古謡から読み解く家造りの情景#2 沖縄島_後編|Studies
謡われた新築の様子
次はオモイ形式の歌で、原典の『山原の土俗』の記述からは屋根葺きが終わったときに謡われたことが類推できます。
新築の時のオモイ(大宜味)
この歌からわかることとして、杣山で木材を調達するのに日取りを決めて、集落の男たちが手伝って切り出し、担いで戻っていたことが挙げられます。また、どうやら集落の根神(ニーガミ)が儀礼を仕切って、ヤジクという神人が参加しており、ノロはおそらくノロクモイ地に自生しているであろう茅を提供しているのみで、儀礼に参加していないように推測されます。
桁に太鼓を吊り下げるという点も興味深いと思います。ここでもやはり、鳴り物や神を招くことで建材に宿っている山の精霊に退散いただくことが儀礼の趣旨のように見受けられます。
木材の民俗分類
この歌ではイジュの木や竹、茅が登場しますが、『南島歌謡大成』(沖縄篇上)には次のように国頭地方での同様のウムイが数点収録されていて、それをみると他に椎(スダジイ)、琉球松、もっこく(イーク)、蔓などの材が登場することがわかります。
家ツクリノ祝儀ノトキノオモイ(国頭間切)
家の神が宿る場所
「新築の時のオモイ」でもうひとつ重要な視点は、「何々でぃん人の戸端口ねー 綾が筵敷き拡ぎ(何々年の人の戸走り口で綾の筵を敷き広げ)」という句に見出せます(「何々」というところには十二支の生まれ年が入ります)。
戸走り口とはいったい何でしょうか?
一般に沖縄の建築儀礼では、屋敷の四隅、中柱、棟木が拝まれますが、このトゥハシリ(戸走り)もかつては同じく祈願の対象とされていました。これが何を意味するかはいくつもの伝承があって断定はできませんが、トゥハシリ=戸柱と解釈して、柱に家の神が宿るという観念があることを、赤嶺政信琉球大学名誉教授は指摘しています。
そうすると、家の神が宿る柱に木の精・山の精がいては都合が悪いから、あの手この手で出て行ってもらうというのが、沖縄の建築儀礼が意味するところなのかもしれません。
赤嶺教授はまた、かつて人々の住宅が穴屋だった頃は中柱信仰が明確だったが、家屋形態が多様化するにつれ、どの柱が中柱かわかりにくくなり、それはトゥハシリ信仰にも影響を与えたと推測しています。穴屋というのは、キャンプテントでいうティピー型(ワンポールテント)と同じで、中央を一本の柱で支える形式の小型の家(小屋)のことです。