんでしたので、あくまで印象ですが)。ライトノベルやライト文芸では文庫本での販売が一般的です。
スマホの普及もあり、大型の単行本を持ち歩くより、小型の文庫本の方が良いという若い人もいるでしょう。お年寄りの中には、単行本が重たいという人もいます(以前より軽い紙が使われた本が増えていますが)。
原材料の値上げで、割高な単行本を避ける人もいます。
単行本は特定の小説の蔵書版だけになり、多くの小説が文庫本だけになったら、どうなるでしょう。まず考えられるのは、売上の減少です。単行本より
単価が安いので、出版社と書店の売上は減ります。
小説家として困ってしまうのは、印税の減少です。基本的に作家の印税は、価格 X 刷り部数なので、単価が安い文庫本だけになれば、作家の実入は減ります。また、単行本から数年後に文庫本を刊行する今の手法では、二度印税が入ってきますが、それも無くなります。
かなり深刻ですね。
一方で、コストは節約できます。製本コストは抑えられます。サイズが小さいので、輸送費は安くなるでしょう。書店の陳列スペースも小さくて済むので、将来的には不動産コストも抑えられます。
もちろん、単行本を好む読者もいます。文字が大きいので読みやすいという人はいますし、「本棚に飾るなら単行本だ」という人もいます。
そういう人は単行本がなくなってしまうと困ってしまいますよね。
最初の商業出版である「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」が刊行されたときは、もちろん天に昇るぐらい(陳腐な表現)嬉しかったのですが、一方でいつかは単行本を出版したいと思いました。それは多くの賞が単行本が対象なのと、単行本の方が書店で目立って、手に取ってもらいやすいからです。
今年、初めての単行本形式の小説「夏のピルグリム」を刊行することができました。もちろん宇宙に飛んでいけるぐらい(陳腐かつ意味不明)嬉しかったのですが、多くの人の手に行き渡りやすいのは文庫本なのではと思うこともあります。
現実に、小説の売上ランキングでは、文庫本が上位を占めていることが多いです。有名作家は別にして、新人作家でヒットを飛ばしているケースは文庫本の方が多い気がします。それは安くて手軽だから手に取ってもらいやすいことがあるのでしょう。
そう思うのは、隣の芝生が青いってことなのかもしれませんし、単行本と文庫本の両方に良い点があるということかもしれません。
だけど、小説を読む人がどんどん減っていくと、価格を下げるために文庫本が主流になる時代が早晩やってくるかもしれません。
そうなったときに、小説家はもちろん、出版社や書店は深刻な変化を求めらることになります。
そうならないためにも、単行本で手に取ってもらえるような善い小説を書き続けることが小説家に求められることなのだと思います。
著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より発売中です。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら書店で手に取ってみてください。善い物語です!