過去は変えられる
過去の出来事で、現在が規定されていると、
この青年と同じように思っていました。
学歴
経歴(社内のキャリア)
趣味、特技
幼少期からどう育てられてきたか(家庭環境)
ベースにある価値観(ベースとは過去)
が、自分を作っている。
これは紛れもない事実であって、
アイデンティティでもあるので、
否定されると反発もしたくなるような。
それは時に誇りであり、時にコンプレックス。
「過去が咲いている今、
未来の蕾でいっぱいの今」
河井寛次郎
前者は、ポジティブな側面だけでなく
ネガティブな面も含むんだろうけど、
今の結果は過去の原因なんだろうと。
思い込ませてたり、思いたかったりもする
なんとも複雑な気持ちになる。
過去だけ。
原因だけ。
決定済み。
と、こう片方だけで、決めちゃわないほうが
まずはいいなあ、と思ってきた。
世の中は常に、二律背反。
引きこもりになってしまった友人を例に、
「人は変われない」「過去の経験に依拠する」
と主張する青年に対しての哲人の言葉。
この言葉を理解するには、しばらく時間が
かかりました。
逆張りで言われるといつもたじろぎます。
不安だから、外に出たくないってなります。
引きこもりなのは、不安だからなんですと。
これって、
SNSで発信するのは、怖いからしないと。
いうときに、
「発信しない」という目的が先にあって、
「怖いからしない」という手段ということ。
発信しないのが目的というのは、
その裏に別の背景があって、
発信しない自分を保つことで、
「世の中の流れに乗らない自分」を
保つという目的があったりする
(かつてのわたしがそうでした)
「アンチである目的」が、
そうだったりもする。
小学生のころは、よくお腹をこわしてました
(今もある)
それってだいたい、「お腹痛い理由で休む」
という目的達成のために、体がそう反応したり
してたんだなあと思う。
あとづけの理由のつもりが本当に起きたりする
そんな心当たりはたくさんある。
お腹痛いから、学校やすむ
→学校休むために、お腹がいたくなる。
心と体は繋がってる、って思考停止にせず、
これは真理だし心理なのかもしれないと思う
ところから、「人は変われる」道が開ける。
そうなんですよね。
楽しませる悲劇、喜劇はいつも原因のち結果。
よくできています。
ゆえに、それこそが正しいという、
素敵な勘違いにひたってるうちに、
この思考回路がしみついてるんだなあ。
わたしは幼少期のトラウマがあるんですが、
見事に、それを原因にして、今と未来を、
規定してきました42年。
なんでかなっておもうと、それが楽なんです。
今の自分を、過去の自分と環境のせいにする。
もちろん、それもまた事実あるんだろうけれど
それによって未来の蕾を積んでるのもまた自分
という事実。
未来は変えられる
とゆいますが、
過去も変えられるんですね。
意味をかえちゃえばいい。自分で。
自分の人生は自分で選んで決める。
と思ってきたけど、どこか大袈裟で、
手が届かなかったんですね。正直にいうと。
なので、
もうすこし、一口サイズにするなら、
自分の過去は、自分で選んで決める。
自分の未来は、選んだ過去が決める。
嫌われる勇気は、人に対してではなく、
自分の過去を嫌い、好きになる勇気、
なのかな。
もうちょっと読み進んでったら見えるかも。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
セプテンバーさんがおわります。
どの月よりも、9/30から10/1に変わる時が
一番変わるドキドキがあるのは私だけ?
3月から4月よりも、そわそわします。
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