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過去は変えられる


哲人 そしてあなたは「あらゆる結果の前には、原因がある」とおっしゃる。要するに、現在のわたし(結果)は、過去の出来事(原因)によって規定されるのだ、と。その理解でよろしいですね?
青年 もちろん。
哲人 さて、もしもあなたのおっしゃるように、あまねく人の「現在」が、「過去」の出来事によって規定されるのだとすれば、おかしなことになりませんか?

「嫌われる勇気」
岸見一郎・古賀史建

過去の出来事で、現在が規定されていると、
この青年と同じように思っていました。

学歴
経歴(社内のキャリア)
趣味、特技
幼少期からどう育てられてきたか(家庭環境)
ベースにある価値観(ベースとは過去)

が、自分を作っている。
これは紛れもない事実であって、
アイデンティティでもあるので、
否定されると反発もしたくなるような。

それは時に誇りであり、時にコンプレックス。

「過去が咲いている今、
 未来の蕾でいっぱいの今」
         河井寛次郎

前者は、ポジティブな側面だけでなく
ネガティブな面も含むんだろうけど、
今の結果は過去の原因なんだろうと。
思い込ませてたり、思いたかったりもする
なんとも複雑な気持ちになる。

哲人 過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行き着きます。すなわち、われわれの現在、そして未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである、と。違いますか?
青年 では、過去など関係ないと?
哲人 ええ、それがアドラー心理学の立場です。

同上

過去だけ。
原因だけ。
決定済み。

と、こう片方だけで、決めちゃわないほうが
まずはいいなあ、と思ってきた。

世の中は常に、二律背反。


哲人 ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。
つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。

同上

引きこもりになってしまった友人を例に、
「人は変われない」「過去の経験に依拠する」
と主張する青年に対しての哲人の言葉。

この言葉を理解するには、しばらく時間が
かかりました。

逆張りで言われるといつもたじろぎます。

不安だから、外に出たくないってなります。
引きこもりなのは、不安だからなんですと。

これって、
SNSで発信するのは、怖いからしないと。
いうときに、
「発信しない」という目的が先にあって、
「怖いからしない」という手段ということ。

発信しないのが目的というのは、
その裏に別の背景があって、
発信しない自分を保つことで、
「世の中の流れに乗らない自分」を
保つという目的があったりする
(かつてのわたしがそうでした)

「アンチである目的」が、
そうだったりもする。

哲人 ご友人がそこで感じている不安や恐怖は本物です。場合によっては割れるような頭痛に苦しめられたり、猛烈な腹痛に襲われることもあるでしょう。しかし、それらの症状もまた、「外に出ない」という目的を達成するためにつくり出されたものなのです。

同上

小学生のころは、よくお腹をこわしてました
(今もある)
それってだいたい、「お腹痛い理由で休む」
という目的達成のために、体がそう反応したり
してたんだなあと思う。

あとづけの理由のつもりが本当に起きたりする

そんな心当たりはたくさんある。

お腹痛いから、学校やすむ
→学校休むために、お腹がいたくなる。

心と体は繋がってる、って思考停止にせず、
これは真理だし心理なのかもしれないと思う
ところから、「人は変われる」道が開ける。


哲人 アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。
人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。

同上


そうなんですよね。
楽しませる悲劇、喜劇はいつも原因のち結果。

よくできています。

ゆえに、それこそが正しいという、
素敵な勘違いにひたってるうちに、
この思考回路がしみついてるんだなあ。


しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。

同上

わたしは幼少期のトラウマがあるんですが、
見事に、それを原因にして、今と未来を、
規定してきました42年。

なんでかなっておもうと、それが楽なんです。

今の自分を、過去の自分と環境のせいにする。
もちろん、それもまた事実あるんだろうけれど
それによって未来の蕾を積んでるのもまた自分
という事実。

未来は変えられる

とゆいますが、

過去も変えられるんですね。
意味をかえちゃえばいい。自分で。

わわれわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。

同上

自分の人生は自分で選んで決める。

と思ってきたけど、どこか大袈裟で、
手が届かなかったんですね。正直にいうと。

なので、

もうすこし、一口サイズにするなら、

自分の過去は、自分で選んで決める。
自分の未来は、選んだ過去が決める。

嫌われる勇気は、人に対してではなく、
自分の過去を嫌い、好きになる勇気、
なのかな。

もうちょっと読み進んでったら見えるかも。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます

セプテンバーさんがおわります。
どの月よりも、9/30から10/1に変わる時が
一番変わるドキドキがあるのは私だけ?
3月から4月よりも、そわそわします。

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