その17 ネコはダメ✖✖
(約1400字)平成11年4月初旬(K生後約6か月)
ネコはダメ✖✖
Kは検査で卵アレルギーだとわかったが、一生卵を食べられないわけではない。
赤ちゃんの時に発症した子は、だいたい3歳くらいまでには大丈夫になるようだ。
だから、当然ネコもいつか大丈夫になるのだろうと思っていた。
念のために一応、主治医のS先生に確かめてみた。
「いやー、ネコはまず無理だね。」
えー!
勝手に大丈夫だと思い込んでいた私たちは、大変なショックを受けた。
では、なぜ、卵は大丈夫になるのに、ネコはダメなのか。
卵とネコの根本的な違いは、こうだ。
卵は、食べ物。ネコの皮セツは、ホコリ。
つまり、食べ物は、調子が悪ければ食べなくて済むが、皮セツの方は、一緒にいれば吸い込み続けてしまう。
となると、今の生活はこれ以上続けられない。
1階とのトラ君の部屋を、父ちゃんが裸で行き来する作戦は、数か月で終了する予定だったから可能なのであって、これをトラ君の寿命が尽きるまで、一生続けることは不可能である。
貰い手を見つけるしかない…。
さようなら、トラ君…
貰い手は、なかなか見つからなかったが、トラ君の部屋を父ちゃんが裸で行き来する作戦を始めてからひと月あまり経ったころ、父ちゃんの遠い親戚で、貰ってもいいという人が現れた。
貰ってもらえるなら、早い方がいい。
その日は、春休みの間の、4月3日(土)に決まった。
私は、トラ君の性格や、好きなこと、気を付けてほしいことなどを手紙に書いた。
夕方4時50分に、夫が車に乗せて出発した。
私は、Kを抱っこして、見送りには出なかった。
トラ君は、出発の直前までニャーニャー泣いていた。
出発してしまうと、シーンとしてなんとも言えない寂しさが襲ってきた。
昼間はほとんどトラ君は眠っていて、同じようにいつもシーンとしているのに、存在しているとしていないとでは、こうも違うものか…
人間万事塞翁が馬
Kがアトピーになって、私たちはとても大変だと思い、どうしてKがこんなっ目に合わねばならないのかと悲しんだが、今となっては、良かったと思っている。
食事の大切さについて考えるようになったし、Kがお顔をスリスリしないよう付きっ切りだったことも、限られた育休の間、余計なことを考えず、思う存分Kのために使うことができた。
父ちゃんが決心して、保育園に預けないという選択ができた。
しかし、トラ君を手放さねばならなくなったことは、何かいいことにつながるのだろうか?
トラ君にとっては、1階の部屋で一人寂しく暮らすよりは、新しい飼い主にかわいがられてのびのび生きる方がずっといいだろう。
「ネコも万事塞翁が馬」
今はとても「良かった」とは思えないが、きっといつか、いいことにつながるのだろう。
明後日から、私の仕事も本格的に始まる。
ウチの家族は全員、新しい生活をスタートさせるのだ。
気持ちを新たに頑張ろう。
平成11年4月3日 トラ君出発の日に
おまけ、トラ君その後
トラ君は、もらわれていったその日の夜、その家の主人の布団にしっかりと潜り込んで寝たそうです。
そして、次の日からは、相変わらずマイペースで生活していたようです。
いじけていなくて安心したけど、元飼い主としては…(ToT)。
ネコは3日で恩を忘れるというけれど、彼は1日で忘れてくれました。
とても、生きる力があるネコです。
思い起こせば、彼を拾ってきた日もすぐに我が家に慣れて、まるで生まれて時からここにいるかのようでしたっけ…。
つづく=^_^=
私はこれまで、飼ってきた生き物たちは全て、最期まできちんとお世話をしてきたのに、一番気持ちの通じ合っていたトラ君だけはそれがかないませんでした。
だから、私が=^_^=グッズを愛でるのは、トラ君への贖罪の意味を込めているのです。
コチラの記事に書いたとおり。
さーて次回のお話は・・・
『父ちゃんとKの一日』です=^_^=
長男Kがアトピー性皮膚炎とわかってから、2か月ほど経った頃。 この怒涛のような日々を振り返る余裕が出てきたところで、新聞にまとめてみようと思い立ちました。
この頃は大変だったけど、今振り返ると、よい思い出です。
原文は、手書きで書きなぐっているので、noteで発信するに当たり、表現等付け足したり直したりしています。
今回の原文は、こんな感じ↓↓↓
#育児日記
#子どもに教えられたこと
#アトピー
#アトピーの記
#トラ君への贖罪
#ネコはダメ
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#ネコ