⑤ココロの病になる
大学生で祖母との二人暮らし
時は流れ、私も大学生となります。
父の転勤で横浜に居たものの、ゆくゆくは家族の居を元の関西に戻そうということで、ちょうど大学進学のタイミングだった私だけ関西に戻ることに。
横浜に引っ越しする前は、父方の祖母と2世帯で住んでいました。
私は関西の大学に受かり、その2世帯の家で祖母とふたり暮らしをすることとなったのです。
母からは、買い物行ったりごはん作ったりしておばあちゃんを助けなさいと言われました。
でも、母と父方の祖母はとりわけ仲が悪く、祖母の悪口ばかり聞かされていました。
いわゆる嫁姑問題です(笑)
それなのに、私には良い役を努めるよう言うなんて虫が良すぎるよね〜
しかし当時の私は、「私なら祖母と仲良くやってみせる。私が取り持てば母と祖母の関係も変わるかも!」と脳内お花畑で謎の使命感に燃えていたのでした。
つかの間の楽しい時間
祖母は料理好きで、私にも料理を教えてくれました。今も卵焼きを作るとき、いつも祖母が教えてくれた時の事を思い出します。
私の母は悲劇のヒロインタイプというか、敢えて肝心なところは譲らず自分だけが大変でありたい人だったので、台所に2人並んで教わりながら料理するのは普通の親子みたいで新鮮でした。
やっぱり、祖母は付き合い方次第でうまくやれる。母のやり方が問題だっただけだよね。
でも、最初はうまくいっていた事も、私が部活に所属するとそうもいかなくなりました。
旅行好きな祖母は「私という荷物を押し付けられて旅行にも行かれへん」と電話で友達に愚痴るようになっていきました。
あの・・聞こえてますけど。。わざと?
大学生1人置いてったところで大丈夫やろ!って今なら思うけど(笑)
まあ今思えば、そういう不満は母に向けてのものだったんでしょう、、
そうして私は見事に母と祖母の問題に絡め取られて疲弊していくのでした。
私学だったこともあり、周りは家のことなど気にせず大学生活を満喫している。
なんで私だけ、、
だんだんとそんな思いも募っていくのでした。
崩壊の兆し
なんとか夏休みを迎えて、横浜で家族と共にゆっくり過ごす日々。
私のココロはほぐれていきました。
でも夏休みは待ってくれない。
あっという間に関西に帰る日になりました。
私はまた祖母との暮らしに戻ることを想像したら、急に絶望感に襲われました。
帰っても自分は「居ないほうが良い存在」「邪魔なやつ」。
私の少ない自己肯定感がガラガラ崩れ落ちて発狂したくなるような所に、また帰らないといけないと思うと、辛すぎて突然母の前で大泣きしてしまったのです。
母は心配してくれたけど・・大丈夫と、理由も詳しく話しませんでした。
あれですね、五月病みたいにゴールデンウィークが明けたら新入社員が病むのと同じですね。
しかし、私はまだまだ頑張るよ(笑)
祖母の怒り爆発
秋になると部活の練習で毎日帰宅が遅くなり、祖母にもだんだんと迷惑をかけるように。
しかも、来年は弟が中学に上がるため関西に戻ってくる予定でした。
祖母の負担がまた1人増えるわけです。
母は横浜にいる父と妹の世話のため、大阪と横浜を月に何度か往復してなんとかしようとしていたのですが、それを聞いて祖母の不満も爆発!
「そんなに面倒見きれへん!」
弟の話が出るたびに責められている気がして、新年度が憂鬱過ぎて吐きそうでした。そして何事にもやる気が起きなくなっていました。
単位も落としてしまった。
春休みの部活の練習に行ったある日。
学校まで行ったというのに、どうしても途中から足が進まなくなってしまったのです。
どうしても、何もないふりして練習できる気がしない。
私の存在が危ういのにそれどころじゃない。
部活の先輩に欠席の連絡メールを打った。
フラフラと学内をさまよい、目に留まった大学のカウンセリングルームに行きついた私。
号泣しながら辛い胸の内を話すと、カウンセラーさんが近くの心療内科を紹介して下さり、私はそこで「うつ病」と診断されたのでした。
⑥へつづく
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大阪市住吉区で、骨格から身体を整えるボディメイクのセラピストをしているYUKAです。
幼少期からの自分の身体への違和感や不調の歴史をnoteに綴っています。
この不調の歴史なくして、ただの会社員からボディメイクセラピストに転身する道は考えられません!
人一倍健康に憧れ続けた私だからこそ、骨格から身体を立て直す事の大切さを今実感しています。
普段はInstagramにて更新しています。
https://www.instagram.com/yuka_body_make?igsh=YjJ4MXIxanRrY3M0
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