#4 ―うつ病みのうつ闇ー 生き続ける過去 …早すぎる妊娠
~陽炎(かげろう)の揺れる夏~
17歳の時、子供ができた。産むのが当然と思っていた私は、相手の反応やその周りの反対に戸惑(とまど)い、恐ろしかった。どうしてそんなに反対するんだ?産まないことが当然だという人たち。どうしてそんなことが言えるんだろう、この人たち。なぜ?
「親にバレたら、産ませてくれるのか?バレればどのみち手術を受けさせられるんだから、知られないうちに病院に行きな」「高校中退じゃあまともな仕事はないよ。どうやって育てる?」あの手この手で、入れ替わり立ち代わり説得しに来る。
臆病な私は、親を、世間を恐れた。知られた時に、家で起こるであろう大騒ぎ。容赦(ようしゃ)なく浴びせられる非難や、冷たい視線。そしてその挙句(あげく)、抵抗(ていこう)虚(むな)しく…結局は親の言いなりになるであろう情けない自分。
産むことにも、育てることにも自信を持てなかった。子供を守り通すという勇気を出せなかった。子供を助ける前に、自分に助けが必要だった。味方は一人もいなかった。
そして私は人殺しになった。暑い夏のことだった。車を停めた道路の上に、陽炎(かげろう)が揺れていた――私は憎んだ。産まないのが当たり前という人たちを。産ませないように、あの手この手で説得してきた連中を。世間を。そして何より、卑怯(ひきょう)な自分自身を。
生まれてきたか、生まれる前なのか、同じ命のはずなのに、何が違うって言うんだ?お前たちだって生まれる前は、母さんの腹にいた『胎児』だったんだろう?腹から出た瞬間からだけが、殺人になるんだって?
暗闇から暗闇に葬(ほうむ)れば殺人じゃないっていうのか?…なんだよ。それじゃ自分の罪を知られないように、死体を山に埋める連中と同じじゃないか。バレなきゃいいのか?捕まらなきゃいいのか?
そりゃもちろん、いろんな事情があって、本当にしかたない場合もあるよ。でも、ただ自分勝手な理由で安易に子供を殺して、罰も受けずに何事もなかったように平然と暮らしてるヤツらに言ってやれよ。「命は地球より重い」「お前らには、殺人事件の犯人を責める資格なんかない」って。
人殺しと責められることもない。刑務所に入ることもない。けど、自分は人を殺した。一人の人間の命を、人生を奪った。怖くてたまらない。これからどんな罰があるんだ?…こんなことしても、自分のこと考えてる。
サイテ—だよ。ごめんな。謝るくらいならやるなよ。取り返しのつかないことってあるんだよ。もう遅いよ。いっそ、そこの団地から飛び降りたい。15階からあの柵のない廊下の手すりを越えれば、死に損なうこともない。
でも、自分が死んだらどうして死んだか親に知られる。親に知られないように子供を殺したって言うのに。何のために子供を殺したんだよ。自分が楽になりたいからって、バラしてどうするんだよ。
お前には死ぬ権利もない。ノイローゼになる権利もない。今まで通りに暮らせ。高校も卒業しろ。親に知られないように。その為に死んだ子供の為に、そうするのは当たり前だろ。せめてそのくらいは死守しろよ。
生きていたくないのに、こんなに苦しみながら生きなきゃならない。もう終わった人生を、生きなきゃならない。希望のない人生を、生きなきゃならない。
まだ17歳だよ。あと何十年も、こんな苦しみを味わなきゃならないなんて、これ以上の罰があるか?自分が苦しめば、あの子は許してくれるのか?
それからは、投げやりに生きていた。希望も意味もない人生。自分に課したミッションの為に、表面上は普通に暮らしていたが、心は壊(こわ)れてしまっていた。
辛いことがあれば『そりゃそうだよ。だって、子供を殺したんだから』そう思った。自分を責めずにはいられなかった。そうして放棄(ほうき)した。自分を大切にすること、真剣に生きること。
救いようがないのは、投げやりになっていることも、心が壊れてしまったことも、自分を放棄したこともさえも…自覚がないことだった。そこまで自分というものを失くしてしまった。
そして…投げやりが不運を呼び、不運は不幸となって、雪だるまのように大きくなっていく。自分だけじゃなく、周囲の人を巻き込みながら…