生と死に触れあった日
年始早々に親戚が亡くなった。
年末年始は斎場も忙しい時期らしく、亡くなったという連絡を受けた後に通夜まで1週間ほど間が空いた。セレモニーホールや火葬の順番待ちという感じ。ちょっと調べたら年末年始に死者が多いというのは本当らしい。寒いからか。
故人とは2回ほどしか会ったことはないが、親族であるので通夜と告別式では親族席に座り、一般参列者の焼香の度にお辞儀をするやつを真面目にやった。嫌いな葬儀進行係の演技口調も我慢した。えらい。
それはともかく、僕は普段葬儀に出ても「死」から目を背けてしまってあまり深く考えないのだが、今回はちょっと死について考えるきっかけがあった。
火葬直前の「最後のお別れです」という時に、亡くなったお爺さんの配偶者であるお婆さんが「待って、まだ焼かないで、おじいさん!」と小声で叫び、火葬炉へ棺を入れるのを止めようとしたのだった。
高齢になってなお枯れていない愛情を目の当たりにし、その場にいた親族全員ショックを受けて女性たちは嗚咽し、男性たちは最後までこんなに好いてもろうて幸福な奴だな、良い旦那だったんだな、などと囁き合った。
そして全員、自分が死んだ時のことを想像したのだろう。火葬が終わるまでの待機室では同じような話題が各テーブルで上がっていた。つまり、自分の時にはあれほどに悲しんでもらえるだろうか。あるいはあれほどの悲しみに打ちのめされるだろうか。親族の爺達は皆自信なさげであった。
当の喪主のお婆さんを見ると、お孫さんと笑ってお菓子を食べていた。火葬場は久々に会う親戚との楽しい語らいと、近い人を亡くした悲しみが同時に存在する不思議な場所だ。
火葬が終わり収骨する段になると、「魂の器である肉体」という感じから、自然界に存在するイチ物体に過ぎない感が一気に増す気がする。お爺さんの肉体は消えて、大事そうに骨壺を抱いたお婆さんが残った。その姿を見ていたら、普段は努めて考えないようにしている死について考え始めてしまった。
告別式の親族席に座ってもまだ僕は考えていた。この場にいる老人たちもいずれ皆死んでいく。僕にもそのうち順番が来る。退屈を訴えてぐずっている幼児にだってその時は来る。そのどの葬式においても、悲しみに浸るわずかな瞬間と、久方ぶりの親族との楽しい近況報告が行われるんだろう。先祖代々ずっと繰り返してきたし、子々孫々同じような事をしていくのだろう。めちゃくちゃつまらないな、と思った。
何千年も歴史を紡いで、そんなものなのだ。頭痛や死を克服できなくて何が科学の進歩だというのか。早いところチャッチャと克服して、永遠に手を伸ばしたって良い頃合いじゃないか。いにしえより永遠を手に入れようとした者には罰が下されるのが物語のお決まりだが知った事か。現実は物語より奇であってくれ。望んだ者にだけ死が訪れる科学をあまねく人類に配布せよ。
そういう事を考えていて気が付いたら告別式が終わっていた。一瞬意識が飛んでいたかもしれない。僕は葬儀のお経念仏にだって文句があるよ、意味の分からんことを延々と唸ったってこっちは眠気が増すばかりなのだから、現代語訳を字幕で坊主の袈裟に映すとか、そういう工夫をしなければ形式だけなぞる事態になってしまっているよ。形真似だけの末法の世ですよ。今回ではないけれども、告別式の中、爆睡イビキの揚げ句に椅子からずり落ちた喪主を見た事があるんだから。時に愛別の悲しみも睡魔には勝てないことよ。
やっぱり葬式は嫌いだな、悲しんでる人を見るのも悲しませる為の演出を見るのも嫌だ。やれやれ。と思って帰った。死なせたり死んだりしてまた葬式にならないように安全運転で帰った。
帰ると、義理の弟夫婦が昨年産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、山形からはるばる我が家に遊びに来ていた。
喪服を脱いで、身を少し清めて居間に行けばホンモノの赤ちゃんがいた。僕はこれまで赤ちゃんを抱っこした事がほとんどない。ここ30年は抱っこしていない。こわいから。命をこの両腕に任せられる責任など負えない。
でも今回はその場の全員(義弟夫婦、義両親、妻の5名に!)是非にと言われてしぶしぶ抱っこした。超怖い。ふるえる。
両手に抱いた赤ちゃんは、爆発しそうなエネルギーを内に秘めた生命体だと思った。無軌道に動く四肢、不意の体重移動で変化する重心。こわい。いま手の中で強烈な大暴れダンスをされたら落としちゃうかもと不安になった。コントロールできないし意思の疎通もまだできない秘めたるエネルギーの塊。しかも大切な命を持っている存在。とても手に負えない。子育てしている人々は凄いな。
かわいいと思う余裕もなく固まっていると、指を舐めさせてみろと悠長なアイデアを誰かが出して、勝手に僕の指を引き出し、赤ちゃんに舐めさせた。指をちゅうちゅうと吸われたが、いったい何のどういう余興なんだ。早くこの貴重な命の塊を僕から取り上げてくれとばかり願っていた。泣いてくれればお母さんにバトンタッチする言い訳になるものを、ニコニコ上機嫌でいるからなお困った。写真を何枚か撮られた。
そろそろお父さんにお返ししますねと言って、義弟に大事に手渡す。やっと緊張から解放されて、気付けば脇に汗をかいていた。
義弟に抱っこされている赤ちゃんを見て、ようやくかわいいねと思った。赤ちゃんは富士山とかと同じで離れて見るものだな、とも思った。
しかし抱っこ中に撮影された画像を見ると、孫を抱いたお爺ちゃんのような笑顔の僕が写っていた。なるほどね。
義弟たちは日帰りで帰るというので駅まで送り、帰宅してから蕎麦を茹でた。茹でながら今日の事を考えた。
今日は前半に死と触れ合った。死体に触れ、棺に花を添え、棺を担ぎ、骨を箸で拾い、死について想った。メメントモリ。それが早朝から昼過ぎまで。
今日の後半は赤ちゃんと触れ合った。ほとんどはじめて赤ちゃんを抱っこして、畏怖し、命を感じた。指をちゅぱちゅぱ吸われて困惑した。明朗な性質の子で、彼女の今後の素晴らしい人生を予感した。
なんと生と死にダイナミックに触れ合う日よ。こんな日は人生にそう何回もないだろう。順番もこれでいい。生と死に触れ合う順が逆だったら寝付きが悪そうじゃないか。
僕の自慢のレシピであるラー油肉ネギ汁蕎麦に海苔をばら撒き、煎りゴマを散らした。完成した蕎麦を啜りながら出来事を思い返し、それをいま書いている。おかしな日だ。命と死に触れるよう強制的にセッティングされたような日。信心深ければ何か意味をこじつけかねない日。
これから下書きを保存して、寝て、そして「それでもやっぱり僕はこんな生と死の円環からは逸脱したい、解脱とかそっちの話じゃなく不死とかSFの方向で」という夢でも見ようと思う。