すべてが終わったあとに残る徒労感━━『戦艦武蔵』読書感想文
大日本帝国海軍が最後に建造した巨大戦艦『武蔵』。本作ではその建造の経緯と、戦場での最後までを緻密な取材をもとに描いている。
解説で磯田氏はこう述べる。
建造の目的は、他でもない敵味方に関わらぬ人殺しであり、戦争だった。
「愚行だ」と後世からは100%批判される行為だ。
吉村氏の筆致にも戦争賛美や美化の向きはない。「まさに!」と思ったので解説の言葉を借りるが、下記のような立場に立っていることが明らかだ。
しかし、その“愚行”を達成するための建造の過程には、まるでプロジェクトXのように関係者の情熱が存在した。戦場では、その圧倒的な巨躯、装備、存在感から「沈まぬ船」と神格化されているのも事実だった。
大勢を見誤り、戦局を見誤り、結局最後まで“引く”ことができなかった太平洋戦争。それと同じことが、この武蔵の誕生から終末までの経緯の中でも等しく起こっている。
このような気持ちがすべてを支配していた。そういう時代だったのだろうと思う。
振り返ってそれを“愚行”だというのは容易いが、このような病的に浮かされたような空気の中にあって、それに果たして気づく人間はどれだけいるだろう? そして、その流れを変えられる人間はどれだけいるだろう?
『武蔵』の建造は、西日本中から買い上げられた“棕櫚”の簾に覆われて密かに建造が開始された。
大日本帝国の威信をかけた巨大戦艦の存在はトップシークレットであり、大蔵省をも欺いて予算を通し、製造関係者は秘密を守る誓約書を結ばされ、全景を知る人間を最小限に止めるために工程は細分化された。
途中、設計図面の紛失事件が起こった際の様子は、このように書かれる。
人が命をもって償わなければならない仕事とはなんだろう。
その考え方を自然に全体で是認していることに、すでに“狂い”を感じる。
このように狂気的なまでの守秘義務と完遂義務のもとで建造は進む。
たくさんの苦労を乗り越えてついに完成を見た『武蔵』。
その進水式の情景描写からは、建造に文字通り命をかけた技術者たちの熱い想いがひしひしと伝わってくる。
たとえなんの目的であれ、仕事に真剣に打ち込んできた人間が、その集大成ともいえる瞬間に心に抱く感動。
非常に大きな熱量を抱える、心を揺さぶられるシーンだ。
しかしこのように多大な労力をかけて、多くの人の人生を注ぎ込んだ成果物である『武蔵』は結局、たくさんの命を巻き込んで洋上に沈む。
人間は何を使命として生きるのか。
人間は何を成果とすれば満足するのか。
たとえ『武蔵』が沈まなかったところで、大日本帝国がその戦艦を持って他国を支配し、他国を踏み躙ったところで、それは成功だったといえるのか。
そういうところまでは本書は突っ込まない。
ただ淡々と、大日本帝国の絶望的な戦況と、武蔵の最後までが描かれる。
読後に残るのはどうしようもない虚しさだ。
でも、それで良いのだろうと思う。それが吉村氏の狙いなのだ。