サクナヒメと田植歌のこと
背丈の低い稲がサーっと波打ち揺れ、気ままに風とたわむれている。晴天の散歩は暑さとの戦いだが、いきいきとした稲を見るのは楽しい。
稲作を主題にしたゲーム「天穂のサクナヒメ」のアニメ作品が、7月より放送されている。第3話では登場人物たちが「田植歌」を歌いながら作業するシーンがあった。とくだん感動的な場面でもないはずなのだが、夜中にぼうっと見ていたせいか、なぜだかむしょうに泣けてくる。この感動はどこから来るのか。
筆者は実際の田んぼで歌われる田植歌をきいたことはない。田植歌どころか、手作業で苗を植えていた時代を知らない。
日本で耕運機が実用化されたのは1930年代。しかしコストや資源の不足により普及はしなかった。そして1955年以降、工業の発展に伴い農業の機械化が進み、1965年に実用的な田植機が登場。一気に普及が進んだという(稲作の歴史)。つまりそれぐらいの時期から、田植えは大勢の人が並んで行う作業ではなくなったというわけだ。
幼稚園の頃に稲作体験として、水を張った田んぼに裸足で入ったことがある。泥まみれになって遊んでから、みんなで横一列になって苗を植えたような、植えてないような…。それくらいの記憶だ。
新鮮な体験だから楽しかったのかもしれないが、大勢で集まっての共同作業はそれだけでも楽しい気持ちになってくるものだと思う。「農業を知らないから気軽に言えるんだ」と農家の方に怒られそうだが、民俗学者である宮本常一は『忘れられた日本人』の中で、田んぼ仕事を楽しみながらやっていた人々を記録している。
みんなで歌ったりおしゃべりしながら行っていた田植えも、正条植え(縦横が等間隔で真っ直ぐに植える方法)が推奨され、能率を重視する風潮が強まると姿形を変えていった。田植歌が消えたのもこの頃だという。
この取材が行われたのは1940年前後くらい。機械化の兆しが見えつつも、まだまだ手作業が主流だった時代の話だ。
辛く苦しい作業を楽しくしていた「田植歌」。昔の人たちが工夫と遊び心(と信仰)で生み出した文化だ。時代は成果と能率を選んできたが、次の時代に必要なものを考えたとき、田植歌のような工夫と遊び心が鍵になってくるのではないだろうか。
「もっと遊べ。もっと楽しめ。もっと自由にやれ」
ふいに流れてきた現代の田植歌が、今の自分にいちばん足りないものを提示してくれているように思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?