生命の樹とりんごのお話
先日、友人に送っていただいた正木高志さんの「地球マユの子どもたち」という本を読みました。その中のひとつのお話の中で、ヨガの教えをわかりやすく伝えてくれていたのでシェアさせてください。
「地球のマユの子どもたち」
ある時、大きなリンゴの木に実ったリンゴの実がふとおもいました。
「私は誰だろう?」
そんなことを思っているうちに、りんごはどんどん大きくなり、赤くなり成熟していきました。そして自分が成熟し、じきに木から落ちてしまうことを感じたリンゴの実はさらに思うようになりました。
「成熟し、今にも枝から落ちて、ひとり朽ちようとしている。
この私はいったい誰だろう?」
自分のことばかり考えている時、リンゴは私がいったい誰で、なんのためにここにいるのかわからずに混乱していました。
ふと周りを見回すと、自分の周りには自分と同じようにたくさんのりんごの実があり、どのリンゴも同じように大きな木の枝にぶら下がるように実っています。
大きな大きなりんごの木に無数の実がなっているのです。その様子を見てりんごの実は悟ります。
「ああ、私の本質は樹なのだ。
大きな『生命の樹』からこぼれ落ちようとしている
生命の樹の一部なのだ。」
と。
私たちはみんな、「生命の樹」の一部。
それを忘れてしまった時に、
自分が外側と区切られた「ひとり」な感じがして
「私は誰なのか?」わからなくなって混乱する。
自分は「生命の樹」と繋がった存在であること(=生命の樹そのものが私)
を覚えていれば、決して、世界を傷つけるような選択をしないし、
世界から搾取するような選択はしない。
りんごの実が落ち、朽ちて、大地の栄養となって、再び生命の樹の一部として循環していくように、私たちはこの世界に肉体を持ち、現れ、朽ち、醸され、循環し、また形を変えては現れる。
そんな無限の循環の一部として、この肉体を享受していることを知ること。
その束の間の時間をただ生き、死んでいくこと。
そのようにしていのちの車輪を回していくこと。
それこそがいのちの役割であり生きていくのに目的も役割もいらないこと。
それが「生命の樹」として生きることです。
**********************
だいぶ話を膨らましてしまった気がしますが、高木さんの本にはそんなことが書かれていました。
ヨガの教えの中では、アートマン(個)とブラフマン(宇宙意識)という二つの「我」があり、その「我」が完全に一致していることを知っていくという一つのテーマがあります。つまり、結局は何にも分かれていないね、「私と神さまが別れていると思っていたことが幻想だったね」ということを体験を通して知っていくことです。
様々な角度からそれを体験していくためにヨガの練習が進んでいきますが
このお話は、宇宙意識とか、アートマンとか、難しいところを取っ払って
それをとってもわかりやすく伝えてくれているなぁと感じました。
「悟り」というのはつまりアートマンとブラフマンの一致を完全に体験して
「その中にいる状態」のことですが、大切なのは、誰もが瞑想の境地に至って、悟りの状態にたどり着かなくとも、一人一人が「わたし」とは「生命の樹」なのだということを思い出してさえいれば、世界はきっとすべての生命にとって優しい場所へと進化していけるということだと思います。
(もちろん悟りの体験をした人が増えれば増えるほど、気づける人も増えてくるのでそこを目指すことも素晴らしいプロセスだと思います。)
変容の時代と言われていますが、そんな時こそ、葛藤が生まれやすい時期だとも思います。「変わりたい」「変わろう」というとき、自分の中の様々な概念や思い込みが、自分を古いやり方に押さえつけようとしていることに気がつきます。
「苦しいな」と感じるときは、何かが変わろうとして葛藤が起きている時かもしれません。
そんなときはリラックスして、自分が繋がっている生命の樹を思い出してください。おおきな生命の樹に実った、りんごの実。
それが自分で、わたしの本質は「樹」の方なのだと思い出してください。
リラックスして樹であることを思い出していれば、必要な時に必要な方向に導かれ、いつの間にか主体的に動いている。そんな状態に少しずつ移行していくと思います。
こんな風にリラックスし、宇宙と調和していられる状態を作るためにヨガはあります。自分の内側と外側を大きく変えて行こうという時、ぜひじっくりヨガの学びを始めてみてください。きっとヒントになり、力になっていくと思います。
一人一人が自分自身の中に平安を発見し、そしてそれを外側へ広げていけますように。
一人一人の心の平安が世界の平安へと繋がっていくことを私たち一人一人が覚えていられますように☆
https://www.breathing-art.com/pages/3998423/page_202006261037