沖縄キュイジーヌ#2 コレステロールとヌチグスイ|Studies
戦後に受け入れた食文化
終戦直後からはじまるアメリカ統治によって、沖縄料理に新たな表情が付け加えられたと評せられるだろう。その代表格がポーク缶詰である。救援物資として導入されたポークの缶詰は、もともと豚肉好きな県民嗜好にマッチして、特に炒め物には欠かせない食材となった。食品スーパーの特売日では、ポーク缶詰をいくつも買い込む人を見かけることは珍しくない。売れ筋は、デンマークや米国の本社に県民の味覚に合わせたレシピを送り、パッケージデザインを指示して製造させている、いわゆる現地委託生産(OEM)である。
1963年、日本で最初のファストフードチェーン店が沖縄にオープンした。北中城村のA&W(エーアンドダブリュ)屋宜原店である。駐留する米国人ニーズに応えたものだが、郊外の店に車で乗りつけて店外のマイクで注文し車内で食事するというアメリカンスタイルは県民にも浸透し、食習慣の変化やモータリゼーションの進行にもいくらか影響を与えている。
ビーフステーキも同じく沖縄料理として定着しているといえるだろう。老舗のジャッキーステーキハウスは、1953年に嘉手納町で米兵相手のレストランとしてオープンした。復帰前はアメリカから安価な牛肉が輸入され、復帰後は特別措置で輸入牛肉の関税を低減する措置が図られたことがあってステーキ店が乱立したのだが、本土よりも安く高級なステーキが食べられるというので観光客の間でも話題になった。現在は、飲んだあとの締めのステーキ文化がおもしろおかしくとりあげられた余波や、経営意識の高い若い世代へとステーキ店のオーナーが代替わりしていることもあり、再びの我が世の春を謳歌している。
新参のファストフードとしてはタコライスがある。メキシコ料理のタコスの具と野菜をご飯にかけだけの料理で、もともとは大食漢の米兵を安く早く満腹にさせるために考案されたという。しかし、県民にも人気は波及し、発祥とされる基地の町・金武町には、タコライスを食べるためだけに立ち寄る人があとを絶たない。
沖縄の地酒といえば泡盛だが、オリオンビールもその域に達しつつあるようである。沖縄とビールの関係をひもとくと、1875年の那覇港の輸入品目に8ダース(96本)の麦酒が記録されているものの、本格的な消費量の伸びは戦後の米軍統治時代で、このころは米国産のビールの飲食機会も多かった。オリオンビール株式会社が創立されたのは1957年で(日本における5番目のビール会社)、「地元のビールが断然うまい」のコピーで県民感情をくすぐり、テレビコマーシャルに県出身ミュージシャンを起用するなど、アサヒビールの傘下に入りながらもより地元志向を強めてきた感がある。
ここに挙げた以外にも、さまざまな食材・食文化がアメリカから直接に間接に導入されており、それは調味料や香辛料など味の基層にまで及んでいる。社会的にも国際結婚が進んだり移民者やその子弟が帰郷したりなど、沖縄的な味覚はこの時期に偏向されたところも大きいと思われる。
健康長寿料理
沖縄は長寿県であった。しかもかなり以前からそうだったようで、1738~1876年の間に90歳以上の高齢者41人が王府から表彰を受けたと記録され、そのうちの最高齢者は105歳の女性だったらしい(渡邉欣雄2003年「長寿県沖縄の誕生」を参照)。1995年に県はWHO(世界保健機構)事務総長を招き、「沖縄長寿地域宣言」を行っている。2002年12月に策定された『沖縄振興推進計画』のなかでも、「健康長寿の推進」を施策として県民の健康寿命を延伸することが定められている。
「長寿県・沖縄」はしかし、統計的には過去のものとなった。男性の平均寿命の年次別推移をみると、1985年には76.34歳で全国一だったもののその後は順位が落ち込み、2000年には77.64歳と全国26位まで下げ、最新の2020年はさらに下落して43位(80.73歳)の全国ワースト5となった。女性の推移は1975~2005年までは全て1位だが、2015年は7位(87.44歳)に落とし、2020年は16位(87.88歳)まで下がる結果となった。
このような状況で、伝統的な沖縄料理は健康長寿を媒介するものとして重視されている。「医食同源」としばしば形容されるように、沖縄では食べることがすなわち健康を管理することだったとされ、日常の食生活に薬草を取り入れていたとか、料理のことを「クスイムン(薬)」や「ヌチグスイ(命の薬)」と呼んでいたとかがアピールされる。
個別の食材についての評価も同様である。豚肉には良質のタンパク質、ビタミンB1とB2などが豊富に含まれ、疲労回復、動脈硬化や心臓病など生活習慣病の予防に役立つ。同じく県内消費が大きい昆布と組み合わせて食べることで、栄養分の吸収力が向上する。沖縄の島豆腐は木綿豆腐の1.3倍の大豆たんぱく質を含むだけでなく、一人当たりの年間消費量が全国平均のおよそ2倍である。市場やスーパーにはビタミンたっぷりの緑黄色野菜が並べられており、ガンの抑制や成人病の予防に、また体の調子を整えるのによい。
こうした文言は決して虚偽を語っているわけではないが、これらの食材が長寿社会の基盤だったかどうかは定かでない。戦前までの庶民の食生活におけるこれら食材の役割が大きくはなかったことは前述のとおりである。うっちん(ウコン)、ねこのひげ(クミスクチン)、ふーちばー(ヨモギ)、いーちょうばー(ウイキョウ)、ふぃらふぁぐさ(オオバコ)、ばんしるー(グァバ)など150種ほどあるとされる薬草類には、健康長寿のイメージがより強く投影され、お茶や錠剤に加工されたり、他の食品に添加されたりなど商業化が著しい。けれども、これらの多くは基本的に薬として使用されてきたことが意図的に忘れられている。
沖縄県民の多くは、「沖縄料理=健康長寿」という構図をめぐるこの歴史の断絶にエクスキューズを持っているわけではない。仮に沖縄の伝統料理と銘打って、明治期に農民が食したような蒸した紅芋まるごとを学校給食に出したとしても、PTAからは称賛よりも苦情が多く寄せられるに違いない。「貧しくありあわせの食事」という歴史的事実よりも、「健康なオジイ・オバアが食べてきた料理」という創られたイメージのほうに自己像を投影したいからである。