斬れ味バツグンggg石岡瑛子展
gggで開催されている
石岡瑛子展を拝見しました。
石岡瑛子さんは1960年代から2012年にお亡くなりになるまで
主に広告業界で活躍したグラフィックアートディレクターです。
石岡さんが活躍した80年代は
わたしも業界で仕事をし始めた頃で
リアルタイムで石岡さんの凄さは伝わっていました。
遡ってみると石岡瑛子さんのグラフィックデザインに
最初に出会ったのは中学生の頃。
家にあった古い1960年代の、
確か、「暮しの手帖」を偶然開いたときに
目に飛び込んできた「資生堂のホネケーキ」広告でした。
透明感あるルビーピンク色の石鹸が
スパッとナイフで切れているグラフィカルな画像。
それ以外は真っ白な背景で、紙面の下の方に
美しく組まれた文字組。
この広告を見たときの衝撃は今も忘れられません。
石鹸のピンク色とホワイトスペースと
文字組の美しさ。当時、なんだかわからないけれど、
とにかく、美しい!と思ったことだけは確かで、
撮影が横須賀功光さんであることがわかるのはもっと後のことでした。
わたしがデザインの仕事へ進もうと思ったきっかけは
思い返すとここだったかもしれないな、、
今更、今頃、頭の中でつながったような気がします。
リアルタイムでデザイン業界にいた頃は
石岡瑛子さんはNYへ活躍の場を変える頃でもあり、
発表する作品の質の高さにはいつも感動するばかり。
当時は昭和な男性社会真っ只中な世の中でした。
「女性」のデザイナーなんだよねー。と、当時、
業界の至る所で声が聞こえたと思います。
そう。女性!?という変な驚きが、今よりちゃんとあった時代。
でも、そんなことどーでもよい、そんなこと全く関係ない、
彼女の作る作品がそれを語っていて
むしろ「男性的」なインパクトが、気持ちいいほどにありました。
70年代の西武百貨店やPARCOと石岡さんのデザインワークの融合は
当時の業界人にとっては羨望の的だったはずです。あの融合があったことで
「古い」イメージに風穴を開けたがる企業は増えたはずだし、
斬新な角度から広告を作ろうとするアートディレクターもたくさん出てきました。もちろんわたしたちのデザイン事務所も果敢に挑んでいました。
石岡瑛子さんのアートディレクションは
食べ物で言ったら三ツ星レストランの料理のよう。
常にすべてのものに気を遣って
食材を提供する農家など生産者とも馴れ合わず
良い仕事ができる人とだけ契約するから常に新鮮で緊張感のある仕上がり。
それが食べる側に押し付けがましくない。←これ大事
なのに料理は確実にインパクトがあってキレがあって美味しい。
「シェフを呼んできて。」
すると厨房から出てきたのは女性のシェフ。
驚く老人。
なぜ驚くのだ。。
東京藝術大学美術学部を卒業後、資生堂に入社。面接時にはこう宣言した。
<もし私を採用していただけるとしたら、グラフィックデザイナーとして採用していただきたい。お茶を汲んだり、掃除をしたりするような役目としてではなく。それからお給料は、男性の大学卒の採用者と同じだけいただきたい>
『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』(河尻亨一)
gggギャラリーB1作品展示会場では
石岡さんの2011年に録音されたインタビュー音声が流れているのですが
その中で、現代のデジタルツールを駆使したデザインについて
デジタルツールありきでデザインが「できたような気」になり
オレはわたしはデザインができると言っている人たちがいるけれど、
そのやり方ではそのうち淘汰されてしまうだろう、
と、デジタル世代にはもしかしたら耳が痛いかもしれない言葉が流れていて、
すごくその言葉に共感。
Mac登場以前のグラフィックデザイナーは、
「手作業」が当たり前でした。
わたし自身も、デザイナー端くれながら常に
「紙」にラフを書き連ねてたくさんのアイデア出しをしていましたし、
Mac登場後も、そこからデータへと起こしていくやり方で
石岡さんの方法と(多分)大体一緒だったことを思い出します。
その時点で石岡さんの脳内、イメージ作りへのストイックさとか斬新な発想、
崖っぷちを突き進むようなきわどさの感性は
とても足元にも及ばなかったのですが。
パソコンを駆使したデータ作業は
数人のデザイナーを雇うのと同じくらい
仕事をこなしてくれるので
まずは書いて、書いて、とにかくアイデアを出すという
ラフスケッチイメージ出しを「人間」がやることとしてはとても重要、
めんどくさがらずに端折らずに丁寧に、しかも大胆で独創的で
美しいものをひねり出さなくてはいけません。。
この部分については
便利なMacが無かった時代にデザイナーになっていて
(アナログ当たり前な感覚があるから)よかったと思える部分です。
少しでも「良い」デザインを作ろうとするならば
かなり苦労するイメージ出しが実はいちばん大切なプロセスであり、
デザイナーの本質を問われる部分。AIにはできない部分、とも言えます。
と、石岡瑛子さんのかっこいい語り口が流れる展示会場内で
自分のデザイナーとして向き合っていた頃が蘇ったのでした。
石岡瑛子さんのデザインが圧倒的にしっかりと骨太で揺るぎないのは
芸大時代、デザイン以外の分野である
デッサンや彫塑作りと向き合っていて、
石岡さん自身それが良い経験だったと語っていますが
かなり、最も重要な、もの作りのベースになっているのだろうと感じます。
資生堂入社試験の時に持参したのはデザインワークではなく、
なんと大量の裸婦クロッキーだったそうです。
行き着くところ、「モノの本質」と向き合う芸術的な感覚が
石岡さんの中で姿を変えグラフィックデザインの世界を作り出しているのですね。
それはただデジタル画面だけしか見ていないとする「デザイナー」とは
ひと味もふた味も違うはずです。
ggg会場内はインタビュー音声以外にも
彼女のデザインに向かう心意気が
文字となって展示されています。
元デザイナーであるわたしですら
背筋がすっと伸びるような気持ちになる言葉の数々、
今の仕事にも活かせる集中力と独創性の大切さを改めて心に留められました。
若き現デザイナーさん達にはぜひ見に行ってもらいたい展覧会です。
↓石岡瑛子さんの裸婦デッサン。
↓日宣美出品作品。
↓1976年 渋谷パルコの西武劇場
「三宅一生と12人の黒い女達」ポスター