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最強のラテン音楽を求めて|他人のふんどしで動かすリズム編|Liner-note

メレンゲ好きの人、集まれ〜(by闘莉王)

プエルトリコは一般的にはサルサ大国で、他に土着のボンバ、プレーナを聞いたことがあるくらい。なーんて思っていたら大間違い。90年代頃からメレンゲの一大輸出国なのである。本家ドミニカ共和国のお株を奪うほどの勢いだったんじゃ。

どうやらそれは、ボニー・セペダがサントドミンゴからサンファンへと移ったことによるものらしい。彼に続いて大物アーティストがプエルトリコに移籍し、彼のプロデュースでボリンケンのメレンゲ歌手が羽ばたいていった。

ボニー・セペダは歌手アナン・セペダの息子で、サントドミンゴにある国立音楽院で勉強した音楽エリート。ウィルフリード・バルガスのバンドに所属してブイブイ言わせた。早くも1986年にアルバム『Noche de discoteca』でグラミー賞にノミネートされている。

その彼がトリガーとなってプエルトリコに興したメレンゲブームは、サルサの間隙を埋め、女性メレンゲーロやアイドル風の男性ボーカルユニット/バンドを数多く輩出した。今日とりあげるのは後者で、多くはフォーマンセル(4人組)のボカリスタをフロントに置いている。


Los Sabrosos del Merengue

その一の矢ともいえるのが、ロス・サブローソス・デル・メレンゲというカタカナで書くと長たらしい名前のバンド。1984年にトーニョ・マトラコにより結成され、90年代にピークを迎えた。2000年以降はLos Nuevos Sabrososと改名し、今も活動しているらしい。

世代交代を繰り返しているフロントマンの中でも出色なのがマニー・マヌエルで、ソロキャリアを始める1995年まで在籍した。彼の在籍中に看板アルバムの『Sin Fronteras』がリリースされている。その2年後にジョセフ・フォンセカが加わり、バンドはマニー離脱後の危機を脱した。

曲は1992年の「Soltero y Sabroso」。この時点でのイケメン度は、マニーの孤軍奮闘むなしく★★★☆☆


Grupo Manía

お次は、もはや推しだといっていいグルーポ・マニア。1993年にデビュー。1994年にエルヴィス・クレスポが加入し、バンドはより飛躍する。エルヴィスは1997年に脱退・ソロ転向し、「スアべメンテ」のメガヒットをかっ飛ばす。 1998年にレイナルド・サンティアゴ(後述のソナ・ロハから)が就任してようやく穴埋め。

00年代に入るとバンドは人事でごたつきがあったが、それも乗り切り、2015年くらいまで順風期を送る。そしてオリジナルメンバーが抜け、再びゴタゴタ期を迎え、休止もありつつ現在までのらりくらりと存続している。

曲は1996年の「Linda Eh」(エルヴィスボーカル曲。後年のライブ映像にしてみました。1:06あたりからのロングバージョンで)。この時点でのイケメン度は、エルヴィス言うほどいい男か?で★★★★☆


ここからは超駆け足でいくぜ。なんといっても情報が少ないから書くに書けないのだ。

ソナ・ロハ/Zona Rojaは、ラ・パトゥルーラ15の歌手ジョシー・エステバンによって1992年に結成された。初期ボーカルのレイナルド・サンティアゴは中国系の血が入っているのか「チノ」と呼ばれる。

曲は1997年の3人フロント時代の「Rumba Caliente」。この時点でのイケメン度は、センターのぽっちゃり感が響いて★★★☆☆


サフラ・ネグラ/Zafra Negraは、1994年にジュライ・エレディアが組成したバンド。バンド名の意味は黒糖なんじゃないかなって思うんだけど…

曲は1995年の「Coqueta y Sabrosa」。前のと曲名が似てるね(メレンゲあるある)。この時点でのイケメン度は、意外とバランスがいいので★★★★☆


ラ・マキナ/ La Mákinaは、ドミニカで実績を積んだオルランド・サンタナの指揮のもと1996年結成。2000年までアンソニー・マルドナドがリードボーカルとして率いていた。曲の合間に汽笛音が入るのが特徴。

曲は1997年の「Nadie Se Muere」。この時点でのイケメン度は、微妙にバタ臭くて★★★☆☆


メレンゲってお決まりのように間奏でバンド名を叫ぶでしょ。ひょっとしてアレかな、どれも似てて聞き分けがつかなくなるからかな? でもそれがツボって、たまらなくテイスティ!


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