人生を変える考え方 ニーチェの言葉集
ニーチェの言葉集
ニーチェとは本名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ。
1844年、プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン、
今で言うドイツで生まれました。
日本では思想家、哲学者として知られており、
著書はもちろん、名言集も出版されるほど人気があります。
ですが、実は精力的に執筆していた頃は、
出版した本は売れず、途中から自費出版だったそうです。
求婚するも断られ、45歳で発狂し精神を病み、
途中で本が売れ始めてもその状況を理解できず、
そのような状況のため最後の10年は執筆もできず、
55歳で生涯を閉じたのです。
なぜ、そのような最期を迎えたにも関わらず、
没後100年以上経った今も、
ニーチェの本は出版され続け、
その名言は人気があるのでしょうか。
この名言があなたの悩みを解決する糸口の参考にして下さい。
「朝起きたら考えること」
・1日を良いスタートで始めたいと思うなら、目覚めた時に、この1日の間に少なくとも一つの喜びを与えてあげられないのだろうかと思案すること
その喜びは、ささやかなものでもかなわない
「誰もが喜べる喜びを」
私たちの喜びは、ほかの人々に役に立ているだろうか。私たちの喜びが、ほかの人の悔しさや悲しさを一層増したり、侮辱になったりしてはいけない
私たちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか、他人の不幸や災厄を喜んではいませんか?
「安易な人生を送りたいなら」
この人生を簡単に、そして安易に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分という個性を忘れ去って生きていくがいい
「活発だからこそ退屈を感じる」
怠け者はさほど退屈を感じることがない。なぜならば、感性が高く活発な活動を求める精神を持っているからこそ、ふとした時間にを感じるものだから
「多くの人の判断に惑わされない」
仕組みや道理のごくはっきりしたもの、あるいは説明が簡単にできる事柄を、人々は軽く扱う傾向にある。その反対委、説明が尽くされていないもの、あいまいさや不明瞭さが残る事柄を、人々は重要なものだと受け取る傾向がある。もちろん本当は、何が重要で何がそうではないかは、こういう心理が作用する判断とは別のところにある。だから、人々に気持ちの動きに惑わされて、何が重要であるかを間違って判断しないように
「新しく何かを始めるコツ」
例えば勉強でも仕事でも趣味でも読書でも、何か新しく事柄に携わる場合のコツは、もっとも広い愛を持って向き合うことだ。つまり、いやな面、気に食わない点、誤り、つまらない部分が目に入ったとしても、すぐに忘れてしまうように心がけ、とにかく全面的に受け入れ、全体の最後まで達するのをじっと見守ることだ。そうすることで、ようやく何がそこにあるのか、何がその事柄の心臓になっているのかがはっきりと見えてくるのだろう
「本質を見分ける」
鉱泉の出方はそれぞれだ。とうとうあふれんばかりに湧き出る鉱泉。尽きることなく流れ出るもの。パタパタとしずくを滴らせるもの。鉱泉の価値を知らない人は、その水の量で豊かさを判断する。鉱泉の効用を熟知している人は、その泉の水ではないもの、含有成分で鉱泉で良しあしと質を判断する。
同じように、ほかの事柄に関しても、見かけの量の多さや圧倒的な迫力に惑わされてはいけない。何が人間にとって意味と価値のある質である
「学ぶ意思のある人は退屈を感じない」
学ぶ、知識を積み、知識を今なお教養と知恵に高め続けているような人は、退屈を感じるなくなる。あらゆる事柄が以前にもまして一層興味深くなってくるからだ。
ほかの人と同じような見分していても、そういう人は普通の事柄から教訓やヒントを容易に見出したり、考えの隙間を埋めるものを発見したりする。
つまり、彼らの毎日は、謎解きとさらなる知識獲得の面白さに彩られ、意味のある情実で埋め尽くされることになるのだ。彼にとって、世界は興味の尽きない対象となる。そういう風に毎日が発見と探索に満ちているのだから、とても退屈することなんてできないのだ。
「自分に才能を与える」
添付の才能がないといって悲観するべきではない。才能がないと思うのならば、それを取得すればいいのだ
「徹底的に体験しよう」
勉強をして本を読むだけで賢くなけれはしない。様々な体験をすることによって人は賢くなる。すべての体験が安全だというわけではない。そして、体験しているときはその事柄に没頭することが肝要だ。
「原因と結果の間にあるもの」
この原因があったからこういう結果になったと考えることが多い。しかし、その原因と結果は私たちが勝手に名付けたものにすごないと気付くべきだ。
どんな物事や現象であれ、原因と結果で簡単に分析できるほどことは単純ではない。まったく目に見えていないほかの要素がたくさんあるかもしれないからだ
「独創的になるためには」
まったく新しく突飛なものを見つける特殊な嗅覚を持つ少数の人が独創的なのではない。すでに古いとみなされたもの、だれでも知っているような全くありきたりなもの、多くの人がとるに足らないと思って安易に見過ごしてきたものを、まるでとても新しいものであるかのように見直す眼を持つ人が、独創的なのだ。