自分の感受性「くらい」
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」詩人・茨木のり子 現代に響く魅力
NHK
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pXmbYxljG5/
「もっともっと遅れたい」
遅れることを、進んで選び取る。
私の場合、世の中の進みに追いつけとばかりに
遅れて選び取る。
最先端、洪水のような情報を、
貪るように、選び取る。
「どうするの?」
「何をするの?」
なんて素朴で、切れ味鋭い問い。
考えたことなかったことが、
恐ろしくて鳥肌が立つ。
頭はからっぽで、スポンジに、
無作為に吸収し続けてたなんて、恐ろしい。
どこに行こうとしてたんだ?
ひとりでいきたい、と思ってたのに、
気づけば横並びの世間体に合わせる。
合わせてることにも無自覚。
もっともっと、遅れたい。
遅れてどうするの?
の問いになら答えられそうだ。
一番になりたいんでなく、
唯一でありたい。
きれいと 崩れ
きれいと 死
おしゃれを 落とす
日常。
20年前にこの詩に出会ってから、
再会する時というのはだいたい、
意味がある時でした。
あまりの衝撃に、言葉を失った22歳。
再開してなお、言葉を失う42歳。
感じ方の違いが、もしあるとしたら、
感受性「くらい」。
感受性って、好きだし大事にしてきた
20年だけど、「くらい」くらい、
当たり前のもので尊いものだった。
当たり前なほど、尊いものすぎた。
ありがとう、茨木さん。
今日もお読みいただきありがとうございます。
空ばかり、最近見てるのは、
人を見ることから、逃げているのかも。
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