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自分の感受性「くらい」


「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」詩人・茨木のり子 現代に響く魅力

NHK

https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pXmbYxljG5/

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入(い)るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)

はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
もっともっと遅れたい

(「時代おくれ」より一部抜粋)

茨木のり子さん

「もっともっと遅れたい」

遅れることを、進んで選び取る。


私の場合、世の中の進みに追いつけとばかりに
遅れて選び取る。
最先端、洪水のような情報を、
貪るように、選び取る。

「どうするの?」
「何をするの?」

なんて素朴で、切れ味鋭い問い。

考えたことなかったことが、
恐ろしくて鳥肌が立つ。

頭はからっぽで、スポンジに、
無作為に吸収し続けてたなんて、恐ろしい。

どこに行こうとしてたんだ?

ひとりでいきたい、と思ってたのに、
気づけば横並びの世間体に合わせる。
合わせてることにも無自覚。

もっともっと、遅れたい。

遅れてどうするの?

の問いになら答えられそうだ。

一番になりたいんでなく、
唯一でありたい。


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

(「わたしが一番きれいだったとき」より一部抜粋)

茨木のり子さん


きれいと 崩れ
きれいと 死
おしゃれを 落とす

日常。


自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子さん


20年前にこの詩に出会ってから、
再会する時というのはだいたい、
意味がある時でした。

あまりの衝撃に、言葉を失った22歳。
再開してなお、言葉を失う42歳。
感じ方の違いが、もしあるとしたら、

感受性「くらい」。

感受性って、好きだし大事にしてきた
20年だけど、「くらい」くらい、
当たり前のもので尊いものだった。
当たり前なほど、尊いものすぎた。

ありがとう、茨木さん。

今日もお読みいただきありがとうございます。

空ばかり、最近見てるのは、
人を見ることから、逃げているのかも。  






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