わたしの好きなものもの・21
エピソード21
『EGO-WRAPPIN'と夏の夜』
「一緒に吹奏楽部の見学に行かない?」
中学校入学の数日後、その子は声をかけてきた。眼鏡をかけたお下げ髪のおとなしそうな子。すでに吹奏楽部に入部することを決めていたわたしは、そのおとなしそうな子とともに音楽室に行き、それから何度かの体験入部を経て吹奏楽部員となり、そしてわたしたちは親友になった。おとなしそうな見た目とは裏腹に、彼女は足が速くて、何事にも積極的だった。年の離れたお姉さんがいたせいか、彼女はわたしの知らない音楽をたくさん知っていた。ユニコーンも、SUPER BUTTER DOGも、小沢健二も、その友人から教えてもらった。わたしが知っているテレサ・テンの『つぐない』は、友人の歌声によるものだ。あるとき、音楽の授業で好きな人とグループになって好きな歌を歌うという課題が出された。わたしはその友人とペアを組み、友人が選曲した小沢健二の『ラブリー』を完璧にハモって歌い上げてみせた。別々の高校に進学しても、友人との付き合いは続いた。大人になってからも関係が切れることはなかった。この友人がいなければ、わたしはライブハウスに足を踏み入れることもなかっただろうし、バンドマンと知り合いになることもなかっただろう。わたしの青春にはどこを見てもこの友人の姿があった。
彼女とはよく夜のドライブにでかけた。行き先があったわけでもない、目的があったわけでもない。ただ、暗い田舎道に車を走らせながらくだらなかったりそうでもなかったりする話をする。そのままファミレスに行って朝まで過ごすこともあった。いまのインドア過激派のわたしからは想像もできないことだが、わたしにもそういうことを楽しいと感じる時代がたしかに存在していた。たいていは友人が運転手役だった。喫煙者で、自分の車でないとタバコを吸うことができないからというのがその理由だった。わたしは毎回ありがたくその言葉に甘えさせてもらった。
車のなかではつねに友人好みの音楽が鳴っていた。知っている曲もあったけれど、知らない曲のほうが多かった。ある夏の夜、冷房がよく効いて少し寒いくらいの車内に、初めて聴く曲が流れた。どこか懐かしくて、ひんやりしているのに熱くて、落ち着くのに心が揺さぶられるような、退廃的な雰囲気の漂う曲。それがEGO-WRAPPIN'の『色彩のブルース』だった。一瞬にしてわたしの心は掴まれた。それからわたしは夏になるとEGO-WRAPPIN'の曲を、『色彩のブルース』を、聴くようになった。『色彩のブルース』を聴くと、若かったあの頃に戻れるような気がした。
もし、夏の日のどこかに1日だけ戻ることができるとしたら。浴衣を着て出かけた地域の盆踊りで好きだった男子に会えたあの夜でも、つかの間の4人家族を愉しんだあの旅行の日でも、部活の合宿所を抜け出して仲間と近所のコンビニに走り、夕立に降られてずぶぬれになったあの日でもなく、友人の車の中で『色彩のブルース』を聴いたあの夜に戻りたい。
原因は一つではない。決定的な何かがあったわけでもない。小さな違和感とストレスがわたしたちのあいだにいくつも立ちはだかって距離を押し広げ、気づけば彼女は遠くなっていった。それでも、夏が来ればかならず思い出すのは、彼女と『色彩のブルース』を聴いたあの夜のこと。ひんやりとした車内の空気、夜道の暗さ、タバコの香りだった。またなんでもなかったように彼女と笑って話せる日が来るのかはわからない。そんな日が来ることを自分が望んでいるのかどうかもわからない。でも、二人で『色彩のブルース』を聴いたあの夏の夜のことを、彼女にも思い出すことがあってほしいと願っている自分は、たしかにここに、いる。
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