見出し画像

必ずしも美しくない世にある美しい世界──『石の花』読書感想文

1879年鉱山労働者の家系に生まれ、地方の学校の国語教師として生計を立てていた作者パーヴェル・ペトローヴィチ・バジョーフ。
個人の活動としてウラルの民話の収集をはじめ、それらを編纂した『孔雀石の小箱』が最も有名な著作とのこと。

その中に収められているのが、本書の表題にもなっている『石の花』はじめ5編の物語。
帝政ロシア時代の、現実世界の鉱山労働者や職人や農民たち──自由を制限された厳しい生活を送る労働者階級の人々と、幻想世界の鉱山の主──孔雀石の権化である美しい精霊の交流を中心に描かれた作品たち。

孔雀石の精霊「銅山のあねさま」は、縁を得た人を魅了し、その人生を変えてしまう。

「よくないひとがあねさまにいきあうと、不幸がおこる。が、いいひとがいきあたったって、よろこびはすくないんだ」

しかしあねさま自身は、その人間の人生に関与しようという気はさらさらない。あくまで彼女は並行世界にいる存在で、人間が勝手に熱狂し狂っているだけ。
そんな人外のものと人間との永遠に平行線を辿る関係性が、この物語の一つの面白さだと思う。


描かれる世界は、とても厳しい。
鉱山の労働は鉱夫たちの健康を害し、そこから取り出される鉱物の細工においても粉塵に混ざる有害物質が職人たちの健康を損なう。一生懸命働いて得た成果が商人たちに正しく値付けされるとは限らず、ようやく得た報酬も管理人や貴族の地主たちに搾取される。
厳しい自然。厳しい生活。
それでも、貧苦の中でも失われることのない人間の愛情や、埋もれない確かな才能や、幸せや美しさを追求する不屈の精神。
そういうものが感じられる。

まるで宮沢賢治のイーハトーブの世界みたいだなと思った。
美しいばかりではなく、むしろ過酷な環境、うまくいかない状況、嫌な人間関係、そういう現実に囲まれていてなお「美しいこの世界」を描ける想像力。それは物語を生み出す作者の“度量”からくるものなのだろうか。


表題の「石の花」は、腕は良いが偏屈で孤独な老石工と、その老人に引き取られる石細工の天賦の才能に恵まれた少年の話。
石の細工にのめり込み、取り憑かれるように魅了される少年(のちに長じて成年になる)は世間一般の評価を得てささやかに蓄財したり、健気な幼なじみと幸せな家庭を築くことよりも、道を極めることを追い求めてしまう。

何か特定のものにのみ発揮され夢中になれる絶対的な才能は羨ましいようでいて、この世では生きづらさに繋がる。

生きる上で「こうすればいいのに」とわかっていてもそううまくはいかない、登場人物たちの不器用さやコントロールの効かない感情と行動に、リアルな共感がわく物語集だった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集