怪談が、好きだ。 夏休み、学校のプールから帰って、昼ご飯を食べて、クーラーの効いた部屋のカーテンを引いて薄暗くして、心地よいダルさに全身を包まれながら「あなたの知らない世界」を観るのが最高に好きだった。夕方にクーラーを消されて、暑いよ! なんて言いながらポッキンアイスを妹と半分こして。心霊番組はわたしにとっては夏の心象風景のまんなか付近にあるかけがえのないものなのだ。ところが最近では、そういった心霊番組がめっきり減ってしまっている。コンプライアンス事情が多分に絡んでいるのだろ
ここのところYouTubeで本棚や本に関する動画を観ることが多くなった。そうするといつもオススメに出てくるのがどこかのスレをまとめた「人生最高の小説教えて」とか「自分史上最高の本」という動画だ。そこで考える。 私の人生最高の一冊ってなんだ? 人生で最も再読した本だとか、人生を変えた本というのは、ある。でもそれが自分史上最高に面白い本だったかというと必ずしもそういうわけではない。今年の上半期に読んで一番面白いと感じたものだとか、2023年に読んだなかで最高の一冊だったらギリ
昨年の3月、わたしはこんな記事を書いた。 テレビ画面に映るのは、一列に並ぶ黒服の男性たちと、その真ん中でひときわ目立つ金色のドレス姿の女性。彼らがロックンロールに合わせて踊り狂うインド映画の一コマを、アパートの住人たちはまずそうに煙草を吸いながら、あるいは無気力に椅子にもたれかかりながら、いかにもつまらなそうに眺めている。そのなかにあって、赤いケープのようなものをまとった、黒縁めがねのおかっぱ少女だけは、カラフルでごちゃごちゃとした部屋のまんなかで、曲に合わせて一緒に踊り狂
きっかけは、読書系YouTuberのvlogを観たことだった。 オタクを自称する彼女はバリバリと会社勤めをしながら小説家としても活動していて、彼女の動画に出合ったのはまったくの偶然だったし、その時点での彼女は特段有名人というわけでもなかったのだけれど、なぜだか私は彼女の暮らしぶりや働きぶり、言葉、考え方に魅了されてしまって、まだ多くない数の彼女の動画を一気見した。我ながら気持ち悪いはまりっぷりだ。 彼女の動画で特に好きだったのが、1時間近くある本棚紹介の動画だ。他人の本棚
数年ぶりに大学時代の友人たちと集まった。 約束の日が近づくにつれ、私の心のささくれはどんどん増えて剥けて流血した。 会えば楽しいってわかってる。前回だってそうだった。とてつもなく気が重かったのに、みんなに背中を押されて、弾むように帰った。でも、どうしても考えてしまうんですね。みんなは私なんかよりもはるか先を歩いていて、生まれてから死ぬまでの予定表に書き込まれたことを順当に的確に漏らさずこなしていて、次にやるべきこと、備えることも見えている。かたや私は、何者でもなくて、やるべき
ずっと好きだった、応援していたアーティストがいる。 その人は俳優業もやっていて、ある劇団に所属していた。私が彼のことを初めてきちんと認識したのは、若者たちがそれはそれはたくさん出ている青春ドラマだった。当時、私はある劇団のことがとても好きで、よくその劇団のホームページを訪れていた。だから所属劇団員の下の下の下のほうに出てくる彼のことは毎度なんとなく目にしていた。坊主頭をした少し古風な名前の一つ年上の彼。なんでだ、なんか気になる。どういうわけか、ものすごく気になる。その気にな
わたしは仏像が好きで、寺社仏閣巡りが好きなので、ご多分に漏れず御朱印も集めていたりするわけです。私が御朱印をいただくようになったのは十数年前、見仏界の大スターみうらじゅんさんが、『見仏記』のなかで御朱印を収集なさっていて、それに感化されてのことでした。初めはとても緊張して、とにかく粗相のないようにとマナーやルールを調べに調べてから挑みました。お寺と神社は分けたほうがいいとか、おつりは絶対に出さないようにするとか、書いてもらっているあいだは無駄話をせず粛々と待つこと、とか。当時
新たな気持ちではじめよう。 子どもの頃からの夢を叶えたのに、無防備に突っ走ったら現実という名の輩に真正面から斬りつけられて息も絶え絶え、とりあえずぱっくり開いた傷口をどうにかせねばと手元にあった軟膏を塗ってみたものの、見れば容器には「実力不足」と書いてあって、傷口に塩どころの騒ぎじゃないものを塗り込んでしまったものだから痛くて苦しくてしんどくて、七転八倒でぜーはーしていたのが2022年のこと。すっかり自分と自信を失ってしまったので、せめて好きなもののことだけを考えて自分を取
エピソード22 「ラナ・デル・レイが寄り添う晩夏」 夏が似合うアーティストといえば、みなさんは誰を思い浮かべるだろうか。 定番はやはりTUBEということになるのだろうが、これは(わたしを含む)ある一定の年齢よりも上の世代にとっての定番であって、いまは新定番の夏御用達アーティストというのが存在しているのかもしれない。とまれ、わたしにとっての夏の定番はTUBEでもサザンでも大江千里でも、ORANGE RANGEでもWhiteberryでもMrs. GREEN APPLEでもなく
エピソード21 『EGO-WRAPPIN'と夏の夜』 「一緒に吹奏楽部の見学に行かない?」 中学校入学の数日後、その子は声をかけてきた。眼鏡をかけたお下げ髪のおとなしそうな子。すでに吹奏楽部に入部することを決めていたわたしは、そのおとなしそうな子とともに音楽室に行き、それから何度かの体験入部を経て吹奏楽部員となり、そしてわたしたちは親友になった。おとなしそうな見た目とは裏腹に、彼女は足が速くて、何事にも積極的だった。年の離れたお姉さんがいたせいか、彼女はわたしの知らない音
エピソード20 「お盆」 夏休み。7月後半部分はチョコチップメロンパンの羽根のようなもの。余分にはみでたそここそがおいしく、むしろメインといっても過言ではない。でも8月に入った途端、カウントダウンが始まる。8月に入ってしまえば夏休みはもう終わりに向かって進むのみ。大丈夫、まだ3週間残ってる。まだ2週間残ってる。まだ10日ある。まだ来週の今日は学校は始まってない。あと3日ある。明日はまだ休み。残りの日数を数えては光の速さで過ぎていく夏を憂う、それが子どもの頃のわたしだった。
エピソード19 『お香』 わたしの家族はよく車で出かける家族で、海外旅行に行ったり、高級旅館に泊まったりすることはなかったけれど、そのかわり車で行けるところにはたくさん連れて行ってもらった。運転は父、助手席には母、後部座席には妹とわたし。毎年夏の定番となっていたのが伊豆旅行だ。父の会社の保養地が伊豆にあったこともあり、夏になるとそこに何泊かするのがいつしか決まりのようになっていた。父とわたしは未知のものに挑戦するのが好きなタイプで、母と妹はなにごとにも保守的なタイプだった。
エピソード18 「相撲」 祖父母と暮らしていたわたしにとって、相撲は子どものころから生活の一部だった。夕方、学校から帰ると祖父母が何かに白熱している。そうか始まったんだな、と思ってなんとなくつまらない気持ちになる。特に観たいテレビ番組があったわけではないけれど、テレビを2~3時間占領されてしまうのは子どものわたしにとってはおもしろくないことだった。それがいつのまにか、そこにわたしの熱も加わるようになった。細かいことはわからないし、技の名前すらもわからない。それでもわたしはど
エピソード17 『金曜日』 なぜ金曜日はわくわくするのだろうか。 中学も高校も土曜日には部活があったし、大学生時代は土曜日に司書クラスの授業が入っていたし、塾講時代も土曜日は仕事だったし、いまは在宅フリーランスだからいつ休むかは自分次第なわけで、だから金曜日=明日は休みという生活からはずいぶんと遠ざかっているはず。それなのに金曜日となるとなんだか心がふわりと浮いて、土日のうちにやりたいことがあれやこれやと浮かんでくるのだから不思議だ。 思えば学生の頃はいまほど金曜日を心待
エピソード16 ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』 その夜は雨が降っていた。 母と妹は父と先に帰り、わたしは一人で車を走らせた。音楽を聴く気持ちにはなれなくて、でも気を紛らせておかないと心細さに泣いてしまいそうで、だからわたしはラジオをつけた。いつもの声が聞こえてきた。そうか、もう月曜日の深夜1時をまわっているのか。ラジオから流れる聞きなれた声にほっとした。日常に戻れたような気がした。 わたしとラジオとの関係が始まったのは、中学生の頃。友人のひとことがきっかけだった。そ
エピソード12 映画『天才マックスの世界』 大学に入るまで、わたしはほとんど映画を観ていなかった。日本映画はシュールな展開についていけないし、ハリウッド映画は突然やってくるラブシーンが気まずい。それ以外の国の映画は未知すぎて恐怖ですらあった。映画館で鑑賞したことも2回くらいしかなかった。トム・クルーズもブラッド・ピットも名前は聞いたことがあるが顔はわからないといったレベルで、だから大学に入って知り合った映画好きの友人の話は、初めはさっぱりだった。せめて有名俳優の顔と名前くら