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最強のラテン音楽を求めて|ファニアを電撃突破せよ編|Liner-note
今日はオイラ少し憂鬱です。それというのも、いよいよファニア・オールスターズをとりあげるからです。オイラのように遅れてきたラテン音楽ファンにとって、ファニアは高い壁なんだよな〜 オールドファンからすると踏み絵の意味あいもある。ファニアを語らずしてサルサを語るな、的なね。考えすぎかな〜
ファニア・オールスターズ/Fania All-Starsは、サルサの黄金時代を築いた伝説的なミュージシャンたち。母体となったファニア・レコードは1964年、弁護士のジェリー・マスッチと総帥ジョニー・パチェーコによってニューヨークで共同創設された。オールスターズは、1968年にファニア・レコードのプロモーションを目的に結成され、当時のラテン音楽界で注目を集めていたトップミュージシャンを集め、レーベルの顔として活動するグループというかネットワークとしてスタートした。
1968年、ライブアルバム『Live at the Red Garter』でデビュー。1970年代にはアポロ・シアターやヤンキー・スタジアムでの伝説的なコンサートを通じて、サルサを世界に広めた。1980年代、ラテンジャズやフュージョンを取り入れ、サウンドを多様化しつつ、世界ツアーを行い、ラテン音楽をグローバルに展開した。
メンツは流動的だったが、中心を担ったのは以下のレジェンドたちである。
ジョニー・パチェーコ/Johnny Pacheco:リーダー兼プロデューサー兼フルート奏者。
ウィリー・コローン/Willie Colón:トロンボーン奏者であり、作曲家・プロデューサー。
ルベン・ブラデス/Rubén Blades:パナマ出身の歌手・作曲家・俳優。
エクトル・ラボー/Héctor Lavoe:ファニアを代表するカリスマ的な歌手。
レイ・バレット/Ray Barretto:コンガ奏者で、ラテンジャズにも貢献。
ティト・プエンテ/Tito Puente:ティンバレス奏者で、シーンの象徴的存在。
セリア・クルス/Celia Cruz:「サルサの女王」として知られる歌手。
何がすごいかって、まずライブパフォーマンスでしょう。熱狂的でエネルギッシュ、観客との即興的なコール&レスポンスや、複数のスター歌手が交代でソロをとる形式はまさに豪華絢爛だった。
それに多様性。異なるスタイルや出自、背景を持つ音楽家が融合して、サルサを豊かで革新的なものにした。ジャズやR&B、ファンクを取り入れて、サルサは深みを増したといわれる。周囲からの高い評価によって、ラテン系コミュニティのアイデンティティと誇りを象徴する存在ともなった。
ま、詳しくはネット上にたくさんの解説があるから、それを読んでもらったほうがいい。
で、曲紹介だけど、ファニアをそのままとりあげたんじゃ芸がないから、ファニアのカヴァー曲の特集にしよう。ファニアが拓いた未来をデロリアンに乗ってバック・トゥ・ザ・フューチャーしてみようってわけ。
最初は「Todos Somos Iguales」――エラスティック・ボンドさんどうぞ。彼らはベネズエラ人のアンドレス・ポンセ(Gt.)とホンジュラス人のソフィ・エンカント(Vo.)を中心に、2006年マイアミで結成された4人組エレクトロポップ・バンドなんだって。
当初はファニア魂の継承者スパニッシュ・ハーレム・オーケストラがハードコアにカヴァーしてるな、と思って用意してたけど、「Somos Iguales」という別の曲だった。うっかり〜 あるある〜
原曲は1977年リリース。まだ若いセリア・クルスがゆったりと広い心で歌い、70年代らしいメッセージを届けてくれた。
Elastic Bond “Todos Somos Iguales” original by Willie Colón & Celia Cruz
次は「Periódico de Ayer」――歌うのはビクトル・アマウリ・バラグエル&ロス・カジェヘーロスというバンド。この動画の2016年時点では、プエルトリコ出身の期待の若手って感じだったみたい。弦楽強めだからって油断しないで! 2:00あたりから変調しますよ。
原曲は1976年リリース。「昨日の新聞はもう誰も読まない」というフレーズを繰り返すのは、過去の恋愛への未練を断ち切って前進するため。エクトル・ラボーの歌声が独特のさびれた雰囲気を醸し出していたね。
Victor Amauri Balaguer & Los Callejeros “Periódico de Ayer” original by Hector Lavoe
そして「Catalina La O」――原曲重視のいかしたカヴァー曲に仕上げてくれたのは、ソン・カトルセとティブロン・モラレス。えっ、あのSon 14なの?って思ったアナタ、そうなんです、あのSon 14です。生きていたんだね。キューバ・カマグエイ出身のモラレスのほうも元メンバーらしい。
原曲は1976年リリース。プエルトリコの詩人ルイス・パレス・マトスの詩にジョニー・オルティスが曲をつけたもの。うーん、これがダンソンってジャンルなのかな?
Son 14 de Cuba ft. Tiburon Morales “Catalina La O” original by Pete “El Conde” Rodriguez
最後は「Calle Luna, Calle Sol」――ドミニカ共和国生まれ、ニューヨーク&マイアミ育ちのマングー。ヒップホップ、レゲエ、R&Bとかとラテンがミックスした芸風のラッパーなんだという。今も活躍しているのかは不明。
原曲は1973年リリース。これもエクトル・ラボーが歌うが、ウィリー・コロンと連名で出した名盤『Lo Mato』からのピックアップ。プエルトリコの旧市街地の治安の悪い2つの通りの名前がタイトル。ラップに合う選曲で、プロデュースしたのはジョニー・パチェーコだったりする。
Mangu “Calle Luna, Calle Sol” original by Willie Colón & Héctor Lavoe
ああ、肩の荷が下りた〜 これからは鳩胸を張ってサルサを語るよ。