月や花の何を見ているか
月や花の何を見ているか
私は
月の満ち欠けを見ていました。
月と雲の重なりによる美しさを見ていました。
花の色、形、香りを楽しんでいました。
それはそれで、
月も花も、心に余裕がないと見れないので、
月や花を、眺めている自分がいること自体に、
心の落ち着きを感じていました。
だから、満ち欠けや色かたちで、いいんです。
が、
「清らかな気を観賞する」
「花の心を観賞する」
と言われると、そうしてみたくもなります
スピリチュアルな心の話というよりは、
思考の話な気がしてきます。
月は、なんのためにあるのか?
花は、だれのためにあるのか?
みんなに平等にある、
この月や花を、
自分がどのように捉えるかによって、
暮らしが変わります。
観察するためではなく、
自分の心と同化させ、清めるため。
月と向かい合うのではなく、
月と向かい合う自分と向き合う感じ。
ああ、格別にきれいだな、
と感じている自分自身の清らかさを
感じること。
ただ、見るのではなく、見た先に自分を見る
という思考、心の持ち方は、
月にも花にも、太陽や海にも、
あるいは「人」と向き合うときにも、
同じことが言えそうです。
今日もお読みいただきありがとうございます
きのうからきょうと、38度近くの熱がでました
5、6年ぶりの発熱にたじろぎましたが、
体調をくずすと、自分の心の置き所まで、
不安定になるなあと痛感。
月を見て花を見て、心整えます。