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怪物を観た(映画感想)※ネタバレあるかも。

さすが是枝作品。これまた「ズーン」と来る、映画です。そこに来て坂元裕二さん脚本でより深く人間の複雑さがマシマシに仕上がっている。

結局、「多様性」だ「寛容」だと言葉だけが先行してるだけで、その実は「噂」や「憶測」や「想像」、「先入観」で物事を自分なりにもしくは相対的に評価、判断するのがもう当たり前な世の中。学校という場所はそういう「裏」と「表」、「本音」と「建前」を学ぶという点ではとても優れていると、改めて思い出されました。

怪物。果たして怪物とは一体、誰なのか?ドラマやアドベンチャーのように、明確な主人公の対峙する敵役、相手としての「怪物」ではなく、母親にとっての怪物、その息子「ミナトくん」にとっての怪物、ホリ先生にとっての怪物と、それぞれが疑念や不審、不安を抱く対象が異なる。その辺を味わうと、よりこの映画は深い風味が立ち上がる。

エンディングは、ハッピーなのか?バッドなのか?いろんなパターンが思い描けると思うけど、私が考えたのは、ミナトくんが駆けつけた時には、星川くんが自宅バスルームでもう絶望的な状況にまでなってて、それを目撃したミナトくんを、そこにいた星川パパが殺害し、星川パパは二人の遺体を用水かどっかに遺棄した、というパターン。(勝手な妄想ですが。。)どうも、星川くんがあの後あんな元気に走り回る事は考え難いんですよね。あと、ミナトくんが星川くんちに駆けつけた時に「カン!」って、空き缶落ちるような音がしたし。父親がその時点ではまだ、自宅にいた可能性あるのでは。。

そう考えた場合、ラストの二人のやりとりはミナトくんの頭の中の理想というか、走馬灯的な映像。
消防が出動するほどの暴風雨の中、何故か外に出ててふらふらに酔っ払って倒れる星川父の姿や、「決定的な何か」を校長が嵐の中見てしまった、と思しきラストのカットもあったり。

まあ、私なりの「穿った」邪推、想像ですが。そうそう。この映画はラストをあれこれ「邪推」させてしまう、そういう我々自身の心をも面白がるというか「そういうところですよね。」と、大きく振りかぶって指摘してくるというか。。そういう「意地悪さ」も含んだラストですね。

どういうことかというと、ホリ先生がガールズバーに行ってた証拠もない。(多分行ってない。)校長が実は事故を起こした、という確たる証拠のシーンもない。星川くんが変わってるけど、決定的な「何者か」(セクシャリティーなど)を確証つけるシーンやカットもない。※あったのならごめんなさい。
 「教師」という、「人にモノを教える立場」の人がガールズバーに行っていたなら。。校長のお孫さんの事故、実は校長自身が事故を起こしてたのでは?星川くん、ちょっと勉強出来ないし少し女の子っぽくて変わってるけど、、これら全て、周りの人が無責任に思い描いた「疑念」や「想像」でしかないのでは?最初は内輪の「冗談」で何気なく発されたであろう噂が、近くで聞いてた誰かの耳に入って、「あれ、校長らしいよ」って、さも「関係者の証言」として、一人歩きしていく。それら「ちょっとしたこと」が火種になって、その人の人格やパーソナリティを毀損し、結果として明るい未来までも奪ってしまう。。(ミナトくんの父親の事故死に関しての内情も、無責任な誰かが吹き込んだデマである可能性も大いにあり得る。)

つまりこの映画、「映画的なヒントの散りばめや伏線回収主義」さえも否定する、というかそれらを鵜呑みにしてしまう我々自身の「危うさ」をも演出に変えてしまう、とてもとてもな意地悪さがある。つまるところ、そういう「他人の印象や属性であーでもないこーでもない」を想像して「次の展開を予想して」しまう我々自身を「怪物」として描かれていた、という、とんでもないオチがあるのではないか。

でも、いや、だから、間違いなくすごい映画!です。

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