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自分の生み出した写真に、他者評価を求めすぎていた過去

ここ一年くらいで、自分の写真が好きと言えるようになった気がします。

以前は、写真で有名になって稼いでやる、みたいなことを思っていたり、「それでお金を稼がなければいけない」「他者からの評価、承認を受けないと、自分の写真は価値がない(自信が持てない)」と思いがちな人間でした。

実際、自分のこれまでの人生は、他者評価を意識しすぎた人生だったかもしれません。

バンドでビッグになってやると会社を辞めてバンド活動していたり。(結果、全然食えませんでしたが)

YouTuberとしてゴリゴリ動画をアップして、多少なりの広告収入を得てドヤっていたり(パンデミック以前の昔の話で、今はゼロ)

映像制作をやっていた頃も、どうにかお金を稼ぐために、SNSなどで自分の動画を見てもらおうとすることに躍起になっていました。

もちろん、そういった頑張りをするのもいいと思うのです。自分が本当にやりたいことであれば、それは素敵な努力だと思います。

ただ、それって見方を変えてみると、自分は「他者から認められたいがために頑張る」、そして「他者から承認や評価を受けないと自信を積み上げられない」、「何も大きなことを成し遂げていない自分は価値がない」そんな思考に陥っていたのかもとも気づいてしまったのです。

写真においても、誰かしら権威のある方に「君の写真は素敵だ!」と言ってもらわないと自分の写真は価値がない、なんて風に考えていたかもしれません。

別にそれが悪いなんてこともなく、他者から承認や評価を受けるのも、それはすごいこと、嬉しいことでもあります。色々なチャレンジやフィードバックをもとに、自分の成長につながることもあります。

健全に、程よく承認欲求と付き合うのは、人生に潤いを与えてくれるでしょう。高みを目指したいと思う方は、ゴリゴリ活躍するのもいいと思います。

ただ、自分はこんな風にも考えてしまったのです。

あと3日で地球がなくなるとしたら、他者の評価とか承認とか気にするのか?

ということ。

少々極端な思考かもしれないけど、そんな条件だったら、他者評価なんて気にせずに、残り時間を好きなように生きますよね、きっと。

でも、これって、期間の問題ではなくて、地球があと3日だろうと、あと50年あろうと、実は変わらないと思うんです。

それに、冷静に考えたら、名声とか賞とか人気(PV数やフォロワーなど)だって、自分ではない誰かが決めた画一的な評価基準でしかありません。(もちろん、それが悪いとかではなく、たくさんある価値基準の一つにすぎないということ)

それに、写真や絵や音楽とか、そんな明確な答えを持たないことに対して
、「良いか悪いかの二軸のみ」「特定の価値基準だけの評価」で決めてしまうというのは、健全ではないと思います。

話が長くなりそうなので(汗)まとめると、自分は無条件に自分の生み出したものを愛そうと今は思っています。

それと、だからと言って、それで満足してしまうだけでは退屈な人生なので、「チャレンジ」は続けていこうと思った次第であります。

それでは、また!

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