話すのは苦手。書くことは好き。
性格とおもってました。
私は下手な性格ですし、
「考えすぎてるうちに、言葉がでなくて、
次の話題に行ってる」のは
会議でも飲み会でも、いつも同じで、
けっこうなコンプレックスです。
とここで、
書くことの上手・下手は、性格か?
聞かれると、それは性格じゃない気がします。
話すことは性格ぽいのに、
書くことは性格じゃないぽいって
不思議ですね。
そして、大いに思い込みでした。
話すことはの苦手意識は、
性格、コンプレックス、ということにして
42年間生きてきたので、
そりゃあ上手くはなりませんね!
とここで、
話すことが苦手でも、
書くことは得意、好き、まだまし、
な人は多いかも?ってなってきます。
話すことは、独り言でないかぎり、
人を介します。
書くことは、その場の筆談でなければ、
書いたら終わります。
人を介さないので、楽ちん。
話と書くの、最大の違いは、
「間」でしょうか。
話は間がもたないと、もたない。
書くは、間がもてます。
相手の反応は、読まれるまで、間がおけます。
間をじっくり読むこともできます。
「時の間」、という時間を
遊ぶことができるか、できないかー。
「人の間」、という人間を
介せるか、愛せるかー。
たしかに、自分のことを積極的に話す人は
ちょっと苦手だし、
裏返せば、うらやましくもあります。
より正確に言えば、自分のことだけを、
積極的に、話し続けてばかり。
だと、それは性格なんかなと思ってしまいます
性格じゃないとしたら、
上手くなれるんでしょうね。
「その場をうまく回せる人」
というのは、話し手さんもそうだけど、
書き手さんでも同じことがいえそうです。
「自分の主張の自分語り」
ではなく、
この紙面上をひとつの「演劇場」にして、
登場人物に話させて、
動物、空、風、木の葉に語らせるのが上手。
生かされているようで、
まるで生きているように、
生き生きしてくる。
書くことも話すことも
同じにみえてきました。
「この場をどうするか」
なのですね。
土壇場
遊び場
しゃべり場
仮面を外して、
場面をつくる。
紙面の上に、
画面がみえる。
人格同士のぶつかり合いのようにみえて、
実は話題と場面をつくっているような文章が、
おもしろい。
人を掘り下げ人を広げながら、
新しい場面をつないでいく文章。
はい、入り込んでほしくないとおもってしまう
私です。
人格を表に出していくこともまた、
躊躇われるので、
場面の中に、話題の中に、自分を投影して
文章をかけばよいですね。
話せなくても、書ける。
書く時は意味を求めたり
読む時は意味を求めたり
しがちなんですが、
感情とセットにしたらいいですね。
話すことも書くことも、
両輪でした。
自分に対しても、意味と感情のセットで、
自分とコミュニケートしていきたいです。
今日もお読みいただきありがとうございます
フェンスの向こうの月なのか、
フェンスを際立たせる月なのか。
どこにピントを合わせるか?も大事だけど、
両輪で楽しんでみると面白いです。