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病める時も、健やかなる時も、貴方を推す。[オタクの話]

私の中学時代、いや正確にいうと中二、中三はぶっちゃけクソ病んでました。笑えないくらいに。

今日のnoteは、そんな毎日病んでた中学時代から今まで、そしておそらく死ぬまで推すであろう推しの話をしようと思います。
ちょっぴり沼落ち日記?的な部分も含まれております。
大好きな推しの話を、真剣に、本気で言語化してみたので、よかったら読んでいってください。🫶

出会い

私が人生の推しだと言い切る彼とは、中二の時に「ミュージカル刀剣乱舞」(以下刀ミュと表記。)という作品で出会いました。(オタク特有の、一方的に認知したことを出会いだと表現してるやつです)

当時「2.5次元」と呼ばれるアニメ原作の舞台作品自体は知っており、
他の作品はいくつか見て舞台沼に片足を突っ込んでしばらく経っていましたが、「これ(刀ミュ)に手を出したら引き返せない…」と思って観るのを躊躇していたんですね。私は。

ですがYoutubeで刀ミュのMVを軽い気持ちで見てしまい、とうとう刀ミュの世界に足を踏み入れることとなります。
これが彼と、彼が演じる加州清光との出会いとなりました。

当時、可愛い男の子系キャラが好きだった私は、他のキャラクターに惹かれ刀ミュシリーズを見ていくようになります。
その時彼のことは眼中にもなく、ただ「可愛いな〜」くらいで、特別な感情は持ってはいませんでした。

推すきっかけ

そんなこんなで刀ミュシリーズをいくつか観ていくうちに、
加州清光 単騎出陣」という、主要キャラクターが彼オンリーのライブ公演を観ます。
そして私は、この公演で彼が演じる加州清光に惚れることとなります。

「加州くんソロの公演があるんだ、人気だもんね〜」程度の、なんとなく観てみるか、の気持ちで観たこの公演。

これまで注視して観ていなかったけれど、観始めるとわかる彼の凄さ。

何十曲も歌って踊っているのにも関わらずヘロヘロになることはなく、
汗だくで息も上がっているのに、
ずっとずっと「可愛くて愛されたい」、そんな加州清光そのもので。

ダンスはパワフルだけど力を抜くところは抜く緩急があり、
彼の表情は曲や加州清光の感情の変化を写す鏡のよう。
普段の明るく可愛い力のある笑顔から、あの目力からは想像もできないような、儚く、今にも消えてしまいそうな憂いをおびた目をする表情管理とその幅広さ。

この人はこのキャラクターを演じるために生まれてきたんじゃないか。
そう感じました。

シーンによってなにもかもが様々に変化し、でもそれらが全て繋がっている、そんな芝居をする彼。

表現力を言語化したような存在。

公演を観終わる頃には、私は彼という人間の演じる加州清光と彼の歌や芝居、ダンス等の表現が好きで好きで堪らなくなっていました。

沼落ち

彼が演じる加州清光によって、彼の沼に片足を突っ込んだ私は、
(いやいや、加州くんが特別良かっただけでしょ、私可愛いキャラ好きだし、加州くんいハマることは不自然なことじゃない…!!!)などと、「自分はまだ推してない!」という無駄な抵抗をしていました。笑

そんな当時も既にコロナ禍で、
もう外出制限はなかったはずですが(私の記憶が正しければ。)その少しほど前の、まだガッツリ外出制限があった頃、若手俳優界隈ではインスタライブが流行っていました。コロナ禍によって生まれた配信文化。
それの名残なのかはわかりませんが、彼がインスタライブをすると言うので見ることに。

このインスタライブで、役を演じてない彼を初めてしっかりみることになります。

そして彼本人の人柄や役への情熱・ストイックさ、話の節々から感じられる知性あふれる語彙や、界隈で「流司節」と呼ばれる独特の人を魅了するトーク。

「この人のこと死ぬまで推したいかも。」

なんとなく、けれどはっきり思ったことを鮮明に覚えています。

余談ですが、私は言葉を重く捉える性格で、世界で一番好きとか、簡単に言いたくないし思わない、そんなめんどくさい人間なんですね。
でもこのときはしっかりと、強く思ったんです。

本能的に何か感じ取ったんでしょうかね。
ちょっとおもろい。


それからは早くて、そのインスタライブの3日後にはFCに入り、あっというまに私の中で彼は最推しと化していました。

にしても、オタクのこうだと思ったことへの行動力は、我ながらえぐいなあ…と振り返るたびに思います。笑
それぐらい彼に惹かれました。

中学時代の精神不調

そしてここからは私のメンタルと推しとの話。(少し重め)

彼が最推しになる少し前くらいから、私は原因不明の腹痛で学校に行けなくなります。(中2の6月ぐらい。)
原因不明と書いてますが、おそらくストレスによる腹痛。
その後しばらくして腹痛はなくなったけれど、学校は行ったり休んだりを繰り返すようになります。

準・不登校みたいな、不登校予備軍?みたいな。笑

そんな調子でまあまあ過ごしていた私ですが、
中学3年になり「受験」「部活」「学校の委員の仕事」などが大きくのしかかりキャパオーバーに。
プライドが高くて完璧主義な性格で、自分に求めるものが高いし、その目標を達成できなくて、やりたいのにできない、うまくいかない。

特に数字として現れる成績に悩まされました。

塾の夏期講習がしんどくて、夏休みは大荒れで二学期は学校に行けなくなり、3年の三学期早々にあった実力テストの日から学校に行けなくなりました。

正直この時期が一番辛かったです。

そして、この時期とても支えられたのが推しの存在でした。

荒れてた時代の心の支え

この時期はやらなきゃいけないと思ってることができず毎日泣いていて、日によっては頑張ってる推しさんを見るのも辛い日もありました。

自分はどうしてこんなにダメなんだろう、推しさんはこんなに頑張ってるのに、それと比べて私はなんなんだろう、って。

日々自己否定を繰り返し、
振り返ってみるとものすごくネガティブで自己嫌悪が強かったです。

当時の自分にとって神のような存在だった彼はすごすぎて、
彼のことをみてしんどい日もありましたが、
それでも力をもらうために、推しの演技やツイートを見ることでギリギリを保っている状況でした。

なんて言ったらいいのかわからないけれど、
本当に本当にしんどくて。


毎日情緒不安定な自分に自分で疲れていたし、考えても答えがないことを永遠悩み続けて、自分に苛立ったり、自分のことがどうしようもなく嫌いで嫌いで仕方なかったです。


でも、当時どんなにしんどくても、死にたい、とは思わなくて。


めちゃくちゃ病んではいたけど、
どんなにしんどくても、どんなに辛くても、
まだ発表されてないドラマとか、知らないところで進んでる舞台の話とか、大好きな推しの将来の頑張りを想像すると、死ぬのはもったいない、じゃないけど、そういうふうに思うから、なんとか頑張っていれました。

今、落ち着いた状態で振り返ってみると、当時の私は、彼が居るから生きていけたんだと思います。正直、彼の存在にすごくすごく依存していたんですね。

きっと、一つの何かに依存したり、人に期待をしすぎる依存はあまり良くないことかもしれないです。

だってその依存していた存在がなくなった時に生きていけなくなってしまうから。

だけど、当時の私には推ししかなくて。

別の好きだったこととか好きだったものを、自分を支えられるほど好きでい続けられる力も自信もなくて。

推しだけに集中して依存することは良くないことかもしれない。
けれど、もし、あの時推しがもしいなかったらと考えるとゾッとします。



それから数ヶ月の間、推しに支えられてなんとかやっていくなかで、少しずつメンタルが安定してきて、悩みも100%の解決はできなかったけど、時間と共にマシな方向に変換することができるようになりました。

部活の集大成である文化祭には出なかったし、委員の仕事もなんにもしなかったけど、迷惑をかけた様々な人に謝罪と感謝をして、その後は自分のキャパを理解して、学校にも行けるようになり、無事卒業することができます。

数年経った今でも当時のことは思い出すとしんどいですし、つらいこともあります。
だけど、推しの存在があったことであの時を乗り越えられて、今があるんだと思います。

今でもしんどいこととか上手くいかないこととかはたくさんありますし、きっとこれからだってそう。
だけど、そんな時には、推しや周りの力を借りて、少しずつでも頑張っていけたらなと思っています。




世界でいちばんの、私の推しさん。

私の中学時代を、しんどいときを、支えてくれてありがとう。

あなたと出会えて、あなたのオタクになれて、本当にほんとうによかったです。

これからもあなたのファンであり続けたいと思うし、役や音楽活動を通して私たちに新しい世界を見せ続けて欲しいです。
大好き。

そして、最後に、今回この長文を読んでくださった皆様、ありがとうございます。
あなたの人生が素敵な推しで彩られることを願っています。



#ハマった沼を語らせて


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