見出し画像

話すのは苦手。書くことは好き。


「話が上手・下手」は性格ではない

「考えすぎて言葉が出ないがなくなる」
齋藤孝さん

「自分は性格的にもそんなに話すのがうまくない」と苦手意識を持っている方がいるかもしれません。
でも、断言します。
「話がうまいかどうか」と「性格」は、まったく関係がありません。
私は、今までの約40年間で、何万人という方を相手に、コミュニケーションの講義をしてきました。そこでわかったのは、「話すのが苦手」という人は誰もいない、ということです。
では、なぜ、「自分は話が苦手」と思ってしまうのか。
それには「思い込みの部分」も少なくないように思います

同上

性格とおもってました。

私は下手な性格ですし、
「考えすぎてるうちに、言葉がでなくて、
次の話題に行ってる」のは
会議でも飲み会でも、いつも同じで、
けっこうなコンプレックスです。

とここで、

書くことの上手・下手は、性格か?
聞かれると、それは性格じゃない気がします。

話すことは性格ぽいのに、
書くことは性格じゃないぽいって
不思議ですね。

そして、大いに思い込みでした。
話すことはの苦手意識は、
性格、コンプレックス、ということにして
42年間生きてきたので、
そりゃあ上手くはなりませんね!

とここで、

話すことが苦手でも、
書くことは得意、好き、まだまし、
な人は多いかも?ってなってきます。

話すことは、独り言でないかぎり、
人を介します。
書くことは、その場の筆談でなければ、
書いたら終わります。
人を介さないので、楽ちん。

話と書くの、最大の違いは、
「間」でしょうか。

話は間がもたないと、もたない。
書くは、間がもてます。
相手の反応は、読まれるまで、間がおけます。
間をじっくり読むこともできます。

「時の間」、という時間を
遊ぶことができるか、できないかー。

「人の間」、という人間を
介せるか、愛せるかー。

私が教えている大学で学生たちを見ていても、クラスの主役になれるのは、「積極的に自分のことを話す人」よりも、「自分は中心にはならないけれど、その場をうまく回せる人」です。
テレビに出ていて重宝されるのも、「その場をうまく調整できる人」です。
そうした人は、いつの間にか、「その場になくてはならない人」として、認識されていくのです。

同上

たしかに、自分のことを積極的に話す人は
ちょっと苦手だし、
裏返せば、うらやましくもあります。

より正確に言えば、自分のことだけを、
積極的に、話し続けてばかり。
だと、それは性格なんかなと思ってしまいます

性格じゃないとしたら、
上手くなれるんでしょうね。

「その場をうまく回せる人」
というのは、話し手さんもそうだけど、
書き手さんでも同じことがいえそうです。

「自分の主張の自分語り」

ではなく、

この紙面上をひとつの「演劇場」にして、
登場人物に話させて、
動物、空、風、木の葉に語らせるのが上手。

生かされているようで、
まるで生きているように、
生き生きしてくる。

書くことも話すことも
同じにみえてきました。

では、そんな人たちはどんなことを考えているのか。
話せる人とそうでない人、その大きな違いは、たった一つです。
「自分が何を話そうか」という意識から「この場をどうしようか」に意識を変えるだけです。

同上

「この場をどうするか」

なのですね。

土壇場
遊び場
しゃべり場

仮面を外して、
場面をつくる。
紙面の上に、
画面がみえる。


「人格ー話題ー人格」の三角のフォーメーションをつくり、人格同士がぶつからないようにすることが、疲れないコミュニケーションのコツなのです。
たとえば、今流行っているドラマや映画の話などは、自分や相手の人格とかかわりがありません。そうしたことから徐々に話題を広げていくのです。

同上


人格同士のぶつかり合いのようにみえて、
実は話題と場面をつくっているような文章が、
おもしろい。

人を掘り下げ人を広げながら、
新しい場面をつないでいく文章。


「人格」という言葉は、「プライベートゾーン」とも言い換えられます。人と会話をすることすら疲れてしまうという人は、プライベートゾーンを守ろうとしているのですね。「これ以上自分の人格に入り込んでほしくない」という気持ちが強いのです。

同上


はい、入り込んでほしくないとおもってしまう
私です。
人格を表に出していくこともまた、
躊躇われるので、
場面の中に、話題の中に、自分を投影して
文章をかけばよいですね。

話せなくても、書ける。

まず、会話は「意味」だけではない、ということを頭に入れて、相手の表情を見るようにしましょう。
特に「何であのとき、会話がぎくしゃくしたんだろう?」という疑問を持ったことがある人は、注意してみてください。
ただし、感情だけでコミュニケーションをすると、言葉の発達していない赤ちゃんや幼児と同じになってしまいます。「意味」と「感情」を車の両輪のようにセットにして考えるのが、大人のコミュニケーションです。

同上


書く時は意味を求めたり
読む時は意味を求めたり
しがちなんですが、
感情とセットにしたらいいですね。


話すことも書くことも、
両輪でした。

自分に対しても、意味と感情のセットで、
自分とコミュニケートしていきたいです。


今日もお読みいただきありがとうございます

フェンスの向こうの月なのか、
フェンスを際立たせる月なのか。
どこにピントを合わせるか?も大事だけど、
両輪で楽しんでみると面白いです。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?