選択する人生
「多様な生き方は残酷」
選択肢が多いことは、迷いを生む。
サイゼリアより、
一蘭のラーメン屋が、迷いない。
選択肢が多いことは、幸福な社会の証。
消防士にも、エンジニアにもサッカー選手にも
なりやすい。なれるかは別として。
んなはずだったんだけれど、
多様な社会は、
無様な自分を生む。
多様ゆえ、自由ゆえ、
選べない自分は、単一な暮らしに陥るという
罠。矛盾。
多様な価値観が認められるほど、
identify(🆔 識別される)。
人との違いを明確にしていか
「なければ」生きてゆけない、社会。
あれ?なんか、思ってたんと違う?
不惑どころか、惑惑の40代。
はい、
絶賛クライシスな40代です。
が、昔からそうだったんだー、
と思うと、ちょっと気が楽になりますが、
喜びもつかのま、明日にはクライシス。
あるあるですね。
英会話に通ってた時に、初対面の先生には
必ず聞かれて、必ず社名を答えてましたっけ。
ただ、マーケティングしてます、
広告してます、カスタマーセンターしてます、
というのも、なんだかちょっと物足りない。
その物足りなさは、
「本当に、やりたいこと」と
ちょっとズレてたりするからかもしれない。
はい、難しいです。
会社は好きだし、会社をよくしたいし、
でも、それは目的ではなくて、
社会をよくしたい。
会社人ではなく、社会人でありたい。
そうなんですよね。
変わっていいはずなのに、
変わっちゃいけない感がある、
終身雇用という思考停止。
変わらなくていいよ。自分。という甘え。
まわりはどんどん変わっていくのに、
取り残された感は、
今しか見てないからであって、
未来。いや過去、いや1ヶ月前から
比べたら、随分と変わってるはずなのに。
変化した後の自分という結果をまた
目的にしなくていい、っていうことですか?
日々、変化していくことを目的にして
いたら、気づいたら、なりたい自分になってた
が理想だとして、まあそんな簡単ではないので
ここは右、今度は左で明日は右。
という、ある仮説(小さいビジョン)の
赴くままに、動いていたら、変わるのかも。
変えるのではなく、変わる。
肩書を、探さない。
いつもの一蘭のとんこつラーメンではなく、
きょうは違う、選択肢を選んでみる。
選びたい方を、選んでみる。
胸はまだ張れないけど、
手を伸ばす。
その手を伸ばしている自分が、
昨日の自分と今日の自分をidentify(🆔)
分け隔てる、新しい自分になっていく証。
意思決定って、なんだか重いんですよね。
そんなこというてるからあかんのですけど。
要は、自分で選ぶってことですか?
選んだ先が不正解だとしても、
正解にしていけばいい。
だって、自分で選んだんだからね。
ものさしでもいいんですけど、
分度器にします。
長いか短いかではなく、
きょうの角度と、あしたの角度を
自分で、チューニングして変えるだけ。
選ぶだけ。自分の好きな角度に。
今日もお読みいただきありがとうございました
写真はNゲージ(自分で走らせる模型)です。
運転士にはなれないけれど、
自分の手で、模型の電車をならべて、
走らせる。速度を自分で調整する。
前にも後ろにもいけて、
駅に停車もできる。
その操作感を、自らの人生にも。
ちなみにこのキティちゃんはるかは、
環状線の電車より千円も高いので、
ちょっとこまります。
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