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月夜と祭のこと(徳山の盆踊)

山奥。大井川と大井川鉄道沿いに山あいの道をひたすら進んでいく。小さな集落をいくつも通り過ぎる。川根本町の徳山まで来た。

徳山浅間神社の社殿を守っているのは狛犬ではなく、鹿の被り物をした人の像。珍しい守り神としてネズミ、キツネ、ウサギ、オオカミなどは聞いたことがあるが、仮装した人間の胸像はとりわけ珍しいと思う。被り物の鹿がポップでシュールだ。

8月15日、川根本町徳山で行われた「徳山の盆踊」を見に行った。「徳山の盆踊」は1987年に国の重要無形民俗文化財に、2022年にはユネスコ無形文化遺産に登録された由緒ある民俗芸能だ。

廃校になった中川根第一小学校の駐車場に車を停めて、徳山浅間神社へと向かう。道案内と交通規制をしている役員の人たちは、ビールを飲みながら椅子に座って雑談している。この役目はこの役目で面白そうだ。

街灯の少ない道を進む。横に流れる小川の水は澄んでいる。水源は小さな池になっていて水車がカラカラと音を立てていた。

池に近づくとたくさんの鯉が寄ってくる。池の名前は「ときどんの池」というらしい。由来のわからない不思議な名前の池。調べると、南北朝時代にこの地域を支配していた土岐山城守(ときやましろのかみ)に由来しているそう。「ときどん」はあだ名というわけだ。

さて、池を抜けると笛や太鼓の音が聞こえてきた。吊るされた提灯のあかりがまっすぐに鳥居の方へ続いている。駐車場には軽食やくじ引きの出店。肉まんやジビエカレーなど普通の祭りでは見かけないメニューも並んでいた。

徳山浅間神社、すでに月が出ている

人、人、人。大半は地元の人たちだと思うが、浴衣を着た外国人が目立つ。雑踏の中、日本語でない言葉がいくつか飛び交っていた。石段をのぼり本殿前のスペースから舞台を見る。

「徳山の盆踊」は大きくわけて三つの出し物で構成されている。

  1. 鹿の面を被った役(雄鹿、雌鹿)とひょっとこの面をつけた男衆がお囃子に合わせて踊る「鹿ん舞」。舞台には上がらず、舞台の周りを回りながら、同じ踊りを繰り返す。畑を荒らす鹿とその鹿を追い立てるひょっとこという構図になっているようだ。現在は中学生男子が踊り手を務めている

  2. 浴衣を来た女衆が小唄に合わせて踊る「ヒーヤイ」。古歌舞伎踊りの初期の形態を残した古風な舞らしいが、古歌舞伎踊りがわからないので違いもわからない。勉強不足。徳山の支配は南北朝時代に土岐氏から今川氏になっている。今川氏は京都の公家と関係が深く、駿府には南北朝の戦乱を避けた文化人が集まり、当時最先端の文化が地方まで流入したとのこと

  3. 狂言」。慶応4年(1868年)の台本に「むかしより、猿楽とやら、口うつしおぼえしだき書きおくぞや」とあり、その起源はかなり古いらしい

鹿ん舞

「鹿ん舞」が始まるまえには、二人がかりで長い竹の両端に茅を束ねたものを振り回しながら露払いをする。「出る出る出るよ!鹿ん舞が出るよ!」のリズミカルな掛け声で舞台周りを一周。「鹿ん舞」は何度も同じものを、ヒーヤイと狂言は内容を変えながら交互に行われる。合間合間に上がる花火のタイミングが小休止として絶妙。だんだんパターンがわかってくる。

祭りも後半になると、小さな子どもたちが面白がって鹿ん舞についてまわる。踊り手の少女たちは舞台の上から男子たちに、何か冗談めいたことを言って笑い合っている。酒の回った客の手拍子や応援の声が大きくなっていく。最初はみな緊張した面持ちだったが、慣れてくれば和気あいあいとした空気の祭りである。

盆踊りには祖霊の供養と、神様に豊穣を祈る目的があるという。それは厳かであるべきだろうか。何よりもまず、当人たちが楽しんで行うことが大切だと思った。

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